弘前城1日目 その1
大阪から弘前の桜見物は1日ではちょっとキツイので2日間の予定である。弘前の桜の満開予想はゴールデンウイーク頃らしいので4月27、28日でスケジュールを組んでいる。

8時過ぎに伊丹を出発、30分ほど過ぎたところで窓の外を見ると富士山が見える。現役時代には東京に出張することが多かったので富士山を見る機会もたくさんあったが、伊丹、羽田のルートでは富士山の南側を飛行する。富士山を南に見るは初めてなのであわててスマホを取り出した。富士山に変わりはないのだが何となく新鮮な気がする。

弘前市役所屋上ホテルにチェックイン後、循環バスで弘前市役所に着き、直通エレベーターで屋上に出る。ネットか何かで花見の期間中は市役所の屋上が開放され公園の桜が一望出来、岩木山が見えるとの聞きかじりであるが、岩木山を目の前に見て先ずはよかった。

追手門から天守へ
弘前公園MAP(「弘前公園総合情報」URLを付すことで使用承認を得ている、https://www.hirosakipark.jp)

弘前市役所から弘前城 下乗橋付近まで
外濠の桜:濠の両岸から今は盛りと満開の桜の枝が伸び、濠を覆う感じである。
しだれ桜が咲く外濠の土手の右手に弘前城の追手門が見える。この門が弘前城の正門。2層の櫓門のようで1層目が高い感じである。城の正門は大手門と呼ぶことが多いが、追手門も立派な正門の呼び名であるらしい。門脇の立て看板によれば、建築は慶長16年(1611年)、重要文化財に指定されているそうだ。

追手門から二の丸に続く道の両側の桜も満開。紅枝垂れも咲いていて早くも桜見物気分が盛り上がってくる、道の左手は広大な市民広場となっている。
中堀の土手の桜の古木、真下から上を見ると隙間がない。ソメイヨシノの花芽の数は普通3~4個ほどらしいがこのソメイヨシノの花芽はもっとありそうだ。でもって、隙間がなくボリューム感があるということのようだ。
中堀の土手の先に朱塗りの橋が見えてきて満開の桜の風情に趣を添える。
橋は「杉の大橋」と言うそうだ。敵が攻めて来た時に切り落として防御するために敢て木の橋にしているらしい。
杉の大橋から中濠を眺めていると、丁度、小舟が通りかかった。舟の目線で桜見物をするのも風情があり、白鳥が近づいてくるのも穏やかでよろしいようで。
南内門: 杉の大橋を渡るとすぐに南内門がある。南内門をくぐって少し右手に進むと二の丸の広場が広がっていて、家族連れがシャボン玉をふかしたりしてのんびりと遊んでいる。江戸時代にはこの辺りは高級武士の屋敷が並んでいた。
二の丸広場の隅から内濠を眺めると、濠を覆う桜の隙間から朱塗りの橋が見え隠れする。二の丸から本丸にいたる橋なので、家臣は登城する時はここで下馬しなければならなかった。付いている名前が「下乗橋」。

天守から西濠の桜のトンネルへ
弘前公園MAP(天守、西濠、ピクニック広場、東内門、東門)など。
下乗橋を渡り天守に向かう。ソメイヨシノやシダレザクラに半ば隠されるように天守が見え隠れする。
曳家の展望台(曳家を見学するために作られた)に上るとヤエベニシダレが目の前、満開にはちょっと早いのだろうが優雅な感じである。
弘前城 天守:江戸時代、4万7千石の弘前藩主の居城であった。元々は5層の天守であったが、寛永年間に焼失した。200年間天守の無いお城であったが、1810年、文化年間に三層の櫓を新築することを幕府に願い出て許され現在の御三階櫓が建てられた。藩としては元の天守跡に五層で再建したかったろうが幕府も藩財政も許さなかったようだ。
今回、石垣修理のため東南の角から曳家で70mほど内側に移されているが、少し右に傾いている感じがするが、大丈夫なんだろうか?

大阪城や名古屋城、熊本城、姫路城などの天守閣が頭にあるのでミニチュアのように感じる。
天守に上って周りを見る。ヒロサキシダレは開花がちょっと早いのか満開のようだ。
天守を下りて裏手に回る。竹垣で囲っているのはヒロサキベニシダレ。シダレザクラやヨシノザクラが競演するように咲き誇っている。
天守を隠すベニシダレ、桜が大きいのか天守が小さいのか?
天守台を少し歩いていると岩木山が見えてきた、市役所の屋上に上らなくても、弘前ではどこでも岩木山が見えるということのようだ。
天守台のヒロサキベニシダレをもう一枚。
西濠の桜
春陽橋から西濠を眺める。
西濠の両岸の土手には桜の枝が伸びて桜のトンネルの中を歩くような感じになる。


樹齢100年を超えるような古木がずらっと並び、濠に向って満開の枝を伸ばしている。
でもって、何本あるんだろ?
ざっと見て、両岸は300mもありそうだから3m間隔に植わっているとすれば、それぞれ200本、合わせて400本近くになる。古木のヨシノザクラが咲き誇っている様は豪華絢爛と言うほかはない。