桜で繋ぐ信州5名城 1日目

長野県地図・・・伊那ー小諸ー軽井沢ー上田ー松代ー松本と長野県を往復縦断しながら信州の5名城の桜を求めて巡る。


「楽園信州」の長野県全域地図より引用、
バスの走行距離は岐阜羽島から、1日目が310㎞、2日目が354㎞。

高遠城址

日本三大桜名所の一つ高遠のタカトウコヒガンザクラを見たいと言うのが今回の桜見物の主な目的であるが、折角、信州に行くのなら眞田のお城も見てみたい、国宝松本城も見逃せないということで高遠、小諸、上田、松代の城址と松本城を巡る1泊2日のバスツアーである。

新大阪を8時前に発ち、岐阜羽島からはバス、途中のトイレ休憩も入れて5時間、1時過ぎには高遠に着く予定となっている。


バスの窓から小山の頂上にお城が見えてきた。走行時間からして郡上八幡城?

高遠城の歴史

ガイドさんの説明によれば、高遠城は信玄の時代に、高遠ヨリツグ?を攻め高遠城を奪った後、山本勘助などが大規模な改修を行い武田の南信濃の軍事拠点としました。城は2つの川が合流する段丘上に築かれた平山城で、川からの高さは約70m。本丸を段丘の突端に置いて、北から東に二ノ丸、三ノ丸などを配置し、その間には深い空堀が設けられました。後に、高遠城は織田軍の猛攻によって落城、江戸時代には保科氏、内藤氏などが入封しました。
明治の廃藩置県で高遠城が取り壊された後の明治8年、城趾を公園とし て整備する際に、高遠藩の旧藩士たちが河南の桜馬場にあった桜を植樹したのが現在のタカトウキヒガンザクラの始まりと言われています。


城下のさくらホテルで弁当の昼食を済ませてタカトウコヒガンザクラの見物に向かう。徒歩で10分ちょっとのこと。
三峰川に架かる白山橋を渡ると道路脇にタカトウコヒガンザクラがずらっと並んで咲いている。ソメイヨシノよりちょっと赤みを帯びている感じである。同行の皆さんはダウンや襟巻を羽織ったりして冬衣装である。


高遠城址公園に至る坂道に咲くタカトウコヒガンザクラは丁度満開を迎えているようだ。振り返ってみると高遠湖も見えて風情がある。



高遠城址公園案内図:伊那市観光協会高遠城址公園桜まつり2019より(https://takato-inacity.jp/2019/)


南ゲートから城址内に入ると、こちらの桜は、一転、もやっとした感じで、サクラの持つ華やかさやボリューム感が今一つ足りない、7~8分咲きがやっとの感じである。
坂道を上る途中で見た桜は満開であったが、南側の斜面で陽当りがよく開花の進行が早いのかも知れないし、同じタカトウコヒガンザクラでも早く咲く桜木があるのかもしれない。

今年は4月始めから寒波が居座り、甲信地方は10日に山沿いでは25㎝の積雪があったと報道があったりしたので咲き止まりになっているようだ。


法幢院曲輪から見下ろす桜は少し開花が進んで八分咲きの感じである。


問屋門:観光客が連なる先には古びた門が見える(江戸時代、大きな宿場町には本陣と問屋場が置かれていた。本陣は大名の参勤交代などを担い、日常の人馬伝送や宿泊などを差配する問屋と言われる役人が詰めていたのが問屋場である)。この門は高遠本町にあった問屋門で昭和23年にここに移されたそうだ。


桜雲橋:問屋門をくぐると、ゆるやかな曲線をした桜雲橋が続ている。この橋から城内に咲く桜を眺めると桜の雲がかかっているように見えることから桜雲橋と呼ばれるようになったらしい。


天下第一桜の碑:桜雲橋から二ノ丸に向かう途中に天下第一桜の碑が立っている。
固有種のタカトウコヒガンザクラが1500本、満開になれば赤みがかった桜色で城址が覆いつくされることから地元では天下第一の桜と誇りたい気持ちのようだ。

北ゲートに向かう通路・・・ 柵の足元には雪が残っており、付近の桜ももやっていて、7分咲きの感じである。
高遠閣:そばに立っている立て看板によれば、高遠閣は昭和11年に観光客の休憩所や町内の集会所として建てられた。お城の天守などでよく見る3角形の千鳥破風が3つも並んでいて格式の高い正面となっている。国の登録有形文化財に登録されているそうだ。


二の丸跡付近をあっちに行ったりこっちに来たり、ぶらぶら
3日目に雪が降ったりして寒さが続いているので、広場にご座を敷いて酒盛りをする地元の花見客もちらほらと言う感じである。


集合時間が近づいて、桜雲橋から空堀の写真を撮ったり、本丸の桜を見ながら南門に向かう。
桜雲橋のたもとにも雪が残っている。10日に甲信地方は山沿いでは20㎝の積雪があったそうだなので、通路や橋の雪かきは大変だったと想像する。



桜雲橋から空堀の桜を眺め、満開になったらさぞや絶景、満喫だろうと想像する。

藤原神社の鳥居の足元にも積もった雪が残っている。

小諸城址

高遠城址公園のタカトウコヒガンザクラ(高遠小彼岸桜)の満開を見られなかったのをちょっと心残りに思いながら小諸城に向かう。


姥捨て山?

姥捨パーキング1㎞とあるので、地元でも姥捨て山と言うらしい。


懐古園MAP:懐古園チラシより

小諸城は武田信玄のころに築城が始まり、豊臣時代に城主となった仙石秀久により完成された城である、城下町より低い位置に城を築いた「穴城」は全国でも珍しい城とのこと。
明治の廃藩置県により取り壊された城の本丸跡に、「懐古神社」を祀り「懐古園」と名付けられたそうだ。


小諸城の大手門は小諸駅の線路を跨いだ先にある。現在の懐古園へはこの三の門から入る。元和元年に造られた元の三の門は寛保時代に流失し、明和2年(1765年)に再建されたもの。正面にある「懐古園」の額は徳川家達の筆によるものとのこと。



小諸城址の桜は春なお遠しの感じである。


でもって、千曲川を眺め、藤村を偲んで、小諸城址見物はお終い。

この後、40㎞、約1時間かけて今夜の宿、奥軽井沢のホテル(群馬県)に向かう。
(岐阜羽島ー高遠城址 180㎞、高遠城址ー小諸城址 90㎞、小諸城址ーホテル40㎞=310㎞、6時間 スペイン旅行のような強行軍である)