松江城見物1日目その2

松江城天守を見物した後は、小泉八雲亭、武家屋敷などをを見るとことにしている。大手門前に戻ってレイクラインのバスに乗ることも考えたが、30分間隔で走っているようなので、5~6分おきにバスが来ることに慣れている身にとってはきつい、でもって足腰の弱った身には自信はないが歩くことにした


塩見縄手通りの道標…馬洗場池の脇を通って、左に護国神社の鳥居、右には稲荷神社に通じる小路があり、その先の稲荷橋を渡って小泉八雲記念館や武家屋敷に行けるようだ。(天守を見物を終わり、北の門から林の小路を抜けて水ノ手門跡の脇の石段を下りた。石段は踏み面が傾いている上に、高さもバラバラで足腰の弱った老人にはきつい。階段は上る時より下りる方が足腰に負担がかかるし、躓いたり転んだりおそれがある。そろりそろりとやっとの思いで馬洗場池まで下りた)稲荷橋…馬洗場池の側を通り少し進むと左側に護国神社の鳥居、右手には稲荷神社に通じる小道がある。(松江城散策マップに護国神社の敷地に北の丸と記されている。北の丸とも出丸とも言われた跡地に護国神社は建てられと言われているので、ここに松江城の搦手を防御する北の丸曲輪が築かれ、櫓か何か建っていたのかと思って、後でネットで調べて見たら、北の丸とか出丸と言われる屋敷は松平家になってからのもののようだ。藩主の御殿は三の丸あった訳だから隠居屋敷か何かだったと思われ、北の丸とか出丸とか呼ばれても搦手を防御するものではないようだ。
堀尾吉晴が築城した当時には工事の指揮をするための出張所として仮殿が造られていたらしいが、ここに曲輪を築いて松江城の搦手の防御の拠点とすることはなかったようだ。もっとも吉晴は天守築城完成と前後して亡くなっているので松江城は完成の途上であったのかも知れない)
塩見縄手通り…堀沿いに古木が並び、道の反対側には武家屋敷など趣きのある家並が連なり、古き良き時代を思わせる。お堀の遊覧船…50分ほどかけて一周するらしい。小泉八雲記念館…小泉八雲は耳なし芳一ぐらいしか知らない。八雲がなぜ日本にやって来たのか、松江でどんな暮らしをしていたのか知りたいと思っていたが、カメラ禁止と言われて、途端に興味を失った。小泉八雲旧亭、入口で失礼した。

ちょっと遅い昼食をとって武家屋敷の見物に向かう。


塩見縄手通りの武家屋敷…解説によれば500~1000石の藩士が暮らした屋敷のようだ。母屋は67坪、離れと長屋が付設されていた。夫婦に子供、隠居、家来が5~10人、中間とか女中を含めると15~20人が暮らしていたと思われる。母屋の間取り…玄関、内玄関、次の間、座敷、当主の間、奥方の間、家族の間など武家の屋敷らしい。式台玄関…訪問客を丁重に迎える内玄関内玄関を通って次の間になる。内玄関を通って次の間、奥に座敷がある。座敷座敷…床の間に屏風が並べられているいる。
座敷は10畳、当主が来客を迎える部屋で書院や柾目の長押しは格式を重んじる造りとなっている。モデルの当主は何やら書見をしているようだ。庭…中級武士として、草木を愛でる嗜みがありそれなりの庭があった。
家族の間家族の間
当主の居間…8畳くらい、暖をとる火鉢や書見台が見える。
奥方の居間
トイレ…来客用のトイレだと説明がある。
屋敷の西側の庭茶室台所長屋離れ長屋及び中間部屋と説明されている。雛飾りは7段飾りの豪華なもの。塩見縄手通り…反対側からもう1枚


宍道湖の夕陽
ホテルにチェックインして暫く体を休めた後、予約しておいた居酒屋に向かう。地元のチェーン店らしいが値段の割にはもう一つであった。地元の人に聞くべきであったと後悔している。
ホテルに戻ってフロントに日没の時間を聞いたら、今日は6時半くらいです、ホテルを出て右に10分ほどです。日没の10分くらい前に着かれたらいいですよ、と教えて貰う。レイクラインのバスでは30分くらい掛かるし、
バス停での待ち時間もみなくてはと思ってたりしていたので、助かった。感謝々々。
宍道湖岸の道路…帰宅を急ぐ車が連なっている。

夕陽が山に沈みかけている。

宍道湖の夕陽…太陽が山影に沈んだ。