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ご用とお急ぎのない方は、ごゆっくりどうぞ。

スポット: 美術館・博物館 (8ページ / 13ページ)

5日目 オリンピア

オリンピア博物館

オリンピア博物館

入口を入ったところに、オリンピア遺跡の復元模型がある。こうして立体模型にして貰えると想像力がない者でも当時の様子がよく分かり有り難い。

ゼウス神殿の破風のレリーフ


ゼウス神殿の東側破風のレリーフ…ペロプスとオイノマオス王の戦車競争の準備場面の様子。

右側の拡大図…ピサのオイノマオス王と王妃ステロ

正面の大きな部屋はゼウス神殿の破風のレリーフで、長さが30m近く、高さも3mほどの大きなものである。左手はペロプスの戦車競争、右手はケンタウロスの狼藉の場面である。白大理石のクラシック期の傑作と言われている。
ゼウス神殿の東側破風を飾っていたレリーフがペロプスとオイノマオス王の戦車競争の準備場面の様子である。レリーフの中央に立つのはゼウスで両陣営の運命を握っている。
向かって右サイド、ゼウスの隣に立っているのがピサのオイノマオス王と王妃ステロ、王妃は腕を組んでいて結果が心配な様子のようだ。馬の前で跪いているのは御者のミルティロス。反対のサイドに裸のペロプスとヒッポダメイア、彼女はペプロスを着て、花嫁のゼスチャーをしているらしい。端の方には老人が座り、手を濃い顎鬚に乗せて不安な様子である、結果が分かっているのだろうか。


ゼウス神殿の西側破風のレリーフ


登場人物の図解説明


拡大図…ケンタウロス族のエウリュティオンが花嫁のデイダメイアを犯そうとし、花嫁が手を伸ばして必死に戦っている。

東側破風のレリーフの戦車競争の準備の場面が静的なのに比べて、西側のケンタウロスとラピテス族との争いのレリーフは動的である。ケンタウロスは上半身が人間、下半身が馬の形をしたギリシャ神話の野蛮な怪物である。
中央にはアポロンが立ち、争いの裁定をする。アポロンの両側はペイトリス王とテセウスだと言われているが、頭部が僅かに復元されているだけで判読が難しい。テセウスは花嫁の介添えとして出席した。
場面はラピテス族の王ペイトリスの婚儀に招かれたケンタウロス族が酒を喰らって酔っ払い、数人がラピテス族の女性に乱暴を働いているところである。向かってアポロンの左側にはケンタウロス族のエウリュティオンが花嫁のデイダメイアを犯そうとし、花嫁が手を伸ばして必死に戦っている様子、その隣もラピテス族の女性がケンタウロスに激しく抵抗している様子である。右側のラピテス族の女性がケンタウロスの手を胸の上で押さえつけている様子や、ケンタウロスが足首を掴んでいる様子などはリアルで写実的、白大理石のクラシック期の傑作と言われている。

勝利の女神ニケ像


勝利の女神ニケ


女神ニケ…横から見る

ゼウス神殿の東南の角近くで台座跡を見たが、9mあまりの台座のうえに、この2mを超えるニケの像がのっていた。丁度、女神ニケが天上の住まいから地上に舞い降りているところで、横から見ると羽を広げて飛んでいる様子である。当時は彩色されていたらしい。

ディオニソスを抱くヘルメス像


ギリシャ彫刻のなかでも傑作とされる像で、この像も2mを超えている。
ヘルメスがディオニソスを神話のニサ山に連れて行く途中で、一休みしている場面である。ヘルメスはゼウスに命じられて、ニサ山のニンフにディオニソスの養育を頼みに行っているのである。
ディオニソスと言えば酒なので、ヘルメスの左手に抱かれたディオニソスが見つめているのはヘルメスの右手の葡萄のふさではないかと言われている。
よりかかっている木に掛けられたショールの様な衣服の流れるようなドレープ、S字にカーブしている肉体の柔らかさ、優しい表情のととのった顔など、美術音痴にもギリシャ彫刻のすばらしさを楽しませてくれる。


ガニメデを抱くゼウス


ローマ時代の彫刻、ネロの第2婦人サピア?


ブロンズの盾…翼を広げたゴルゴンが刻まれている。

大理石彫刻ではこのほか、ガニメデを抱くゼウス像、ローマ時代の女性像など、ブロンズでは3脚の大釜、羽の生えたゴルゴンの盾、などなど。添乗員、お勧めのオリンピア博物館を楽しむ。

4日目 デルフィー

デルフィー遺跡

ギリシャ旅行4日目 アポロン神殿遺跡

博物館の見学を終え、アポロンの神殿に向かう。
入口から石段を登ると、曲がりくねった参道が続き、古代の参拝者が歩いたと同じようにアポロンの神殿に向かって登っていく。

アゴラ跡
参道の両脇にはポリスの宝庫や記念碑がずらりと並んでいたということだが、今では宝庫の台座の石だけが残っている状態なので、当時を目にうかべるにはよっぽどの想像力を働かせないといけない。

シフノス人の宝庫の台座はここですと教えてもらうが、ずい分小さい感じである。


参道がぐるっと曲がる角に大地のへそ(オンファロス)が置かれているが、これは複製。

アテナ人の宝庫
参道にずらっと並んでいた各ポリスの宝庫のうち、唯一アテナ人の宝庫がほぼ完全に復元されている。


宝庫の南壁の大理石の白いところには、もともとはマラトンの戦いの献辞やアポロン讃歌があったところで、今は博物館に展示されている。


観光客が参道を登っていく。

さらに、参道を登っていくと、アポロンの神殿である。神殿の遺跡は柱が6本復元されているだけで土台しか残っていないが、当時は神殿の長さは60m,幅が23mで、38本のドリア式列柱が並ぶ壮大な神殿であった。


アポロン神殿の想像図
紀元前6世紀には既にこの場所に神殿が建てられてアポロンの神託は全世界に広まり、デルフィーは富と名声を得ていたが、今、残っている神殿遺跡は紀元前370年頃のものとのこと。神殿のプロナオス(前室)には、‘汝自身を知れ’という格言が刻まれていたと言われ、当時の人々の精神の豊かさを想いながら神殿の跡を眺める。


アポロンの神殿跡


アポロンの神殿から4~5分、上方に歩いて行くと劇場がある。35段、5000人を収容する劇場で保存状態もよい。

競技場跡
さらに10分ほど急な坂道を登ると競技場がある。
それまでこの地を支配していた大蛇ピュトーンを退治して、アポロンが神託の主になったが、アポロンは大蛇をヘソの石の下に埋め、大蛇を供養するお祭を行っていた、ピューティア祭といい、オリンピアのオリンピック競技に劣らないおおきなイベントであった。
スポーツは競技場で、詩や楽器の演奏は劇場で行われた。全ポリスから参加し、勝者には月桂樹の冠が与えられていたという。

アポロン神殿の観光を終え、デルフィーの町で昼食となる。パルナッソ山の斜面に広がる町だけに、レストランの左前方、深い谷の向うには石灰岩が吹き出た岩山、正面を見下ろすと一面、オリーブの林、遠くに光るコリントス湾の眺めなど、絶景。ギリシャ風煮込み料理のボリュームもさることながら、これだけでもデルフィーに来た価値あると皆さんの評判がよろしい。

4日目 デルフィー

デルフィー博物館

ギリシャ旅行4日目  デルフィー博物館

デルフィーの遺跡は1892年からフランスの考古学チームによって発掘調査が行われたものだが、当時、遺跡の上には住民が住んでいたので、まず、住民を移転させなくてはいけないので、発掘はアポロン神殿の聖域に止め、デルフィーの町は発掘されていない。


デルフィー博物館

発掘調査の最大の目的は神託の証拠を得ることであったが、アポロン神殿は破損が激しく神託の痕跡を見つけることは出来なかったらしい、けれどもそれに有り余る貴重な発見があり、デルフィー博物館に展示されている。
デルフィー博物館はデルフィーで発見された遺物の展示なので、こじんまりとした博物館である。
ギリシャでは、小さな島々で発見された遺物以外は、発見された現地の博物館に原則として展示するようにしているとのこと。小さな島々の遺物はアテネの国立考古学博物館に纏めて展示されているそうだ。

このツアーのガイドは現地合流のようだが、デルフィーのガイドさんは10分ほど遅れて現れる。ギリシャではあまり時間にこだわらないようだ。英語のガイドらしいが添乗員がしっかりしているので心配はいらない。

シフノス人の宝庫の部屋


スフィンク

アポロン神殿に通じる参道の両側には、神託のお陰で勝利したポリスが戦利品などを格納する宝庫や記念物が並んでいたとのことで、シフノス人の宝庫はその1つである。部屋に入ると、中央にスフィンクが展示されている。2mを超える大きな像は胴と足はライオン、羽根と胸は鳥、そして人間の女性の顔を持っていて、口元が僅かに微笑むアルカイックスマイルをしている。アポロン神殿の真下あたり、12mの柱(台座)の上に乗っていた。オイディプスの悲劇の話を聞いた後なので、スフィンクはテーベのポリスが寄進したものと思っていたが、このスフインクスはナクソスのスフインクスと言われ、ナクソス人の寄進によるものである。

ギリシャ島しょ部地図
シフノスやナクソスはサントリーニ島やミコノス島があるキクラデス諸島のうちの小島だが、こうした寄進ができる財力と文化に驚かされる。
エーゲ海の島にスフインクスの言い伝えがあることは、スフインクスの起源が小アジアあたりにあるということなのだろうか。


シフノス人の宝庫のレリーフ…トロイ戦争でトロイ側についた神々、アフロディーテがアポロンとアルテミスと話している。左の隅っこはアレス、右端はゼウス。


シフノス人の宝庫のレリーフ…ギリシャ側についた神々、アテナ、ヘラ、デメル。ポセイドンは消失している。

兵士が持っている盾…僅かに彩色が残っている。


ギガントマキア…アポロンとアルテミスが巨人族と戦っている。


破風のレリーフ…アポロンとヘラクレスがピティア(巫女)の床几を取り合っている。ヘラクレスは神託を断られて激怒している。

部屋を囲んで、シフノス人の宝庫から発掘されたトロイ戦争、ギガントマキア、3美神のフリーズや破風の彫刻などが展示されている。
トロイ戦争の物語では戦の様子や、椅子に座り戦いを見守る神々が描かれている。左にトロイ側についたアレス、アポロンやアルテミスと話しているアフロディーテ。
ゼウスは真ん中に座り(頭部が欠けている)、右にはギリシャ側についたアテネ、ポセイドン、ヘラ、デメテルなどらしい。兵士の持っている盾には僅かに色がのこっている、当時は鮮やかに彩色されていたとガイドさん説明。
ギガントマキア(オリンポスの神々と巨人族との戦い)の場面では、ヘラクレスや長いスカートを履いたアポロン、半分のスカートをはいている髪型で女性と分かるアルテミス。ヘラや盾を持っている戦いの神、アテナなど。
続いて、トロイ戦争の原因になった美人コンテストの3美神。ヘラ、アテナ、アフロディーテと審判のパリスが描かれているとのことだが、保存状態は悪く判別し難い。

破風にはヘラクレスとアポロンが巫女の3本足の鼎(祭壇)を取り合い、真ん中のゼウスが仲裁している様子が描かれている。ヘラクレスが怒っているのは巫女に神託を拒否されたためで、ヘラクレスがイフィトス殺しのあと、まだ清めを受けていないためらしい。
それで、ヘラクレスは自身で神託を受けようとして鼎を取ろうとしているのである。
アポロンを後で支えているのは勿論アルテミスである。

ベルリンのペルガモン博物館のギガントマキアはヘレニズム時代のもので、フリーズの高さも2倍もあるので、ペルガモンに比べるとシフノス人の宝庫は躍動感、迫力では劣るようだ。しかし300年も時代差があり、このような宝庫を奉納した小さな島の財力と文化の高さにあらためて驚かされる。

クーロス(青年の像)の部屋


部屋の中央に2mを超える2体の青年像が立っている。クレオビスとビトンの兄弟で、牛の代わりに車を引いて巫女である母をヘラ神殿まで運び、その栄誉として神殿のなかで永遠の眠りについたと言われている。
口元をすこしひらき、口の端がきゅっとあがり微笑んでいるようなアルカイックスマイルと言われる彫刻様式。ふとももやふくらはぎなど肉体美である。

雄牛の部屋


アポロン像

アルテミス像

アポロンとアルテミスの像、胴体の部分はなくなっていて頭部だけが残っている。象牙で作られ、毛髪、衣服は金の装飾がほどこされているが、黒ずんでいてちょっと怖い感じである。目は七宝焼き、眼球が色のついた石の象嵌で、睫毛が一本一本、 上も下もはっきり作られている。ブレスレットやネックレスもつけているようだ。

デルフィー博物館 つづき

アテネ人の宝庫の南壁に刻まれていた、アテネがマラトンの戦いでペルシャに勝利した感謝のしるしとしてアポロン神に宝庫を捧げるとの‘献辞’や‘アポロン讃歌’。アポロン讃歌には楽譜がついているらしい。
パンクラチオンというボクシングとレスリングを折衷したような古代オリンピック競技者‘アギアス’の均整のとれた青年の肉体美が写実的に表現された古典期の彫刻。

アポロンが左手で竪琴を弾き、右手でワインを大地に注いでいる絵が描かれた‘キリックス’。


14mの柱の上のアカンサスの葉の上の3人の踊り子像。踊り子は酒神デオニソスのイベントの前座で活躍したとの添乗員の説明。

オンファロス
釣鐘のような‘大地のヘソ(オンファロス)’。オンファロスはローマかヘレニズム時代の作らしい。

デオニセス像

などを見て回る。

ブロンズの御者像


最後の部屋のブロンズ像の御者は紀元前4世紀ころの作品。4頭だての戦車の手綱を引いている姿で、青銅像の最高傑作と言われている。シチリアのポリザロス王が戦車競争に優勝したお礼に奉納したもの。
服装の流れるようなドレープ、襞。手綱を引いている手の指の感覚や足首のところは血管が浮いて見え、微妙に力を入れているところや入れていないところも見て取れる。
手綱を引いている右腕の筋肉には肉感があり、頭には鉢巻、もみあげがあり髪型は当時のはやりのとのこと。目は七宝、睫毛は1本1本植えられ、まっすぐ正面を見つめている。
高貴な青年像である。

アポロン神殿遺跡

博物館の見学を終え、アポロンの神殿に向かう。
入口から石段を登ると、曲がりくねった参道が続き、古代の参拝者が歩いたと同じようにアポロンの神殿に向かって登っていく。参道の両脇にはポリスの宝庫や記念碑がずらりと並んでいたということだが、今では宝庫の台座の石だけが残っている状態なので、当時を目にうかべるにはよっぽどの想像力を働かせないといけない。

シフノス人の宝庫の台座はここですと教えてもらうが、ずい分小さい感じである。
参道がぐるっと曲がる角に大地のへそ(オンファロス)が置かれているが、これは複製。
参道にずらっと並んでいた各ポリスの宝庫のうち、唯一アテナ人の宝庫がほぼ完全に復元されている。宝庫の南壁の大理石の白いところには、もともとはマラトンの戦いの献辞やアポロン讃歌があったところで、今は博物館に展示されている。

さらに、参道を登っていくと、アポロンの神殿である。神殿の遺跡は柱が6本復元されているだけで土台しか残っていないが、当時は神殿の長さは60m,幅が23mで、38本のドリア式列柱が並ぶ壮大な神殿であった。
紀元前6世紀には既にこの場所に神殿が建てられてアポロンの神託は全世界に広まり、デルフィーは富と名声を得ていたが、今、残っている神殿遺跡は紀元前370年頃のものとのこと。神殿のプロナオス(前室)には、‘汝自身を知れ’という格言が刻まれていたと言われ、当時の人々の精神の豊かさを想いながら神殿の跡を眺める。

アポロンの神殿から4~5分、上方に歩いて行くと劇場がある。35段、5000人を収容する劇場で保存状態もよい。さらに10分ほど急な坂道を登ると競技場がある。
それまでこの地を支配していた大蛇ピュトーンを退治して、アポロンが神託の主になったが、アポロンは大蛇をヘソの石の下に埋め、大蛇を供養するお祭を行っていた、ピューティア祭といい、オリンピアのオリンピック競技に劣らないおおきなイベントであった。
スポーツは競技場で、詩や楽器の演奏は劇場で行われた。全ポリスから参加し、勝者には月桂樹の冠が与えられていたという。

アポロン神殿の観光を終え、デルフィーの町で昼食となる。パルナッソ山の斜面に広がる町だけに、レストランの左前方、深い谷の向うには石灰岩が吹き出た岩山、正面を見下ろすと一面、オリーブの林、遠くに光るコリントス湾の眺めなど、絶景。ギリシャ風煮込み料理のボリュームもさることながら、これだけでもデルフィーに来た価値あると皆さんの評判がよろ

6日目 リマ

プラザ・マヨール、天野博物館

メキシコ、アルゼンチン、ペルー旅行5日目

ベノスアイレス~リマ

今日のモーニングコールは3時15分、ホテル出発が4時でだんだんとスケジュールが厳しくなってくる。
7時5分発のリマ行きアルゼンチン航空、4時間半ほどのフライトである。出発が1時間ほど遅れ、時差が2時間、リマ到着は10時半となる。

リマ市内観光

リマのガイドさんは60才前後の男性、名前からすると沖縄出身のようだ。サービス精神旺盛なのか添乗員の仕事まで引き受けている。

プラザ・マヨールの正面に大統領官邸


衛兵の交代


大聖堂


市庁舎
リマは旧市街と新市街に分かれていて、旧市街の中心はプラザ・マヨール(中央広場)で、大聖堂や市庁舎、大統領官邸などが取り囲んでいる。飛行機が遅れたのが幸いして、12時に行われる大統領官邸での衛兵の交代式に出くわすが、ヨーロッパの衛兵交代に比べてずいぶん簡略化しているようだ。


サン・マルティン広場


サン・マルティン将軍の騎馬像

旧市街のもう1つの中心はサン・マルティン広場で、サン・マルティン将軍の騎馬像が立っている。ガイドさんによればサン・マルティン将軍はアルゼンチンの将軍で、ベネズエラのシモン・ボリバル将軍と共にペルー独立の立役者なのだそうだ。

南米の植民地ではベネズエラが最初に独立し、アルゼンチンなどが続いたが、ペルーはスペインの南米最初の植民地でもありスペイン人も多いので、ここが独立しないと再征服されるおそれがあるということで独立を果たした国々がペルー軍を支援して戦ったとのこと。1821年にペルーの独立を宣言したのもサン・マルティン将軍で、アカ・シロ・アカの国旗を決めたのも将軍である。

独立宣言後も勢力を保っていたスペイン軍を撃破し事実上の独立を果たしたのはシモン・ボリバル将軍で、将軍の銅像は国会議事堂の前の広場に立っている。


国旗
について言えば、公共施設ではシロ地のところに紋章が付いている旗を掲げることになっており、紋章はペルーの動物、植物、鉱物界を代表するビクーニャ、キーナの木と金がデザインされているのだそうだ。ビクーニャはアンデスの4000mの高地に生息するアルパカより一回り小さい動物で数が少なくなっているので政府が保護をしている。世界一繊維の細い高級自然毛で知られ、たしか日本ではビクーニャの毛布は300万円以上するはず。庶民が手を出す代物ではない。

キーナはジャングル原産でミルクと同じ栄養が含まれていて、今でも先住民の母親はスープにして子供に与えているとのこと。


旧市街の端に最高裁判所があるが、この隣のブロックは偽造専門通りと言われ、免許証や医者、弁護士のライセンスなど何でも1週間で揃うそうだ。最高裁判所の隣が偽造専門通りとはなんとも皮肉であるがペルーらしいとガイドさんのコメント。広島で幼児を殺害した男もここで偽造パスポートを手に入れたのだろうか。

新市街に入り土産話にでもと、日本大使公邸跡や、いかにも金を掛けたと思われる新大使公邸を見る。
海岸に近づくと、霧がだんだんと濃くなってくる。ガイドさんによるとペルー海岸はフンボルト寒流の影響で上昇気流が弱く霧になってしまい、年間数十ミリしか雨が降らないそうだ。

年間数十ミリしか雨が降らない海岸の砂漠地帯にあるリマが800万人の人口を擁する大都会とは不思議であるが、夏はアンデスの山地が雨季になり川が涸れることがないし、アンデスの雪解け水が伏流水となって砂漠の下を流れていて、この豊かな地下水が大都会の生活を支えているのだそうだ。

天野博物館

天野芳太郎さん(1982年没)は南米で広く実業家として活躍されたる傍ら、ペルーのチャンカイ文化などを研究した人で、博物館は天野さんが収集した土器、織物などを展示している。天野さんはリマの名誉市民にも選ばれていて、はるか地球の裏側にも尊敬を受けている日本人がいるのはなんとも誇らしい。

博物館職員から、最初に地図の模型でアンデスの地理的特徴やプレ・インカの文明の説明がある。紀元前1000年頃にチャビンという最初の文明が興り、神殿や神々の像の土器などから宗教的支配が行われた社会であった。現在のペルーの海岸、高地の広い範囲に及んでいたと考えられている。

紀元前後にはチャビン文明は衰退し、ナスカなど地方文化が続き、紀元600年頃から1000年にかけてはワリという文明、紀元1400年頃のインカに続いた。

ナスカの地上絵は、農耕、特に水に関係があり、雨を降らしてほしいと天上の神々に祈るためのものと言う職員の説明は興味深いし、分かり易い。

チャンカイ文化はワリ文明が滅んだあとの地方文化の時代、紀元1100~1400年頃で土器と織物に特徴があると言うことで、まず土器の展示をみて回る。白地に黒の単調な色彩の土器はさるや魚など動物がユーモラスに描かれ、酒を注ぐと音が出る仕掛けの土器など平和な文化が読み取れる。


隣の部屋は織物で、引き出しからだされる木綿や毛織物のレースや絣などデザインも新鮮で、さらに絞りまであるのには驚かされる。壁にはキープが飾ってある。博物館は撮影禁止なので絵葉書をたくさん買わなくてはと思っていたが6枚セットのものしかなく残念。

3日目 メキシコシティ

テンプロ・マヨール、テンプロ・マヨール博物館、カテドラル

メキシコ、アルゼンチン、ペルー旅行3日目 メキシコ観光

今日はメキシコからアルゼンチンに移動する日であるが、フライトが夕方なので1時半までフリータイムとなる。

ホテルのコンセルジェにカテドラルの後陣の方には行けなかったと話すと、ミサは12時から始まるので午前中は奥に入れるはずだという返事、テンプロ・マヨールも見たい、どこまで乗っても2ペソという地下鉄に乗るのも面白い、ということでホテルを出発する。


フォルマ通り

ナポレオン3世に派遣されたマクシミリアン皇帝がシャンジェリジェに似せて造ったと言われるレフォルマ通りを10分ほど歩き、イダルゴ駅で地下鉄2号線に乗れば3つ目がソカロである。地下鉄の車両はそんなに古いという感じではなく、気になるのはドアーが閉まるのが少し早いようだ。ラッシュ時間の混雑は大変と思う。

テンプロ・マヨール


1978年に電力会社の作業員達が地中ケーブルを敷設している時、直径3m、重さ8tもある石板を発見した。この石板はアステカ神話でも重要なウィツィロポチトリの妹、月の神コヨルシャウキの彫像であることが分かり、発掘プロジェクトが進むと遺跡はアステカ帝国のテノチティトラン神殿であることが判明した。

入場料は博物館の入館料込みで45ペソ、入口の係員がチケットも売っている。
ペソは持っていないのでUSドルでもいいかと聞くと渋っていたが、5ドルを押し付けてなんとか入れて貰う。


生贄の心臓の切り取りに使った台


ケツアルカトル


チャック・モール


髑髏

いくつかの神殿の跡と思われる石積みや蛇の頭、生贄の心臓の切り取りに使用したと思われる台、チャック・モール像などを見て回り、北側のほこらの処にはよく見ると祭壇には髑髏がびっしりと彫刻されていてびっくり、あらためて生贄の本丸にのりこんだ気になる。

テンプロ・マヨール博物館

博物館は4階建てで、その内3階が発掘された遺物の展示に使われている。

主神殿模型


双子の神殿のピラミッド内部

入口ホールには主神殿模型があり、神殿の内部も分かるようになっている。ピラミッドは幅100m、奥行き80m、神殿の高さは30mほどであったと考えられていて、双子の神殿は右にトラロック神殿、左がウィツィロポチトリ神殿である。

ウィツィロポチトリの神殿で毎日のように行われた生贄の儀式では、4人の神官が生贄の手足を押さえ、もう一人が喉を押さえる。そして最後の一人が胸を切り裂いて心臓を取り出し、動いている心臓をウィツィロポチトリに捧げたと言われている。

何万人もの人がアステカの生贄の犠牲にされ、コルテスの使者が神殿を訪れた時には神殿の階段は血に染まり異臭が漂う異様な風景であったという。

ウィツィロポチトリ展示室

アステカの守護神、ウィツィロポチトリは太陽に血を供給し、戦いの神でもあるが、人類学博物館で見た異様な面体のコアトリクエの息子なのだそうだ。

鷲の戦士


鷲の戦士は170cmほどの像が2体、鷲の頭の形のかぶとを被り、腕には翼をつけいかにも勇壮なアステカの戦士といった感じである。

コヨルシャウキ


これが有名なコヨルシャウキ像…直径3.6m、重さが8トンもある


コヨルシャウキの解説盤
コヨルシャウキは兄のウィツィロポチトリに投げ捨てられたと言われ、直径3mの像は首を切られ手足を切断された月の女神を手足から流れる血や骨の関節を表していると言う。ウィツィロポチトリとコヨルシャウキの話は月の満ち欠けを暗示しているようだ。

トラロック室

トラロックはメソアメリカの神々のうちで最も古く、テオティワカンでは主神と信仰されていた。雨の神であり肥沃豊穣の神でもあるトラロックはアステカにおいてもウィツィロポチトリと同等の地位を与えられている。


人類学博物館ではトラロックはがらくたの寄せ集めのような感じであったが、ガラスケースに入れて展示されているトラロックの壷に表されているトラロックは頭飾りやペンダントを付け、美しい水色に彩色されている。命の源を表しているのだろうか。


チャック・モール像…チャック・モールの抱える皿は人身御供で取り出された心臓を置く皿。


チャック・モール像には少し慣れてきたが、骸骨を竿にさしている展示には気分が悪くなる。で、博物館の見物はお開きに。

メトロポリタン・カテドラル


ムリリョ…

主祭壇

今日は自由に奥の方も見ることが出来る。後陣に飾られているというムリリョの‘市会礼拝堂’は壁の高い所にあり、折角の名画をよくみられなかったのは残念。

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