今日はメキシコからアルゼンチンに移動する日であるが、フライトが夕方なので1時半までフリータイムとなる。

ホテルのコンセルジェにカテドラルの後陣の方には行けなかったと話すと、ミサは12時から始まるので午前中は奥に入れるはずだという返事、テンプロ・マヨールも見たい、どこまで乗っても2ペソという地下鉄に乗るのも面白い、ということでホテルを出発する。

ナポレオン3世に派遣されたマクシミリアン皇帝がシャンジェリジェに似せて造ったと言われるレフォルマ通りを10分ほど歩き、イダルゴ駅で地下鉄2号線に乗れば3つ目がソカロである。地下鉄の車両はそんなに古いという感じではなく、気になるのはドアーが閉まるのが少し早いようだ。ラッシュ時間の混雑は大変と思う。

テンプロ・マヨール

1978年に電力会社の作業員達が地中ケーブルを敷設している時、直径3m、重さ8tもある石板を発見した。この石板はアステカ神話でも重要なウィツィロポチトリの妹、月の神コヨルシャウキの彫像であることが分かり、発掘プロジェクトが進むと遺跡はアステカ帝国のテノチティトラン神殿であることが判明した。

入場料は博物館の入館料込みで45ペソ、入口の係員がチケットも売っている。
ペソは持っていないのでUSドルでもいいかと聞くと渋っていたが、5ドルを押し付けてなんとか入れて貰う。

見学用の通路が渡してあり、要所々にはスペイン語と英語の説明がある。いくつかの神殿の跡と思われる石積みや蛇の頭、生贄の心臓の切り取りに使用したと思われる台、チャック・モール像などを見て回り、北側のほこらの処にはよく見ると祭壇には髑髏がびっしりと彫刻されていてびっくり、あらためて生贄の本丸にのりこんだ気になる。

テンプロ・マヨール博物館

博物館は4階建てで、その内3階が発掘された遺物の展示に使われている。
入口ホールには主神殿模型があり、神殿の内部も分かるようになっている。ピラミッドは幅100m、奥行き80m、神殿の高さは30mほどであったと考えられていて、双子の神殿は右にトラロック神殿、左がウィツィロポチトリ神殿である。

ウィツィロポチトリの神殿で毎日のように行われた生贄の儀式では、4人の神官が生贄の手足を押さえ、もう一人が喉を押さえる。そして最後の一人が胸を切り裂いて心臓を取り出し、動いている心臓をウィツィロポチトリに捧げたと言われている。

何万人もの人がアステカの生贄の犠牲にされ、コルテスの使者が神殿を訪れた時には神殿の階段は血に染まり異臭が漂う異様な風景であったという。

ウィツィロポチトリ展示室

アステカの守護神、ウィツィロポチトリは太陽に血を供給し、戦いの神でもあるが、人類学博物館で見た異様な面体のコアトリクエの息子なのだそうだ。

鷲の戦士

鷲の戦士は170cmほどの像が2体、鷲の頭の形のかぶとを被り、腕には翼をつけいかにも勇壮なアステカの戦士といった感じである。

コヨルシャウキ

コヨルシャウキは兄のウィツィロポチトリにて投げ捨てられたと言われ、直径3mの像は首を切られ手足を切断された月の女神を手足から流れる血や骨の関節を表していると言う。ウィツィロポチトリとコヨルシャウキの話は月の満ち欠けを暗示しているようだ。

トラロック室

トラロックはメソアメリカの神々のうちで最も古く、テオティワカンでは主神と信仰されていた。雨の神であり肥沃豊穣の神でもあるトラロックはアステカにおいてもウィツィロポチトリと同等の地位を与えられている。

人類学博物館ではトラロックはがらくたの寄せ集めのような感じであったが、ガラスケースに入れて展示されているトラロックの壷に表されているトラロックは頭飾りやペンダントを付け、美しい水色に彩色されている。命の源を表しているのだろうか。

チャック・モール像には少し慣れてきたが、骸骨を竿にさしている展示には気分が悪くなる。で、博物館の見物はお開きに。

メトロポリタン・カテドラル

今日は自由に奥の方も見ることが出来る。後陣に飾られているというムリリョの‘市会礼拝堂’は壁の高い所にあり、折角の名画をよくみられなかったのは残念。