デルフィー博物館 つづき

アテネ人の宝庫の南壁に刻まれていた、アテネがマラトンの戦いでペルシャに勝利した感謝のしるしとしてアポロン神に宝庫を捧げるとの‘献辞’や‘アポロン讃歌’。アポロン讃歌には楽譜がついているらしい。
パンクラチオンというボクシングとレスリングを折衷したような古代オリンピック競技者‘アギアス’の均整のとれた青年の肉体美が写実的に表現された古典期の彫刻。
アポロンが左手で竪琴を弾き、右手でワインを大地に注いでいる絵が描かれた‘キリックス’。
14mの柱の上のアカンサスの葉の上の3人の踊り子像。踊り子は酒神デオニソスのイベントの前座で活躍したとの添乗員の説明。
釣鐘のような‘大地のヘソ(オンファロス)’。オンファロスはローマかヘレニズム時代の作らしい。
などを見て回る。

ブロンズの御者像

最後の部屋のブロンズ像の御者は紀元前4世紀ころの作品。4頭だての戦車の手綱を引いている姿で、青銅像の最高傑作と言われている。シチリアのポリザロス王が戦車競争に優勝したお礼に奉納したもの。
服装の流れるようなドレープ、襞。手綱を引いている手の指の感覚や足首のところは血管が浮いて見え、微妙に力を入れているところや入れていないところも見て取れる。
手綱を引いている右腕の筋肉には肉感があり、頭には鉢巻、もみあげがあり髪型は当時のはやりのとのこと。目は七宝、睫毛は1本1本植えられ、まっすぐ正面を見つめている。
高貴な青年像である。

アポロン神殿遺跡

博物館の見学を終え、アポロンの神殿に向かう。
入口から石段を登ると、曲がりくねった参道が続き、古代の参拝者が歩いたと同じようにアポロンの神殿に向かって登っていく。参道の両脇にはポリスの宝庫や記念碑がずらりと並んでいたということだが、今では宝庫の台座の石だけが残っている状態なので、当時を目にうかべるにはよっぽどの想像力を働かせないといけない。

シフノス人の宝庫の台座はここですと教えてもらうが、ずい分小さい感じである。
参道がぐるっと曲がる角に大地のへそ(オンファロス)が置かれているが、これは複製。
参道にずらっと並んでいた各ポリスの宝庫のうち、唯一アテナ人の宝庫がほぼ完全に復元されている。宝庫の南壁の大理石の白いところには、もともとはマラトンの戦いの献辞やアポロン讃歌があったところで、今は博物館に展示されている。

さらに、参道を登っていくと、アポロンの神殿である。神殿の遺跡は柱が6本復元されているだけで土台しか残っていないが、当時は神殿の長さは60m,幅が23mで、38本のドリア式列柱が並ぶ壮大な神殿であった。
紀元前6世紀には既にこの場所に神殿が建てられてアポロンの神託は全世界に広まり、デルフィーは富と名声を得ていたが、今、残っている神殿遺跡は紀元前370年頃のものとのこと。神殿のプロナオス(前室)には、‘汝自身を知れ’という格言が刻まれていたと言われ、当時の人々の精神の豊かさを想いながら神殿の跡を眺める。

アポロンの神殿から4~5分、上方に歩いて行くと劇場がある。35段、5000人を収容する劇場で保存状態もよい。さらに10分ほど急な坂道を登ると競技場がある。
それまでこの地を支配していた大蛇ピュトーンを退治して、アポロンが神託の主になったが、アポロンは大蛇をヘソの石の下に埋め、大蛇を供養するお祭を行っていた、ピューティア祭といい、オリンピアのオリンピック競技に劣らないおおきなイベントであった。
スポーツは競技場で、詩や楽器の演奏は劇場で行われた。全ポリスから参加し、勝者には月桂樹の冠が与えられていたという。

アポロン神殿の観光を終え、デルフィーの町で昼食となる。パルナッソ山の斜面に広がる町だけに、レストランの左前方、深い谷の向うには石灰岩が吹き出た岩山、正面を見下ろすと一面、オリーブの林、遠くに光るコリントス湾の眺めなど、絶景。ギリシャ風煮込み料理のボリュームもさることながら、これだけでもデルフィーに来た価値あると皆さんの評判がよろしい。