デルフィー博物館

デルフィーの遺跡は1892年からフランスの考古学チームによって発掘調査が行われたものだが、当時、遺跡の上には住民が住んでいたので、まず、住民を移転させなくてはいけないので、発掘はアポロン神殿の聖域に止め、デルフィーの町は発掘されていない。

発掘調査の最大の目的は神託の証拠を得ることであったが、アポロン神殿は破損が激しく神託の痕跡を見つけることは出来なかったらしい、けれどもそれに有り余る貴重な発見があり、デルフィー博物館に展示されている。
デルフィー博物館はデルフィーで発見された遺物の展示なので、こじんまりとした博物館である。
ギリシャでは、小さな島々で発見された遺物以外は、発見された現地の博物館に原則として展示するようにしているとのこと。小さな島々の遺物はアテネの国立考古学博物館に纏めて展示されているそうだ。

このツアーのガイドは現地合流のようだが、デルフィーのガイドさんは10分ほど遅れて現れる。ギリシャではあまり時間にこだわらないようだ。英語のガイドらしいが添乗員がしっかりしているので心配はいらない。

シフノス人の宝庫の部屋

アポロン神殿に通じる参道の両側には、神託のお陰で勝利したポリスが戦利品などを格納する宝庫や記念物が並んでいたとのことで、シフノス人の宝庫はその1つである。部屋に入ると、中央にスフィンクが展示されている。2mを超える大きな像は胴と足はライオン、羽根と胸は鳥、そして人間の女性の顔を持っていて、口元が僅かに微笑むアルカイックスマイルをしている。アポロン神殿の真下あたり、12mの柱(台座)の上に乗っていた。オイディプスの悲劇の話を聞いた後なので、スフィンクはテーベのポリスが寄進したものと思っていたが、このスフインクスはナクソスのスフインクスと言われ、ナクソス人の寄進によるものである。
シフノスやナクソスはサントリーニ島やミコノス島があるキクラデス諸島のうちの小島だが、こうした寄進ができる財力と文化に驚かされる。
エーゲ海の島にスフインクスの言い伝えがあることは、スフインクスの起源が小アジアあたりにあるということなのだろうか。

部屋を囲んで、シフノス人の宝庫から発掘されたトロイ戦争、ギガントマキア、3美神のフリーズや破風の彫刻などが展示されている。
トロイ戦争の物語では戦の様子や、椅子に座り戦いを見守る神々が描かれている。左にトロイ側についたアレス、アポロンやアルテミスと話しているアフロディーテ。
ゼウスは真ん中に座り(頭部が欠けている)、右にはギリシャ側についたアテネ、ポセイドン、ヘラ、デメテルなどらしい。兵士の持っている盾には僅かに色がのこっている、当時は鮮やかに彩色されていたとガイドさん説明。
ギガントマキア(オリンポスの神々と巨人族との戦い)の場面では、ヘラクレスや長いスカートを履いたアポロン、半分のスカートをはいている髪型で女性と分かるアルテミス。ヘラや盾を持っている戦いの神、アテナなど。
続いて、トロイ戦争の原因になった美人コンテストの3美神。ヘラ、アテナ、アフロディーテと審判のパリスが描かれているとのことだが、保存状態は悪く判別し難い。

破風にはヘラクレスとアポロンが巫女の3本足の鼎(祭壇)を取り合い、真ん中のゼウスが仲裁している様子が描かれている。ヘラクレスが怒っているのは巫女に神託を拒否されたためで、ヘラクレスがイフィトス殺しのあと、まだ清めを受けていないためらしい。
それで、ヘラクレスは自身で神託を受けようとして鼎を取ろうとしているのである。
アポロンを後で支えているのは勿論アルテミスである。

ベルリンのペルガモン博物館のギガントマキアはヘレニズム時代のもので、フリーズの高さも2倍もあるので、ペルガモンに比べるとシフノス人の宝庫は躍動感、迫力では劣るようだ。しかし300年も時代差があり、このような宝庫を奉納した小さな島の財力と文化の高さにあらためて驚かされる。

クーロス(青年の像)の部屋

部屋の中央に2mを超える2体の青年像が立っている。クレオビスとビトンの兄弟で、牛の代わりに車を引いて巫女である母をヘラ神殿まで運び、その栄誉として神殿のなかで永遠の眠りについたと言われている。
口元をすこしひらき、口の端がきゅっとあがり微笑んでいるようなアルカイックスマイルと言われる彫刻様式。ふとももやふくらはぎなど肉体美である。

雄牛の部屋

アポロンとアルテミスの像、胴体の部分はなくなっていて頭部だけが残っている。
象牙で作られ、毛髪、衣服は金の装飾がほどこされているが、黒ずんでいてちょっと怖い感じである。目は七宝焼き、眼球が色のついた石の象嵌で、睫毛が一本一本、 上も下もはっきり作られている。ブレスレットやネックレスもつけているようだ。