世界のえーとこ見に行こう!!   

ご用とお急ぎのない方は、ごゆっくりどうぞ。

スポット: 美術館・博物館 (9ページ / 13ページ)

2日目 メキシコシティ

国立人類学博物館

メキシコ、アルゼンチン、ペルー旅行2日目 メキシコ観光

国立人類学博物館


テオティワカンの観光を終え、市内に戻り国立人類学博物館に。
博物館は周囲を回るのに車で1時間もかかる広大なチャプルペック公園のなかにある。吊り屋根を支える柱の周りを水が降り注ぐ水のオブジェのある中庭を囲むように建物が建てられていて、1階が考古学、2階は民族学の展示フロアーとなっている。

考古学は人類学とメソアメリカの入門コーナーに始まり時代や地域別に12室に亘って展示されている。ゆっくり見学するには2、3日かかるところを2時間で回るのでテオティワカン、アステカとマヤ室を駆け足でみることになる。

テオティワカン室

この部屋の見ものはケツアルコアトルのピラミッドの復元である。彩色されたケツアルコアトルとトラロックが交互に並んでいる。


ケツアルコアトル


トラロック

ケツアルコアトルはジャガーと蛇ととりが一体になっている。ジャガーの鼻と牙を持ち羽毛が生えているケツアルコアトルは水の神であり、蛇行しているような模様はへびの胴体で、たくさんの雨が降ってできた川をへびに見立てて表現しているそうだ。

隣のがらくたを集めたような奇妙な顔をしているのが、雨の神であり豊穣の神様でもあるトラロックである。テオティワカンではトラロックが主神であった。

ケツアルコアトルのピラミッドの内部で人骨が見つかり、後ろ手に縛られて人柱にされたものと考えられているがアステカの生贄のように心臓を切り取ったりはしていないという。

雨の女神チャルチュトリクエ


部屋の真ん中に立つ2mを超える巨像、月のピラミッドの前で発掘された。

太陽の円盤


不気味な髑髏は太陽神トナティウを表しているのだそうだ、太陽のピラミッドの前で発見された。


蓋付き香炉 ケツアル蝶、水を差す円環・貝や羽毛で装飾されている。

土器はテオティワカン様式の3脚土器や装飾豊かな香炉の蓋やなど。たかが香炉の蓋にまで豊かな装飾を施すほどテオティワカンは精神が豊かであったとガイドさん。

ティカル王の碑


ティカル王シャフ・チャンマヤのティカル王シャフ・チャン・カウィール2世の碑の側面に刻まれている父親のアイーン1世はテオティワカンの戦士の姿をしていてガテマラ地域にまでテオティワカンの勢力が及んでいたことを示しているそうだ。

アステカ室

太陽の石(アステカカレンダー)


太陽の石はメキシコが世界に誇る発見といわれ、直径が3.6mの円盤である。
中央には太陽神、その周りにある4角形の文様は今まで経てきた宇宙のサイクルを表していて、ジャガー、風、火の雨、水の4つの太陽が次々に生まれ、それぞれ滅んできたことを表しているとのこと。現在はケツアルコアトルによって創造された5番目の太陽の時代であるという、地震によって滅びることになるらしい。

この太陽は石のナイフの形をした舌を出し、人間の血と心臓を要求している。

アステカでは太陽は、昼は天にはばたく鷲として光と熱を放つが、夜になると活力が衰えきてジャガーとなって地下の闇をうろつき、太陽神に活力を与えてまた明日も昇らせるためには人間の心臓と血を捧げることが必要だと考えられていた。

血と心臓が捧げられた後、生贄は首を切り落とされ物干しのような棒に串刺しにされ、胴体は祭壇の下に投げ落とされたそうだ。

暦は20日を1カ月とし18カ月プラス5日の365日の太陽暦と260日の暦があり、祭事には260日の暦、農耕は太陽暦に従って行われた。52年毎に2つの暦は一新する。

コアトリクエ像

太陽の石の左手に展示されているコアトリクエ像はなんとも異様な面体である。


頭は鱗で覆われ、小さく丸い目は穏やかだが4本の巨大な牙と先割れした蛇の舌を出している。よく見ると胸には切り取られた人間の手と心臓が交互に並び、真ん中にぶら下げている頭蓋骨から落ちる2筋の血流は蛇の形をしている。

さらに無数の蛇が絡み合っているように織られたスカートをはいている。これで大地の女神、豊穣の神様なのだそうだ。

ジャガーの像


太陽の石の前方に展示されているジャガー像は迫力満点と感心していたら、背中に穴がありアウシカリと呼ばれる生贄の心臓を入れる容器と聞いてびっくり。

円筒型石碑


円筒型石碑の側面


巨大な円筒型石碑はティソク族を征服した時の記念碑なのだそうだが、上にあがってみると、溝が掘られていて切り取った心臓の血を流すようになっている。

ショチピリ像


ショチピリ像は花の王子らしいが、その容貌は戦士のように精悍である。


小物コレクション


マヤ文字


マヤ数字 20進法です これはイクツでしょう

球技


アステカ室への通路にサッカーボール大の球が展示されている。


球技に使われたリング…球技場の壁に取り付けられたリングの穴にボールを押し込む

ゴムとチューインガムで出来ているボールを肩や胸で運び球技場の壁のリングに入れる球技である。
豊穣祈願のゲームなので勝った方のチームの長が生贄にされるそうだ。

マヤ室

マヤ文明は現在のメキシコ、ガテマラ、エクアドルなどメソアメリカの広大な地域に広がり、時代もBC16世紀頃からAD16世紀にわたっているのでマヤ室の展示も多彩である。

巨大な頭飾りを付け玉座に座る貴族像、頭蓋変形をしている戦士像、演説者といわれる生き生きとした像、大きな帽子(?)を被りマヤブルーのマント着ている貴族像などはより現実に近い描写になっている。またミニチュア人物像のコレクションはユーモラスである。

マヤ文字が刻まれた石碑がたくさん展示されているコーナーがあるが、マヤ文字についてはガイドさんにも分からないそうだ。

マヤの数字は20進法で、1は1つの点で表し、横棒1本が5、2本を重ねると10になる。横棒3本と4つの点は19。0は貝の形で表すので、20は1つ上の枠に1つの点(マヤでは下から上に繰り上がる )と下の枠に貝の形で表すとのこと。


神殿のファサードの復元模型や神殿に通じる階段の装飾などを見た後、地下室でパレンケのパカル王墓の実物大の復元や翡翠の仮面(レプリカ)などの展示を見て回る。

王墓の模型 バレンケの碑文の神殿 王の墓、実物大に復元された


チャックモール像

マヤ室の最後の展示コーナーにチャックモール像、腹の上に生贄の心臓をのせる皿をのせていてマヤ、お前もかと言った感じになる。

3日目 コンヤ

キャラバンサライ、メヴラーナ博物館、カタライ博物館

トルコ旅行4日目
キャラバンサライ、 コンヤ、パムッカレ観光

今日はカッパドキアを発って、途中コンヤの市内観光をして、パムッカレまで約700kmの旅程となっている。強行軍のこのツアーの中でも一番長い日になりそうだ。

キャラバンサライ

コンヤへの道はかってのシルクロードで中国の長安からイスタンブールを経てローマに繋がり交易の大動脈の一つであった。
商人達は1日30kmから45kmの旅をしたと言われ、キャラバンサライという隊商宿もその間隔で建てられていた。
現在はほとんどが廃墟になっているらしいが、40kmほど走ったところにスルタンハンという隊商宿がある。
宮殿のような建物は警備員が銃をもってガードしていてものものしいが、建物は長方形で頑丈な壁や柱で出来ている。

当時も旅の疲れを癒すと同時に人と商品の安全を重視したのであろう。
中庭を奥に進むと厩舎になっていて百頭以上入りそうは仕切りがずらっと並んでいる。商人は300頭以上のラクダや馬で隊を組んでいたのらしい。

キャラバンサライ見物の後は200kmあまり走ってコンヤに。

コンヤ メヴラーナ博物館

コンヤは現在のトルコ民族に繋がるセルジュークトルコが12世紀から13世紀にかけて首都を置いたところで、この時代にメヴラーナというイスラムの神秘主義教団がおこっている。
男が円筒の帽子をかぶり白いスカートをひらひらさせ踊る宗教はなにやらいかがわしい気もするが、創始者のジェラルディン・ルミは偉大な詩人でもあったので、単なる神秘教団を作ったとは思えない。

ガイドさんによるとセマーというこの教団の儀式は瞑想から始まるのだそうで、踊り手の手の所作は神から授かった愛を人に分け与える意味があり、ぐるぐる回るのは同じ行為を続けることで自我を忘れ、神との一体化を図るものらしい。

霊廟は現在博物館になっていて、入口には‘あなたが外から見えるのと同じようになるか、または内面と同じように見えるようになるか、どちらかになりなさい’、私のもとへ来なさい、あなたが無神論者でも偶像崇拝者でも、拝火教信者でもかまわないから来るのです‘と書かれているのだそうだ。偉大な思想家でもあったことが窺える。

右手の部屋にはメヴラーナの棺などが安置されていて、左隣の部屋にはムハンマドのあごひげを入れた箱が中央に置かれている。

カタライ博物館

もともとは13世紀の神学校だが、現在は陶器博物館として、町の遺跡から出土したレリーフ、陶器などが展示されている。天井のモザイクがみもの。

さて、朝早く発ち、走りに走り日が暮れて着いたのがパムッカレ。
パムッカレの宿は広大な敷地の大型のスパ・リゾートホテルで温泉、ハマム、サウナ、フィットネスルームなどの設備がありヨーロッパ人の観光客
も多い。旅行社の案内書では水着を持参するようにと言うことであったが、荷物になるので持ってきていない。グループの皆さんは温泉を楽しんだようだ。

パムッカレとはトルコ語で綿の城という意味で、石灰棚の丘陵地帯の上にヒエラポイスがある。

2日目 カッパドキア

パシャバー、ウチサール、デヴレント、ギョレメ野外博物館

トルコ旅行2日目 カッパドキア

洞窟レストランで昼食をとった後、カッパドキアの奇岩や洞窟教会の観光となる。

パシャバー

バスが最初に停まったところはギョロメ地区のパシャバーの谷、ギョロメとはトルコ語で‘見てはいけないもの’の意味らしいが、眼前に広がる光景は‘なんじゃ これは’と言うのが第一感。

一つ岩から3本の傘が出ている有名な3本キノコ岩、
茎が細って今にも倒れそうなキノコ、傘を閉じたままのキノコの群れなど、神様がいたずらをしたとしか思えない光景に唖然となる。
山の中腹の侵食が進んでいないところを見ると、下層に凝灰岩、上部には玄武岩が層を成しているのが見えたり、まだ傘になっていないとんがり帽子が連なっていたりしてキノコ岩の生成過程が想像できる。

デヴレント


ギョレメの野外博物館に行く途中でバスが停まったところがデヴレントの谷、道路を隔てラクダの姿をした岩やナポレオンの帽子を思わせる岩など多士済々と言った感で絶好の写真スポットだ。

ギョレメの野外博物館

ギョレメ国立公園とカッパドキアは自然と文化の複合遺産として世界遺産に登録さていて、800近くある世界遺産のうち複合遺産として登録されているのは23くらいらしい。
ギョレメ野外博物館は岩窟教会と礼拝堂の集まりだが、この地方には早い時代からキリスト教が伝来し、4世紀には熱心な修道活動が行われ、イスラム勢力が支配した7世紀半ばから9世紀半ばのあと、再び修道活動が盛んになり、11世紀から12世紀の間には多数の岩窟教会が造られたと言われている。
岩窟教会の壁や天井に残っているフレスコ画の多くはこの時代に描かれたものだ。

リンゴ教会(エルマル・キリセ)


付近にりんごの木があったことからリンゴ教会と呼ばれている。
4本の柱に支えられているドームの中央には4人の聖人に囲まれたキリスト。
後陣の小さいドームにマリア、キリスト、ヨハネ。周囲の壁には東方三博士の礼拝や最後の審判の場面などキリストの誕生や昇天が描かれている。
それにしても、イスタンブールの近郊ならまだしも、何百キロも離れた荒廃の地にまで修道の場を求め、岩山を掘って厳しい修行をさせるキリスト教とは何だろうか…、ぶつぶつ呟きながら次の教会に向かう。

聖バルバラ教会(バルバラチャペル)


この教会の壁画は質素で、カッパドキアの二人の聖人が蛇を退治している
場面が描かれているが保存状態がよくない。

上部に描かれている素朴な鶏と木の苗(杉の木を図案化したもの)の絵は油断禁物を意味しているとか

へび教会(ユルラン・キリセ)

聖バルバラ教会を出てゆるやかな斜面を登ったところがユルラン・キリセ。教会の名が由来するカッパドキアの二人の聖人が退治する大蛇の壁画
はバルバラチャペルの図より精緻で保存状態もよい。
このへび退治に続いてコンスタンチヌスとヘレンなどが描かれていて、ガイドさんによればこの教会の壁画はテーマの一貫性に欠けるらしい。

バックル教会(トカル・キリセ)

ギョレメの野外博物館を出て道路をすこし下ったところにあり、カッパドキアでも最も素晴らしい壁画があるのがトカル・キリセ。

10世紀の初めと終わりに造られた新・旧の教会があり、十字形の大きな教会である。受胎告知、ベツレヘムへ旅、ヨハネ、カナンの結婚、最後の晩餐、ゴルゴタへの道、磔、十字架から下ろされるキリストや埋葬や十二使徒、聖母と天使に囲まれたキリストの昇天などの場面が描かれているとのこと、ガイドさんの説明がやたらに詳しい。地色に使用されている紺色に映えて2千年の時の経過を忘れさせる美しさである。


聖墓所の人、昇天黄泉の国
ウチヒサール

ウチヒサールは車窓観光。

小高い丘の上に要塞のような巨大な岩が聳えている。かって、実際にヒッタイト時代には城塞として使われてのだが、ウチヒサールは尖った城の意味だとか。岩の表面には数多くの穴があいていて、鳩の家といわれる鳩の巣である、この鳩の糞はブドウ畑の肥料に使われている。

ゼルヴェ

最後に回ったところがゼルヴェの谷、キノコ岩が林立している谷だが、現地の人やヨーロッパでは妖精の煙突と言われる優雅な姿の岩がある。

洞窟住居

旅行会社のパンフレットにも最終日程表にも載ってなかったが、ガイドさんが実際に人が住んでいる住居を見ましょうといって、崖の途中に掘られた洞窟の家を訪問する。洞窟といっても冷蔵庫、洗濯機、テレビなど電化製品がそろった住居で、リビングに通されてチャイを振舞われながらしばし歓談、壁の絨毯が見事だと褒めると、おばあさんの嫁入り道具で、トルコの結婚は見合い結婚だが、お嫁さん本人よりも絨毯の出来で嫁入り先が決まるらしい。

7日目 カイロ

カイロ考古学博物館2

エジプト旅行7日目 カイロ考古学博物館見学 その2

ツアーの皆さんとは別行動なので少しゆっくり目の朝食をとる。
ホテルから博物館まで歩いて5分ほどなので8時半にチェックアウト、荷物を預かって貰い、タフリール広場でしばらく通勤ラッシュ風景を眺めた後博物館へ。
タフリール広場からの眺め…インターコンチネンタルホテルが圧倒的な存在感をみせている。

カイロ考古学博物館

カイロ考古学博物館見学 

朝一番なので開館時間になってもあまり混んでいない。
まず、正面の大ギャラリーの奥に行き巨大な坐像を見る、アメンホテプ3世と王妃ティの像である。

エジプトでは王家に属する女性を妻に迎えることで王権を正当化する風習があったが、アメンホテプ3世はこの風習を無視して民間人の出であるティを妻にしたと言われている。絶世の美女と言われたティにぞっこんであったのだろうか。

次に47号通路でのメンカウラー王の3柱神を見る、片岩製で上エジプトの白冠をかぶった王が真ん中で右に頭上に牡牛の角に挟まれた太陽円盤を頂く女神、左には上エジプトのアビドスを擬した女神を従えている。
他の2像も左に立つのが上エジプト地方神である。片岩製なので黒光りをしており畏怖感を覚える。

通路の突き当たりを曲がって、37号室、このあたりは古王朝時代の出土品の展示が続いている。
この部屋の書記坐像は膝の上にパピラスの巻き物を広げ、右手は書き取りの準備が出来ていますといった様子である。顔は端正でいきいきとしている。部屋の左手には木造のカ・アペル像があり、力強さを感じさせる。

部屋の奥にはクフ王の小さい象牙製の像がある、高さ7.5cmのこの像が現存する唯一の像らしい。

32号室には有名なラーホテプとネフェルト夫婦像がある、目はクリスタルの象がんがはめ込まれ黒く縁取られている。
ラーホテプは赤茶色に彩色されやや上目ずかいに正面を凝視している姿は威厳がある、ネフェルトの方はクリーム色で白い服をまとっている、顔や胸がふっくらとしており穏やかな感じである。


同じ部屋のセネブと家族の像は妻が右手を夫の肩に回し、左手は夫の腕に添えるという何ともほほえましい家族の像である。


さらにこの部屋の左手には鴨の絵がある、近代絵画を思わせる絵はこれが本当に古王国時代に描かれたのと言いたくなるほど精巧である。

26号通路では20人位の人だかりの前でガイドがしゃべっている、ドイツ語のようだが、中王国時代のメンチュヘテプ2世像について説明しているらしい。11号通路にあるハトシェプスト女王の頭部像は女王の容貌をよく表し、赤茶色に彩色された顔の色は男性として描かせたものらしい。

突き当たりを右に折れた通路には
ハトシェプスト女王のスフインクスがある。

少し進んだ3号室にはアクエンアテン王の巨像4体がある、面長の顔は端正であるが腹が異常にふくれている。実際、王は下腹部がふくれていたようで、美化することなく自分をそのまま彫らせたらしい。

アクエンアテン王はアメン神官が勢力を持ち政治に口出しするのを排撃するため、カルナックのアメン大神殿を閉鎖し、アテン神を唯一神とする宗教改革を断行した強力な個性を持った王である。

アテン賛歌のパネルは太陽円盤から光が降り注ぎ、王は手に権力と永遠の生命の印を持っている、ネフェルティティ王妃は太陽円盤を戴きその上には長い羽根を飾っている様子が描かれていて太陽神を崇拝していることを表しているものと思われる。
同じ部屋に王妃ネフェルトィティの頭部像、ベルリン博物館にある絶世の美女像とは少し違う感じ。

この通路の突き当たりにホルス神に守られる幼いラムセス2世像がある。
その先の通路と部屋はグレコ・ローマンの部屋。

2階に上がり、副葬品の小物を見て回る。

装飾品 金のブレスレット、ファイアンス製のネックレス、胸飾り
生活関係 やぎの取っ手の金、銀製の坪、赤めのうと金のつぼ、青いファイアンス焼き皿、金のサンダル、ミニチュアの機織場、火を熾している料理人
2艘の網漁、帆掛け舟、漕ぎ舟
美術 パピルス文書、パレットや絵筆などの道具、金とガラスでできた豪華なスカラベ
王権 オシリスのからざお
玩具 小人が3人並んでいるブランコのような玩具、青いファイアンス焼きのハリネズミ、青いファイアンス焼きのカバ
軍事 ヌビア人の弓の射手40人の行軍

古代エジプトでは死後も現世と同じ暮らしをすると信じられていたので、生活に必要な衣食住のあらゆるものは言うに及ばず生活を楽しむ娯楽品なども副葬されていたことが良く分かる。
博物館内は撮影禁止なのでショップで絵葉書をたくさん買ってカイロ考古学博物館の見学は終わり、で、エジプトの観光もこれでお仕舞い。

ホテルに寄り、荷物を受け取って、ドアーマンに空港へのタクシー呼んで貰う。
50エジプトポンドでどうだろうと言うと、ドアーマンが頷いて運転手と話し、OKとなる。ドアーマンが50ポンドを運転手に渡してくれて、1時半過ぎに出発する。

ガイドさんが書いてくれた、第1ターミナルの第1出発ゲートのアラビア語のメモを運転手に渡すとにっこりして人なつっこい。ぶっとばして小1時間、日本円で千円ほどなのでエジプトのタクシーは安い。

ターミナルの入口で1時間ほど待っていると、我らがツアーのバスがやって来てホッとする。添乗員さんも駄々っ子の年寄りを何とかグループに合流することが出来たてホッとした様子、添乗員さんに感謝々々。

帰りの便はいくつかのツアーが一緒になるようで、4席独占と言うわけにはいかないようだ。それでも窓側の2列席で隣が空いているので少しはゆったり出来そうだ。

6日目 プラハ

黄金の小路

ワイン付きのボヘミア料理の昼食後はフリータイム。

午後の予定はプラハ城に行って、衛兵の交代、美術館、黄金の小路などをみること、プラハ城からもう一度百塔の街を眺め、カレル橋をゆっくり歩くこと、旧市街に戻って火薬塔からナ・プシーコピェ通り、ナーロドニー通りでボヘミアガラスの箱をさがすこと、ヴァーツラフ広場をぶらぶらしてみることなど。

プラハ城へはモルダル川のそばの地下鉄スタロムニェストカーから1駅のマロランストカーで降り、すぐ前の電車に乗るとプラハ城の正門前に着くとガイドさん教えられていたので、旧市街広場に戻り、カフカ博物館の横を通ってスタロムニェストカー駅に着き、乗換え可の切符を買う。

ホームに降りて念のため、お年寄りの女性にプラハ城へは次の駅で降りればよいかと聞くと、いや2つ目のフラチャンスカー駅で降りなさいと言われる。話がちょっと違うなと思っていると、ついて来なさいと言われ、地下鉄、電車を乗り継いでプラハ城正門の下に着く。これまでの旅行でも、あちこちで親切にされることがあり、よっぽどこの東洋の老人は頼りなく見えるのだろうか。

少し時間を調整して衛兵の交代をみる、正午に行われる大仰な交代式と違い2人の交代で、時間毎に交代するようだ。

プラハ城絵画ギャラリー
午前中の観光の時にティティアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼ、ルーベンスなどの名前が入口に掲げてある建物があったので、これがプラハの国立美術館だと思って入るが、一通り見て回るのに1時間もかからない。
ティティアーノやティントレットが少しあるだけでルーベンスに到っては小品があるだけ、下の階で係りの人にこれで全部かと尋ねると、そうだという返事。

後で分かったことだがプラハの美術館は年代別、ジャンル別に分かれているそうで、中世から19世紀はプラハ城正門の前にあるシテルンベルグ宮殿、印象派など19世から現代までのものはヴェルトレズニ宮殿、ゴッシックは聖イジー教会など。
プラハ国立美術館と勘違いしたのはプラハ城絵画ギャラリーだったというお粗末。旅行前に慌てて買ったガイドブックに美術館のことが何も書かれておらず準備不足の当然の結果と諦める。

黄金の小道


で、午前中のツアーに入っていなかった黄金の小道の観光、ルドルフ2世が錬金術師などを住まわせていた100メートルほどの路地で小さな土産物屋が並んでいる。建物に番号がついていて22番はカフカの妹が住んでいた処、カフカが毎日のようにやって来て著作に励んだといわれている。入場料が要るのに少し驚く。


黄金の小路を下りたところにあるドクロ

プラハ城を出た処でプラハの街の風景を堪能する、百塔の街プラハには600以上の塔があると言われている。

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