今日はカッパドキアを発って、途中コンヤの市内観光をして、パムッカレまで約700kmの旅程となっている。強行軍のこのツアーの中でも一番長い日になりそうだ。

キャラバンサライ

コンヤへの道はかってのシルクロードで中国の長安からイスタンブールを経てローマに繋がり交易の大動脈の一つであった。
商人達は1日30kmから45kmの旅をしたと言われ、キャラバンサライという隊商宿もその間隔で建てられていた。
現在はほとんど廃墟になっているらしいが、40kmほど走ったところにスルタンハンという隊商宿がある。宮殿のような建物は警備員が銃をもってガードしていてものものしいが、建物は長方形で頑丈な壁や柱で出来ている。当時も旅の疲れを癒すと同時に人と商品の安全を重視したのであろう。
中庭を奥に進むと厩舎になっていて百頭以上入りそうは仕切りがずらっと並んでいる。商人は300頭以上のラクダや馬で隊を組んでいたのらしい。

キャラバンサライ見物の後は200kmあまり走ってコンヤに。

メヴラーナ博物館

コンヤは現在のトルコ民族に繋がるセルジュークトルコが12世紀から13世紀にかけて首都を置いたところで、この時代にメヴラーナというイスラムの神秘主義教団がおこっている。
男が円筒の帽子をかぶり白いスカートをひらひらさせ踊る宗教はなにやらいかがわしい気もするが、創始者のジェラルディン・ルミは偉大な詩人でもあったので、単なる神秘教団を作ったとは思えない。

ガイドさんによるとセマーというこの教団の儀式は瞑想から始まるのだそうで、踊り手の手の所作は神から授かった愛を人に分け与える意味があり、ぐるぐる回るのは同じ行為を続けることで自我を忘れ、神との一体化を図るものらしい。

霊廟は現在博物館になっていて、入口には‘あなたが外から見えるのと同じようになるか、または内面と同じように見えるようになるか、どちらかになりなさい’、私のもとへ来なさい、あなたが無神論者でも偶像崇拝者でも、拝火教信者でもかまわないから来るのです‘と書かれているのだそうだ。偉大な思想家でもあったことが窺える。
右手の部屋にはメヴラーナの棺などが安置されていて、左隣の部屋にはムハンマドのあごひげを入れた箱が中央に置かれている。

カタライ博物館

もともとは13世紀の神学校だが、現在は陶器博物館として、町の遺跡から出土したレリーフ、陶器などが展示されている。天井のモザイクがみもの。

さて、朝早く発ち、走りに走り日が暮れて着いたのがパムッカレ。
パムッカレの宿は広大な敷地の大型のスパ・リゾートホテルで温泉、ハマム、サウナ、フィットネスルームなどの設備がありヨーロッパ人の観光客
も多い。旅行社の案内書では水着を持参するようにと言うことであったが、荷物になるので持ってきていない。グループの皆さんは温泉を楽しんだようだ。  (旅の日程へ)

パムッカレとはトルコ語で綿の城という意味で、石灰棚の丘陵地帯の上にヒエラポイスがある。