2日目
今日は御楽園、会津武家屋敷、飯盛山や七日町など見物する予定で、14:30には福島空港に向けのバスに乗らなくてはいけないので8時前にホテルを出る。御楽園、会津武家屋敷、飯盛山は市の北側にあるようなので「あかべぇ」に乗る。

御薬園

室町時代、この地で薬泉により疫病を治療したことから、領主が霊地であるとして別荘を建てたと言う伝えがあった。
江戸時代、保科正之が霊地の由緒を正して別荘を建て2代目藩主が園内に各種の薬草を栽培した。3代目藩主が朝鮮人参を試植し、町民にも奨励したことから御薬園と呼ばれるようになった。
その後、元禄に入り御薬園は小堀遠州の流れをくむ庭師により大補修が行われ借景を取り入れた池泉回遊式の大名庭園になり、代々の藩主により愛された。
戊辰戦争の時、新政府軍の負傷者の治療場所に使われたので御薬園は戦火を免れた。


冠門:この門をくぐって庭園に入る

御楽園マップ(御薬園チラシより):池泉回遊式の大名庭園、池にせりでた小島に建つ楽寿亭、その正面にお茶屋御殿、そして上部に薬用植物標本園が見て取れる。


お茶屋御殿の前に植わっているコデマリ。

五葉松の枝を何段も横に伸ばし、かさね扇のような盆栽仕立にしている



楽寿亭:心字の池に突き出た島に建てられた茅葺きの平屋で、8畳一間。
楽寿亭は主として藩主や藩の重役の納涼の場であり、茶席や密議等の場としても使われていた。
御茶屋御殿:茅葺屋根に上の間・次の間・控の間と3つの部屋がある。
藩主の休息のほか、重役や藩御用達商人などが招かれ藩主のお言葉や御酒を賜った。楽寿亭よりも公的な場として利用された。
隣の松の間と二階は明治15年、容保一家が住むために建てられたもの。

御茶屋御殿上の間からは正面に楽寿亭、遠くに東山の山並みの借景が美しいとされる。


心字の池の回りには遊歩道が設けられ、楽寿亭や御茶屋御殿などを眺めながら散策すると心が洗われるようである。


園内の巨木:左がモミノ木、右がコウヤマキ、いずれも推定樹齢は500年