家老屋敷
会津藩家老西郷頼母の屋敷をここ東山の地に復元したもの。
西郷家は会津松平家の代々の家老を務め、1700石取りの家柄であった。屋敷は2400坪、建築面積は280坪、38の部屋がある壮大なものである。
駐車場から階段を上って行くと冠木門の入口がある。
チケット売り場で貰ったチラシ:会津武家屋敷案内絵図
方長屋の先に表門が見える、こちらが順路。
桜にひかれて順路とは逆にあるいて行くと門が見えてきた
裏門から入ると奥玄関に至る
部屋見取図:部屋が36室もあった
見取図の拡大図:正面玄関、式台に続いて右手に使者の間、左手には槍の間、役人所、番所など警備の家臣の詰所があり、続いて客待ちの間、茶の間や表居間など客の接待をする部屋が並んでいる。
表門から式台玄関に向かえるのは上級武士や客人が丁重に迎えられた
使者の間
番所:武具の備えをしていた
台所:数十人の食事を作っていた、奥に配膳の間が見える
奥:女中部屋など身のまわりの世話をする人たちの部屋と中庭を挟んで家老や夫人、子供たちが日常暮す所謂、奥の部屋が並んでいる。女たちは主に次の間で生活していた
奥方が化粧をし身だしなみを整えた。鏡台は黒塗りで家紋が散らされている
次の間:この部屋で家族が日常暮らしていた
奥壱の間:家老の寝室として使われ書院造りとなっている。この場面は父の寝室で遊んでいる子供たちを母の千恵子が叱っているところ。部屋の飾りは小正月の団子さしだそうだ
西郷家一族の自刃の場面:女子供や女中、家僕など21人が籠城して手足纏いになったり、敵の辱しめを受けるのを良しとせず自刃した。
リアル過ぎて目をそむけたくなる光景である。
屏風が逆さまになっているのは死後の世界が現世とは逆の世界と言う意味で逆さ屏風を立てている。
政府軍の兵士を見上げているのは僅かに息があった長女の細布子、兵士に敵か味方と尋ね、味方ときいて安心して喉を刺そうとするが出来ず、兵士が不憫に思って介錯したそうだ。
西郷頼母は74才まで生き永らえたらしいが、どんな思いを抱いて日々過ごしていたのだろうか?
御成の間:間と言うより別棟の御殿である。藩主や重臣を迎えた。中は書院造りで、書院壱の間、次の間や茶の間などがあった。
領主が正面に座り、家老は控えており、奥方が酌をしている。
桜の咲く庭越しに御成御殿を見る。
山嵐で知られる西郷四郎は会津藩士に生まれ、西郷家の養子となった
会津歴史資料館に展示されている、江戸時代の着物や鶴ヶ城の屏風など。