世界のえーとこ見に行こう!!   

ご用とお急ぎのない方は、ごゆっくりどうぞ。

スポット: 教会・神殿 (4ページ / 8ページ)

7日目 ペトラ

犠牲祭壇

シリア、ヨルダン旅行7日目 ペトラ観光観光その3

エド・ディルを征服したので、次は犠牲祭壇をめざす。

上りはドンキーの背中で景色を見る余裕があまりなかったので、下りは景色を楽しみながらゆっくりと降りる。岩山の間にローマ市街や王家の墓を遥かに見渡せる絶景ポイントもあって、登山者の喜びはこんな処にあるのかなと勝手に想像する。


ライオン・トリクリニウム


ライオン・トリクリニウム案内板

途中、ライオン・トリクリニウム(案内板にはBicliniumとある)に寄り道する。墳墓ではなくて、中に3つベンチ(tri)があって誰かが死んだ時、飲み食いをしたところらしい。入口の両脇にライオンのレリーフがあるのでライオン・トリクリニウムと呼ばれているようだ。案内板にはLion Bicliniumと書いてあってベンチは2つ(bi)あったと書いてあるがどうなんだろう。

また、案内板によるとファサードはトリグリフとメトープで装飾され、その端にはメドゥサの首があると書かれているが、入口の梁にメドゥサの首らしきものが見て取れるが、風化が激しいこともあって、何の事かよく分からない。

フォーラムまで降りてきて、列柱道路を戻るのも芸がないのでガイドさんお勧めのビザンチン教会のモザイクを見に行くことにする。

山腹の途中に翼を持ったライオンの神殿と呼ばれる跡がある。神殿の柱に翼を持ったライオンが彫刻されていたことから、そう名付けられたそうだが、破壊が激しくて修復中のようだ。

ここからローマ市街を眺めると列柱道路の上方にこれも修復中の大神殿がある。大神殿がナバテア人の主神ドゥシャラ神を祀ったものなら、対面する此方は配偶神のアル・ウッザー女神の神殿となるのだが?・・・・

翼を持ったライオンの神殿から少し歩くとビザンチン教会に着く。この教会だけがペトラで唯一屋根付きである、と言ってもテント張りなのだが。
教会はAD450年頃に建てられ、南側の柱のところの季節のモザイクは当時のものらしい。その後2度、増改築がされ壁や北の通路などにモザイクもが加えられたようだ。AD600年頃には火事や地震で破壊され、モザイクも埋もれてしまったらしい。

モザイクは修復されていて、葡萄やワイン、鹿や、牛、馬、羊やハイエナなど動物が生き生きと描かれていて、見ているだけでけっこう楽しい。

犠牲祭壇
さて、ペトラ見物の最後は犠牲祭壇、アタフ・リッジ山の頂上にある。
登り口はローマ劇場とアウター・シークの間にあって、ちょっと分かり難いがガイドさんに教えて貰っているのですぐに見つかる。

犠牲祭壇への階段はエド・ディルよりちょっと少ないらしいが、こちらは険しくて段差もきつい、崩れかけた階段や岩に浅いへこみを付けただけの階段、すぐ横が断崖になっている岩の道もある。

膝ががくがく言っているし、足を滑らせたら断崖の底に落ちて見つからないのではと心配になってくる。無理をしないことに決めて何回か休んでいると、疲れた東洋の爺さんが気にかかるのか、追い越していく人や降りてくる人が声をかけてくれる。また、疲れもあって、階段ですれ違う時も気軽に声が出る。イタリアやフランスなどヨーロッパの人が多いが、二人連れの若い女性はオーストラリアとフィンランドから来ているそうで、ツアーでヘルシンキに行ったと話すと、サンキューとにっこり。


頂上付近のオベリスク

ずい分登って、そろそろ頂上に近づいたと思って声を掛けてみると、Long Wayだと言われがっかりする。そんなこんなで1時間あまり登ってやっとオベリスクが見えて、頂上にたどり着く。

犠牲祭壇に着くと、岩を削って平らにし、さらに50センチくらい掘り下げ、プールのようになっている15m×7mくらいの祭壇の前庭らしきものが、まず、目に入る。 真ん中に低い台には何かが置かれていたらしい。

この前庭の左手に祭壇が2つあって、手前の祭壇に上がってみると丸い水盤のように彫られたものがあり、そこから溝が下の方に伸びている。殺された動物の血を流す祭壇のようだ。右手の祭壇が主祭壇で生贄を捧げたところらしい。


何でこんな所まで登って生贄の儀式をするの、という思いだがナバテア人は高所を聖なるものと考えていたようだ。犠牲祭壇の奥は岩が連なっていて、その先にペトラの全景やワディ・ムサの町まで見渡せるView Point がある。岩の先端に行けばペトラの全景がうまくカメラに納まりそうだが、無理はしない。

岩肌に寝そべって目を閉じていると、何故かアステカの生贄のことが思い出される。ナバテア人の生贄は動物だけだったのだろうか。
犠牲祭壇を降りてシークを入口に戻るが、少しの上り傾斜がきつい。足が重くなって棒のようだ、休みやすみ、また休みながら馬乗り場にたどり着く。

ここで値段交渉、USドルでいくらかと聞くと、ベドウィンは3$だとふっかけてくる。ワンダラーだと言うと、馬だから高いんでドンキーだと2$だと値段を下げてくる。

相場が分かっているし、買い手市場なので、この場合は要らないと突っぱねるのが値段交渉のコツ、乗らないふりをして歩き始めると、追っかけてきて、渋々1$でもいいと言う。

朝、貰った観光案内をレストランに置き忘れてしまったのでビジター・センターに寄って窓口で頼むと、今度はあっさりと渡してくれ、中国人かと聞いてくる。日本人だと言うと、中国語が読めるかと聞いてきて、薬ビンのようなものを差し出してくる。そもそも英語で説明する能力がないので手に取るのを遠慮申し上げた。 実は、観光案内のペトラの地図をHPに使う積もりなので、どうしても手に入れたかったのだが、置き忘れた観光案内は次に日に北九州市から参加の奥さんに忘れ物ですよと手渡して貰った。感謝々。

ビジター・センターからホテルまでのタクシー交渉はベドウィンと同じ要領、ガイドさんから聞いていたUS2ドルでまとまる。

部屋に戻ってしばらく横になってから、ガイドさんに電話して、無事ホテルに帰っていることを伝え、添乗員に代わって貰う。(携帯は海外ローミングの出来るドコモのL600iにしている)

添乗員からホテルに着くのが遅れるので先に食事をして下さいと言われ、一人で食事をしながら周りをみると、5~6組のヨーロッパのツアーの中で飲物をとっているのは1組だけである。US6$のビールなどを、何時も優雅に飲んでいるのは日本のツアーだけのようだ。

後で、添乗員から聞いたところでは、ワディ・ラムに行く途中、バスがパンクして時間を取られ予定が大幅に遅れたらしい。日本では考えられないことが中東では起こるようだ。添乗員の話をもう一つ、皆さん、フリータイムに三々五々、シークの出口からペトラの入口まで馬に乗って帰り、料金として1YD(ヨルダンディナーレ)を払うと、2や3YDを要求されてトラブッタらしい。行きが1YDだったので、帰りも同額と思うのが日本人なら当然だが、交渉事なので日本人の常識は通用しなかったようだ。

6日目 アンマン

ネボ山、マダバ(聖ジョージ教会モザイク)

シリア、ヨルダン旅行6日目
ヨルダン観光 ネボ山
聖ジョージ教会のモザイク

博物館の見物を終えて昼食のレストランに向かう。
びっしりと家が立て込んだアンマンを見たので、ちょっと趣向を変えてお金持ちの家を見ていきましょうということで、途中、アンマンの富裕層が住むアブドゥー地区にまわる。ハリウッドとはいかないまでも、ペトラ風の家など大きな家が並びいかにもお金持と言った感じである。多くが新しいようだが、外国人も買えるらしい。

ガイドさんによれば、アンマンでは一般的に3寝室、キッチン、バスルームが3つあり、バルコニーが付いている180㎡くらいの家を買おうとするとUS20万ドル、レンタルする場合は賃料が年間US1万5千ドルくらいするそうだ。

1人当たり国民所得がUS2千ドルほどの庶民が手を出せるシロモノではない。アブドゥー地区の住民は1万5千人ほどで、貿易の仕事している人が多いとのこと。

昼食メニューは中華、飲物がいきなり高くなり、シリアでUS4$だったビールがUS6$になる。昨夜は弾みでビールを注文したが、今日はお茶で我慢する。

午後の観光予定はモーゼの終焉の地と言われるネボ山、床のモザイクが有名な聖ジョージ教会を見学した後、ペトラに向かうことになっている。1時前にレストランを出発、途中みやげ物屋によったりして、ネボ山に3時過ぎに着く。

ネボ山
バスを降りたところで、ツアーの皆からはぐれたらしい泣きべそ顔のお婆ちゃんに出くわす。ヨーロッパ人のツアーでも迷子は出るもんだとか、連れて行くわけにもいかないしなどと話ながら歩いていると、ヨハネ・パウロ2世がミレニアム聖年に訪れたのを記念する碑が建っている。教皇は3つの宗教が和解し、平和が訪れることを祈ったのだろうか。


ヨハネ・パウロ2世の記念碑

近くに丸い大きな石が置いてあるが、ローマの共同墓地の上に置いてあったもので、修道院のドアーとして使っていたものだそうだ。

右手は石ころだらけの深い谷になっており、少し木が生えているような所がモーゼの泉だと教えて貰う。モーゼが杖で岩を叩き泉を出したというモーゼの泉はあちこちにあるらしい。

ネボ山からの眺望

さらに進むと教会の裏手にいたり、その横を歩いて行くと教会の正面に出る。

その広場の端が展望台のようになっていて、左手に死海が見え、正面、手前の緑の帯が伸びているところがヨルダン川で、遠くエルサレム、ベツレヘム、世界最古の町エリコなどの風景が広がっている。

モーゼはイスラエルの民を引き連れてエジプトを脱出、長い放浪の末、この地にたどり着き、ここから神との約束の地、カナンを遠望して、120才の生涯を終えたと言われる。

十字架のモニュメント

広場には、棒に蛇が巻付いたような十字架が立っている。

ガイドさんによれば、聖書に書かれていることを表していて、なかなか約束の地に辿り着けないイスラエルの民は不平ばかり言うので、神が懲らしめに蛇を放つと、蛇に咬まれた民は病気で死んだりして苦しむようになる。モーゼが青銅の蛇を作り旗竿の先に掲げると民の病気が治ったと言う物語だそうだ。

教会
もともとAD4世紀、6世紀に建てられた教会があったが廃滅していた。12世紀にイタリアのフランチェスコ教会の修道士が来て教会の再建をしたが、その後忘れられていた。20世紀の初めに再びフランチェスコ会の修道士がやって来て発掘と復興をはかり、現在の教会に至っているとガイドさんの説明。

教会の中に入ると、屋根は細い鉄骨のバラック、ホールには長椅子が並べられ、奥に祭壇らしきものがあると言った、如何にも簡素な造りとなっている。が、地下の床にあるモザイクには感激、狩猟から牧畜に進化していく様子が4段に分けて描かれている。

1番奥はライオンから牛を守っている様子、2段目には馬に乗って狩をしているところ、3段目は人が木陰に座って家畜の見張りをしているのだろうか、1番手前にはダチョウを紐で引っ張る黒人、しま馬とラクダを紐で操る若者が描かれている。

リアルで躍動感があり、これだけでこの教会を尊敬してしまいそうだ。

聖ジョージ教会のモザイク

ネボ山の見物の後はマダバの町に戻り、途中、モザイクの工房を見学して聖ジョージ教会に。ギリシャ正教の教会であるが、お祈りをするわけではないので、祭壇の右手にある床を取り囲む。

モザイクは15m×6m、6世紀の中ごろに作られたシリアからエジプトに亙る地図で、もとは200万個以上の破片でできていたが、今はシリア、レバノンの辺りは欠落し、75万個ほどになっているとのこと。

この地図で最も注目されるのはエルサレム、城壁に囲まれた亀の甲のような格好である。町はダマスカス門から2本のカルドが伸び、中央のカルドの中間点辺りにあるのが聖墳墓教会とのこと。

エルサレムの周辺にはベツレヘムやジェリコも描かれているが、面白いのは死海に注ぐヨルダン川で、死海に下る魚や死海から戻ってくる魚が描かれている。塩分が濃くて住む場所がなかったのだろうか。

モザイクの見物を終えて、庭で休憩しているとネボ山で迷子になっていたお婆ちゃんがグループの皆と一緒に教会から出てくる。無事に合流出来たようで、勝手ながら安堵する。

マダバ出発が5時半、ペトラまで3時間かかるそうだ。午後一杯観光してさらに3時間とは、厳しい。

3日目 パルミラ

ベル神殿

パルミラ観光その3 ベル神殿
シャーム・パレスホテルでトイレ休憩、わがツアーのホテルより1~2ランク上のホテルのようで落ち着いた雰囲気である。ほかの日本人の団体もいて、バッジをみると保険を掛けていた旅行社のツアーで30人ほどらしい。ご同輩もトイレ休憩のために来ているのであって、シャーム・パレスホテルに宿泊するツアーではない。

このあとベル神殿の観光に向かう。

さてベル、ベル・マルドゥクと言えばバビロンの守護神である。ベルはフェニキアのバールのバビロニアでの呼称であり固有の名前はマルドゥク。もともと、マルドゥクは農耕の神であったが、ハンムラビ王によって神々の王とされ、最高神となったので世界と人間の創造物語や宇宙を支配する権能などが後から付け加えられたらしい。

バビロニアでは毎年、新年祭にはマルドゥクによって王位の更新が行われ、また即位においても戴冠式の代わりにマルドゥクの手を取ることで王になったと言う。即位に際してマルドゥクの御手をとることは、その後、メソポタミアの各王も従う慣例となり、アレキサンダー大王もバビロニアの王としてこれに従ったという。( 新年祭についてもう少し詳しく知りたい方は→ペルガモン博物館

バビロンが滅んだ後、ベル・マルドゥクも忘れられていったが、ベルは思わぬところに顔をだしてきた、パルミラである。

パルミラで古くからボール神が祀られていたが、隊商交易によって伝えられたとされる西方の神ボールは収穫神であるのでパルミラの中心的な神であった。そのボール神がさらに東方のバビロニアの影響を受け、BC1世紀末、最高神、ベルに習合されたらしい。バビロンの主神ベル・マルドゥクに由来するベルがパルミラの主神となったのである。

さて、ベル神殿、西側の入口から神殿に入ると、外観からは想像もつかない壮大風景が広がってくる。

正門の列柱を眺めながら、まずは、ガイドさんの説明から、神殿の広さは東西210m、南北205m、柱廊が取り囲み、屋根があった。

主神ベルに捧げられた本殿(内陣)はAD32年に建立され、柱廊や正門などの建設はAD2世紀半ばまで続いた。その後、神殿は5世紀には教会として使用され、12世紀には本殿はモスクに、境内は城塞に変えられ周壁が築かれた。

現在では大半は崩れてしまっているが、それでも境内のあちこちに列柱が残っており、境内の中心にある本殿は往時の姿をとどめている。

カナン人、アラム人、アラブやギリシャ、ローマ人が次々とやってきたが、常にここはアクロポリスであった。

生贄の祭壇

西側の周壁に沿って左手に進んでいくと、地下通路がある。

ガイドさんによれば、この地下通路を通って動物が境内に搬入され、神殿の周りを3回廻った後、犠牲祭壇に運ばれ神官によって生贄にされたそうだ。


犠牲祭壇…羊などの小動物用


犠牲祭壇…牛や馬などの大動物用


犠牲になった動物の血を流した

犠牲祭壇は羊や山羊など小動物用と牛のような大動物用とがあり、そばには神官が身を清めたり、食器を洗ったりする水ばちや水を汲み上げる井戸、動物の血を流す穴も造られていた。毎年、4月の初めに大祭が行われていたらしい。

パルミラ三位一体神のレリーフ

次にガイドさんに案内されたところが境内の北東の角。壁にパルミラの三位一体神のレリーフが修復されている。と言っても、ほとんど判読できない状態なのだが、ガイドさんによれば、真ん中がベル神で天使の格好をしているらしい、左が太陽神、ヤルヒボールで、右が月の神、アグリボールとのこと。

パルミラではベル神はヤルヒボールとアグリボールを従えた三位一体神として描かれることが多いいという。ヤルヒボールはパルミラの土着神で審判と恩恵分与を司る神、アグリボールは北方シリアから来たらしい。

壁の端っこに階段が付いていて、ガイドさんから壁の上から外を見て下さい、ナツメヤシの生い茂るオアシスが広がっていて、ここがアクロポリスだと実感できますよと勧められ、皆さんの後について壁を上る。なるほど、外を眺めるとナツメヤシの森が広がり、ここが沙漠のオアシスとして理想的な地であることが実感できる。

本殿


本殿の立体図…列柱回廊の柱頭のアカンサスは金で装飾されていたと
ガイドさんの説明

パルミラ観光の最後はベル神の本殿である。

本殿は生贄の祭壇の奥、少し小高くなったところに建つ長方形の建物である。本殿を囲む列柱廊のコリント式柱の1部が残っているが、かっては柱頭のアカンサスは金箔で覆われていたという。

豪壮な入口を入ると、中には30mほどの中庭に向き合って南北に祭壇がある。

南の祭壇

南の祭壇の天井には1枚岩に刻まれた花模様のレリーフがある。アカンサスと蓮の葉20枚を交互に組み合わせてひまわりのような模様にしたもので、その花模様を円環が囲み、さらにその周りをたくさんの8角形の幾何学模様が取り囲む構図である。ひまわり模様は東洋の蓮と西洋のアカンサスを融合させたなんとも興味深いレリーフでパルミラに高度な美術があったことが窺われる。

この花模様は18世紀のイギリスで流行し、邸宅の応接間の天井にパルミラの花模様が好んで取り入れられたと言われている。

南の祭壇には持ち運びの出来るベル3位一体が置かれていたらしい。モスク時代のメヘラブの跡も壁に残っている。

北の祭壇

添乗員が入口の梁を見て下さい、ぽこっと膨らんでいる様に見えるのは鷲で、天空の主人、バール・シャミンの象徴です。北の祭壇は宇宙の運行を支配するバール・シャミンがモチーフですと言われて、よく見ると膨らんでいるのは鷲の頭の部分で、微かに羽根のようなものも見える。鷲が大きな羽根を広げ、頑丈な爪でへびを掴んで飛んでいるレリーフなんだそうだ。


南の祭壇と同じように天井には1枚岩に刻まれたレリーフがあり、バール・シャミン(ベル)が支配する宇宙が描かれているらしい。12星座が配置された黄道帯の内側に沿って6つの6角形と、その中に少し大きい6角形がある。7つの6角形には日~土の7曜の惑星の胸像が描かれていたらしいが、真ん中の6角形のベル(バール・シャミン?)が微かに人物らしく見える以外は風化して何にも見えない。北の祭壇にはパルミラ三位一体神が安置されていたという。

ベル神殿入口のレリーフ

ベル神殿の柱廊の天井を支え

ベル神殿の柱廊の天井を支えていた二本の梁が入口の横に並べられている、地震で崩れ落ちたのだそうだ。

パルミラの兵士の姿のアグリボールとナツメヤシのレリーフ、林檎やパイナップル、柘榴など祭壇に供えられた果物のレリーフは比較的はっきりとしていて分かり易いが、神が蛇と戦う場面やラクダの行進などの図は判然としない。

6日目 エスファハン

シェイク・ロトフォラーモスク、アリカプ宮殿、バザール

イラン旅行6日目 その2
シェイフ・ロトフォラーモスク、アリ・カブ宮殿、バザール観光

飛行機の時間が10時なのでガイドさんも時間を持て余し、昼食まで2時間のフリータイムとなる。
イマーム広場にて お二人の再登場、イマームモスクを背景にハイ!チーズ
HPに載せる了解を貰っていたツアーの人気者、埼玉から参加の若い美女お二人さんをカメラに収めた後、イマーム広場をぶらぶらする。

広場に面して商店が並んでいるが、広場を囲む回廊の両側にもペルシャ絨毯の店やペルシャ更紗などの衣料品、象嵌細工、ガラムザニーなど金属・木工製品や香辛料、ピスタチオなどを売る食料品店などなど素通りするだけでも足が疲れてくる。

エスファハンの写真集はホテルで$20、モスククの横の書店らしきところで$15、回廊の土産物屋で$13、得をした気になって、つい買ってしまう。
おやじさんに回廊の2階に上がってみたいんだがと聞いてみると、2階のように見えるのは壁だけで部屋はないそうだ。いかにも2階建ての回廊に見えるが、壁だけ作るとは、アッパーズ1世はかっこよしだったのだろうか。

シェイフ・ロトフォラーモスク

鳩の塔 白い帯がへび防止
食事の後も時間が余っているので、鳩の塔の見物を挟むことになる。鳩の塔は町を清潔する目的で作られたもので、昔はたくさんあったとガイドさん。壁の途中にある幅2mくらいのすべすべのところはへびが登って卵を取るのを防ぐ役目をしているそうだ、鳩をこの塔に集めて鳩の糞害を防ぎ、糞は肥料として使っていると言う。

さて、シェイフ・ロトフォラーモスク
シェイフ・ロトフォラーはレバノン人でシーイ派の権威である。アッパーズ1世がエスファハンに招請し、彼のためにこのモスクを建てたのでシェイフ・ロトフォラーモスクと呼ばれている。シェイフ・ロトフォラーの教えや祈りは王と家族のためになされたので一般の人はこのモスクには入れなかったと言う。アリ・カブ宮殿と地下で繋がっていたので王の女家族達は人に姿を見られることもなくモスクと宮殿を行き来したそうだ。

シェイク・ロトフォラーモスク イマーム広場からの眺め

シェイク・ロトフォラーモスク ドーム、珍しいベージュ色

他のモスクと違うのはメナーレがないことで、王と家族にアザーンの必要がなかった為である。シェイフ・ロトフォラーモスクのドームは他のドームが青色を基調としているのにベージュ色である、アッパーズ1世が特別な思いでこのモスクをつくったことが分かる。

シェイク・ロトフォラーモスク ドーム天井、孔雀の尾があらわれる光の匠
礼拝室入口の1箇所でドームの天井を見上げると、孔雀のしっぽが輝いているように見え、半歩前に出るともう孔雀は消えてしまう。ドームの模様は上から下にくるほど大きくなり、雨が降っているような様子に表現されている

シェイク・ロトフォラーモスク メヘラブ
ガイドさんによれば、建築の研究家達はこのモスクのタイルワークは人間が作ったと思われないといっているとのこと。壁の図柄には2つのエイワンの形をしている丸いうすい青があり、上までのぼっている。同じようにもう一つあり、2つの間の4角に字が書いてある、日があたると字が浮かんでいるように見えるそうだ。

タイルとモザイク

シェイク・ロトフォラーモスク タイルワーク、上がモザイク下は絵付けタイル
上下にタイルとモザイクの模様がある壁のところで、ガイドさんの説明が始まる、「タイルは20㎝ほどの正方形タイルに模様を描き焼き付けます。全体のデザインを決めて、一つ一つ絵付けしていき、そのタイルを貼っていきます。

モザイクは単色タイルをノミで細かく刻み、何色もの色タイルを模様のとおりに並べてうめこんでいきます。モザイクの方が模様はくっきり鮮やかで、長持ちすると言われていますが、非常に細かい作業になります」

アリ・カブ宮殿

シェイフ・ロトフォラーモスクの観光の後は、イマーム広場を横切ってアリ・カブ宮殿に。宮殿はパイプの足場が組まれて修理中だが、内部の見物には差支えがない。

アリ・カブ宮殿 3階テラスが修理中
アッパーズ1世が建て、3階のバルコニーなどがアッパーズ2世の時代に増築され、6階建てのイランで初めての高層建築である。サファビ朝はシーア派を国教とし、王は初代イマーム、アリを特に大切にしているのでナジャフのアリ廟の柱廊の扉の一つをここに移したと言う。

アリ・カブ宮殿 3階テラス、すずかけの木の柱、天井は寄木造り
3階テラス…すずかけの木の柱、天井は寄木造り

アリ・カブ宮殿 3階テラスのプール、アラブ人はこよなく水を愛した
3階テラスのプール、アラブの人はこよなく水を愛した

アリ・カブ宮殿 天井の装飾
天井の装飾

アリ・カブ宮殿 天井の装飾
3階のバルコニーは、18本のすずかけの木の柱が屋根を支えていて、40柱の宮殿と同じように天井は寄木作りとなっている。中央には大理石のプールが作られていて水を大切にする沙漠の民の伝統が見える。

アリ・カブ宮殿 壁の装飾、艶かしい女性が描かれている
各階の壁や天井はフレスコ画や細密画で装飾されているが、濃艶な美人画のような絵があるのにびっくりする、イスラムは偶像崇拝禁止だし、艶かしい女性の絵は論外だと思うが、家の中では自由ということのようだ。

アリ・カブ宮殿 最上階の音楽堂の壁、無数にあいた穴は音響効果を上げるため。漆喰で作られている
最上階は使節などレセプションも行われたらしいが、音楽堂と言われ、壁は音響効果のためにたくさんの穴があいた楽器のような装飾が施されている。
3階のバルコニーに降りて写真タイム、南の方に新しいモスクが建設されているのが見える、金曜礼拝はこのモスクで行われるらしい。
アリ・カブ宮殿 3階テラスからの眺め、建設中の新しいジャーメ・モスクメナーレが見える。完成後はこちらで金曜礼拝が行われる 次の画像
3階テラスからの眺め

バザール

バザール バザールの入口、バザールはジャーメ・モスクまで続いている
エスファアン最後の観光がバザール。イランのお土産はピスタチオとギャズ(ピスタチオが中に入った飴)がお勧めですとガイドさんに案内されて、みなさんお土産を手にする。
買い物に興味がないし、歩き疲れているのでバザールの入口付近にあるチャイハネで、株が下がって大変だなどと話しながらお茶をする。

6日目 エスファハン

イマーム広場、イマームモスク

イラン旅行6日目 エスファハン観光
イマーム広場

エスファハン観光の2日目、今日はイマーム広場周辺の観光なので、ホテル出発は9時とゆっくり目である。

さて、世界の半分(Esfahan Nesf-e Jahan)と称賛されたエスファハンの中心がイマーム広場である。

イマーム広場 世界の縮図(ナクシェ・ジャハン)、世界で最も美しい広場と言われた

広場は縦510m、横163mの広大なもので、2階建ての回廊が周りを取り囲み、四方には南にイマームモスク、北にバザール、東側にはシェイク・ロトフォラー・モスクと西側にアリ・カブ宮殿などイスラムの粋を集めた建築物が配されている。アッパーズ1世が政治、経済、宗教の全てをここに集めようとした意気込みがよく分かる。

広場では外国の使節の謁見、軍隊の観閲、ポロの試合などがあり、公開処刑もここで行われたと言う。

イマームモスク

イマームモスク イマーム広場に面したエイワンとイマームモスクが45度ずれているのが分かる

広場に面したモスクのエイワンは、天井がイラン特有の青を基調とした鍾乳石飾りで装飾されている。それは無数のモザイクタイルが組み合わされた精緻な芸術品で、見上げていると吸い込まれそうな感じになる。しかし、この門と2本メナーレはメッカの方角を向いておらず、イマーム広場の装飾的な門だと言う。

イマーム広場に面したエイワン ライトアップされたエイワン
イマーム広場に面したエイワン

イマーム広場に面したエイワン 青を基調としたモザイクタイルをジグゾウパズルのように張り合わせた鍾乳石飾り
エイワン上部のエイワン…青を基調としたモザイクタイルをジグゾウパズルの様に張り合わせた鍾乳石飾り

イマーム広場に面したエイワン 鍾乳石飾りの拡大図
鍾乳石飾りの拡大図…細かく気の遠くなるような繊細な仕事であることが分かる。

イマーム広場に面したエイワン 鍾乳石飾りの下部の装飾
鍾乳石飾りの下部の装飾

イマーム広場に面したエイワン 下部の装飾の拡大図
エイワン下部装飾の拡大図…絵具で描いたような色彩に目を見張る

イマーム広場に面したエイワン 下部の装飾の拡大図
エイワン下部装飾の拡大図…言葉が無い

 

イマーム広場に面したエイワン アラビア文字の拡大図
エイワン下部…アラビア文字
入口ホールのところでガイドさんの説明、「入口の扉は銀で装飾された木製で当時のまま残っています。また、イランの一般的なモスクは入口を入ると、まっすぐメヘラブに行くようになっていますが、イマームモスクのように立派なモスクでは右に行ったり、左に行ったりしながらメヘラブに行くようになっているが特徴です」

入口からモスクの中庭に通じる通路は45度折れているが、これはイマーム広場の軸がメッカの方角と45度ずれているためだと一般に解説されているが、アッパーズ1世がエスファハンの街を計画した時、モスクの方角をまず考えて、それから広場の配置を決めたと考えられるので、モスクのメヘラブに合わせてイマーム広場の方向を定めることが出来たものと思われる。45度折れてモスクの中庭に行くようにしているのはガイドさんの説明が分かり易い。

中庭にはいると、金曜礼拝のために庭一面に張られたテントがそのまま残されていて見通しがよくないが、ジャーメモスクと同じように4つのエイワンが向かい合う‘四エイワン型’である。
イマームモスク 中央礼拝堂、エイワンとメナーレ
中央礼拝堂のエイワンとメナーレ

イマームモスク 中央礼拝堂、エイワンとメナーレ
中央礼拝堂のエイワンとメナーレ

イマームモスク 中央礼拝堂、拡大図
大ドーム…ドームの高さが54m

イマームモスク ドーム天井、7色の装飾タイルで覆われ息をのむ思いにさせられる

イマームモスク ドーム天井、中心部の拡大図
ドーム天井の装飾…植物模様の彩釉タイルにより覆われている。見上げると息を吞む気持ちに襲われる。

イマームモスク ドーム天井、周辺部の拡大図
壁の装飾の拡大図

南エイワンの奥がイマームモスクの中央礼拝室で、壁面、大ドームの天井は、全て植物模様の彩釉タイルにより覆われている。イスタンブールのブルーモスクは宇宙を見てきた人がつくったような壮大な空間であったが、このイマームモスクは天国の花園を見てきた人がつくったような清浄な空間である。

このドームは二重構造になっていて、外側のドームの高さが54m、内側は38mである。
ガイドさんの話では、空気の流れの調整や明かりとりのために二重にしたらしいが、二重構造になっているので小さな音でもドーム全体に反響するようになっている。ドームの真ん中に立ってアザーンをすると7階の高さに響き、遠くまで聞こえたそうだ。テントの廻りをうろうろしてなんとかドームの外観をカメラに収める。

アザーン

イマームモスク  ホーム 神学校の隅にある日時計、4季の正午が分かるように計算されている
神学校の隅にある日時計…四季の正午が分かるように設計されている。

中央礼拝室に隣接する神学校の中庭を通って西礼拝室に入る。

イマームモスク 西ドーム天井

イマームモスク 西ドーム、メヘラブ

メヘラブの上に小さな窓がある部屋があるが、ガイドさんによれば、少し前までは礼拝の時には15才くらいの男の子が入って、‘立ちましょう’、‘腰を曲げましょう’などと礼拝進行の掛け声をしていたそうだ。

アッラーフ・アクバル
アッラーフ・アクバル
アッラーフ・アクバル
アッラーフ・アクバル
(アッラーは偉大なり)

アシュハド・アン・ラー・イラーハ・イラーッラー
アシュハド・アン・ラー・イラーハ・イラーッラー
(アッラーの他に神は無しと私は証言する)

アシュハド・アンナ・ムハンマダン・ラスールッラー
アシュハド・アンナ・ムハンマダン・ラスールッラー
(ムハンマドは神の使徒なりと私は証言する)

ハイヤー・アラッサラー
ハイヤー・アラッサラー
(いざや礼拝へ来たれ)

ガイドさんに頼まれたおじさんの朗々と響くアザーンを聞いてイマームモスクの見物がおわる。

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