世界のえーとこ見に行こう!!   

ご用とお急ぎのない方は、ごゆっくりどうぞ。

スポット: 教会・神殿 (7ページ / 8ページ)

6日目 プラハ

聖イージ教会、カレル橋

聖イージ教会
聖ヴィート大聖堂を出て、旧王宮広場で少しの写真休憩の後、聖イージ教会へ。

聖イージ教会はプラハ城で一番古い建物。10世紀初頭に木造で建てられた教会は火事で消失し、12世紀に2つの塔を加えて石造でロマネスク様式の教会に再建された。
その後何度も改修され17世紀末になってファサードが錆色と白で塗り分けたバロック様式に作り変えて現在の姿になったらしい。2つの塔は同じ大きさではなく、右の塔が少し太くアダムで右がイブだとはガイドの説明。聖イージ教会はプラハのロマネスク建築の傑作といわれている。
国立美術館ゴシック美術部が置かれているが、内部には入らない。


東門の坂道から見たマラー・ストナラ地区と旧市街の遠望


ヴァルトシュテイン宮殿の眺め

カレル橋
プラハ城の東門を出て、石畳の坂を下る。この坂からマラー・ストナ、ヴルタヴァ川(モルダウ)、対岸に広がる旧市街が一望できる。母なる町、黄金の町、百塔の町と称されるプラハの全体像だ、ゆっくり見たいが時間がない。
後でフリータイムの時にもう一度来ることにして皆の後について歩く。
15分でカレル橋に着く、カレル橋はプラハ城と市街地を結ぶヴルタヴァ川に架かる橋だが、それまであった橋が流されたりしたのでカレル1世の命により新しい橋を建設したものである。


カレル橋…観光客で賑わっている


カレル橋の聖人たち


カレル橋の聖人たち


カレル橋からのヴルタヴァ川の眺め

橋のなかほどに進むと聖ヤン・ネポムツキー像があり、台座にヴルタヴァ川に投げ込まれる様子が描かれているレリーフがある。触るとよいことが起きるとかでピカピカになっている。


聖ヤン・ネポムツキー像

台座…モルダウ川に投げ込まれ様子が刻まれていて、ピカピカに光っている。

カレル橋の聖人たち

全長516m、幅10m弱のこの橋の魅力は勾欄の上に並ぶ30体の聖人のバロック様式の彫刻だ。ただ、橋が完成した時には木造の十字架が1つ建てられただけだった。
彫刻の第1号は聖ヤン・ネポムツキー像、王妃の不義の秘密を守り通して、拷問を受け殺害されてモルダウ川に投げ込まれたとか。その時、水面から5つの星が現れたと言われている。
橋に最後の聖人像が据えられたのは360年後のことで息の長い話だ。
橋の上は縁日のような賑わいで、写真や絵、手作りのアクセサリーなどの小物を売る露店が並んでいる。

15分のフリータイムとなり、わがツアー自慢の美女カルテットのスナップ写真を撮らせて貰う。はぁーい、チーズ。

十字架のキリスト、フランシスコ・ザビエルなどを見ながら集合場所の市街門塔へ。


カレル1世像

市街地の方に目を向けていると横にカレル1世の像が見える、右手に持っているのはカレル大学設立証書。次はボヘミアングラスの工房見学の予定はずだが、中に入ると工房らしきところはなく免税店?で、ショッピング時間の後、いよいよカルロヴァ通りの石畳を歩いて旧市街広場に向かう。

6日目 プラハ

チェコの歴史、聖ヴィート大聖堂

中欧3ヶ国(ハンガリー、オーストリア、チェコ)旅行6日目

チェコについてのおさらい
プラハに首都をおくチェコはボヘミヤとモラヴィア地方からなっており、ボヘミヤの起源は紀元前に遡りケルト人のボイイ族のラテン名ボイオヘムームに由来するらしい。
5~6世紀の民族大移動の時期にボヘミヤ・モラヴィアの地に定住したスラブ人がチェコ人の先祖と言われている。
モラヴィア王国の後を受けて、9世紀にプシェミスル家がハラッチャニの丘にプラハ城を創設してから町の発展が始まり、10世紀の初めにはヴァーツラフ1世がボヘミヤ王国を築くにいたる。
繁栄を続けていたボヘミヤ王国もオタカル2世がハプスブルグに敗れプシェミスル家は断絶、この機に乗じてルクセンブルグ家のヨハンがボヘミヤ王となる。後を継いだ息子のカレル1世は1355年、神聖ローマ帝国の皇帝(カール4世)になり、プラハは帝国の首都になる。

この時期には手狭になった市街の南に新市街が形成され、プラハ大学の創設、カレル橋が架けられるなど大いに発展し、現在のプラハの基盤が形作られた。15世紀のフス戦争、続く30年戦争などにより、チェコの王位はハンガリーや最終的にはハプスブルグ家に移り、第1次世界大戦まで400年に亘りハプスブルグ家の支配が続くことになる。

さて、プラハ城の観光、ガイドが待ち合わせ場所を間違えて小一時間遅れたスタートとなる。


プラハ城


プラハ城正門


第1の中庭と第2の中庭を結ぶマチア門

プラハ城には3つの中庭があり、正門を入った処が第1の中庭、正面に第2の中庭に通じるマーチャシュ門、右側の宮殿が大統領府。チェコの国旗が翻っており大統領が国内にいることを示しているとガイドの説明がある。
第2の中庭から第3の中庭へ出ると、中庭が狭いこともあり突然大聖堂が覆いかぶさってくる感じで圧倒される。

聖ヴィート大聖堂


聖ヴィート大聖堂 西のファサード

ゴッシック様式の大聖堂で、2つの尖塔の高さは82メートルあり、中ほどはさらに高い97メートルの鐘楼が建っている。
もともとあった石造りの円形教会堂が11世紀の初めにロマネスク様式教会堂に改装され、1344年にプラハが大司教管区に格上げされたのを機会にカレル1世の命によりゴシック様式の大聖堂への改築が着工されたが、資金不足やフス戦争などにより何度も中断し、600年かって20世紀に現在の姿になったもの。


この西のファサード入口から中に入る、身廊の奥行は124m、天井の高さが33m。見上げると身廊と側廊を分ける2列の列柱から柱がいくつも分岐し、さらに枝分かれして天井に広がっていて美しい、天まで届くことを願ったゴシック様式の網目状ヴォールトという建築手法で建築されているとのこと。


ステンド・グラス…ムシャの絵


ステンド・グラス


丸窓のバラのステンド・グラス

入口付近には大きなステンド・グラス窓が並んでいる。
チェコのアール・ヌーボ様式のステンド・グラスで、3番目がムシャの絵。バラの絵などカメラのシャッターを押していると、係りの人が撮影禁止のジェスチャー。ステンド・グラスは空気の汚れなどに影響されないので撮影はご自由にと何処かで説明されたことがあるが、処によっていろいろのようだ。

奥に進み王家の霊廟、主祭壇、カレル橋から投げ捨てられて殉教した聖ヤン・ネポムツキーの墓などを見て回る。反対側の側廊に聖ヴァーツラフの礼拝堂があり金とガーネットで作られた壁に囲まれた豪華な部屋を小さな窓から順番に覘く。
王冠のレプリカなど置いてあり、本物はさらに奥の部屋に保管されていて滅多に公開されないそうだ。礼拝堂の横から地下に降りてカレル4世の棺などを安置している納骨所をみる。


聖ヴィート大聖堂東側(内陣)のフライング・パットレス


南ファサードの鐘楼

2日目 ブタベスト

聖イシュトヴァーン大聖堂、アンドラシー大通り

 

午後の自由行動


くさり橋

昼食後、くさり橋の付近でバスを降り自由行動となる。夕食が王宮の近くのレストランだが、7時にホテルを出発するとのこと。
市街地にいるのに5km離れたホテルまで帰ることもないので添乗員に話してレストランには直行することにする。

午後の予定は聖イシュトヴァーン聖堂の中に入ってみること、アンドラシー大通り2.5kmを歩いてみること、英雄広場の横にある西洋美術館でルネッサンス以後の絵を楽しむこと、地下鉄でオクトコンに戻りリスト広場でリスト像を見ること、カフェでお茶をしてドナウ河畔に戻り国会議事堂をみることなどである。

聖イシュトヴァーン聖堂


聖イシュトヴァーン大聖堂

ブダペスト最大のネオ・ルネサンス様式の教会はドームの直径は22mほど高さは96m、中に立って見上げると大きさを実感する。


ドーム


主祭壇

主祭壇には二重の十字架を右手の持った聖イシュトヴァーンの大立像がある。


祭壇画

祭壇画はベンツール・ジュラの絵画、聖イシュトヴァーンが聖母マリアにハンガリーを捧げる場面とか。


奥の部屋には金銀で華麗に装飾された箱があり、中に聖イシュトヴァーンのミイラ化した右手が納められている。聖の右手と呼ばれているそうだ。コインを入れると明かりがつく仕掛になっていて、丁度、コインが入り明るくなったのでカメラのシャッターの便乗をする。

アンドラシー大通り

アンドラシー大通りは英雄広場とエリザヴェート広場を結ぶブダペストのメインストリート。大通りと英雄広場の周りは19世紀末の特徴的な建築様式で建てられているとか、フランスの並木道の影響も受けている感じだ。当時は馬車専用道路もあったらしい。

ハンガリー政府観光局に観光資料を依頼した時、アンドラシー大通りも世界遺産に登録されたので、ぜひ歩いて下さい、疲れたら下を走っている地下鉄の駅の間隔が短いので便利ですよと言われていたので2キロ半ほどを歩いてみることにする。

国立オペラ座、オペレッタ劇場、国立人形劇場、リスト博物館、コダイ記念館や英雄広場近くになって大使館らしき建物などを眺めながら小一時間かかって西洋美術館に着く。歩いてみて、街路樹で家並みが隠されることもあって、世界遺産という期待には物足りない感じである。

2日目 ブタベスト

マーチャーシュ教会、漁夫の砦、王宮

中欧3ヶ国(ハンガリー、オーストリア、チェコ)旅行2日目
ハンガリー観光

聖イシュトヴァーン大聖堂
バスは英雄広場から、2000年に世界遺産に指定されたアンドラシー通りを通って聖イシュトヴァーン大聖堂へ。
今日は日曜日、午前中はミサがあるので中に入ることは出来ず、正面広場から写真を撮って終わり。
午後のフリータイムに中に入ってみる価値がありますよと添乗員のお勧め。

ブダ地区
ドナウの真珠あるいはドナウのバラとも言われ世界で最も美しい町の一つと称されるブダペスト。
ドナウ川を挟んで西側がブダ、東側がペスト地区でくさり橋、エリザベート橋、自由橋などで結ばれている。
ペストはかまどの意味だが、ブダについては水の意味だとか、族長の名前に由来するとか、噴飯ものではマジャール族がアジア系民族族であることからブッダ(仏陀)を意味するとか諸説あるらしい。


王宮全体像
ブダの王宮の丘に最初に要塞が建設されたのは13世紀の後半だが、現在の王宮の基礎は14世紀の中ごろ、ジギスムント・ハンガリー王の時代の建設によるもの。

ドナウ川、対岸の国会議事堂
丘の下の南駅に通じるトンネルの処でバスを降り王宮の丘の階段をのぼる。途中で振返るとドナウ川のゆったりとした流れと対岸の国会議事堂や教会などの風景が広がりドナウの真珠を実感する。

マーチャーシ教会


マーチャーシ教会


この角度からの塔が一番美しいそうだ。現在修理中

階段をのぼりきると三位一体広場にでる、広場の前は13世紀後半、ベーラ4世の時に建てられた教会で、15世紀に尖塔など大改築をしたマーチャーシュ王に因んでマーチャーシュ教会と言われるようになった由、正式には聖母マリア教会。屋根から出ている小さい塔の上に鳥の形をしたものが見える。
ガイドさんがなんの鳥に見えるかと聞いて、誰かがカラスと答え、正解する。烏は日本では不吉な鳥として嫌われるが、ハンガリーではそんなことはなくマーチャーシ王のシンボルなのだそうだ。
トルコ支配時にはモスクに改装されるなど幾多の変遷を経て、現在の、ジョルナイという陶器で覆った、まるでレースのベール纏ったような屋根を持つネオゴッシック様式になったのは19世紀後半になってからとか。
オーストリア・ハンガリー二重帝国のハンガリー王妃となったエリザベートの戴冠もここで行われた。残念ながら教会の中に入らない。

漁夫の砦

マーチャーシュ教会の横につながる建国1000年を記念したトンガリ屋根の建造物、マジャール族のテントの似ているとか。ここからの眺めがすばらしい。

王宮
写真休憩の後、王宮に向かって南に移動。


王宮入口付近


王宮入口

王宮も13世紀半ばのベーラ4世の創建だが、トルコやハプスブルグ家の居所となったり、3度も破壊されるなどハンガリー歴史を象徴する建物の一つ。
降りだした雨のなか、第2次世界大戦で壊滅的打撃をもたらしたアメリカ軍による旧国防省や王宮の爆撃を非難する年輩のガイドさんの口調が印象的であった。
水色のドーム屋根が美しい現在の王宮は戦後に復旧されたものでナショナル・ギャラリーや歴史博物館、ルートヴィッヒ博物館などがある。


オイゲン公騎馬像
広場にはオイゲン公の騎馬像がたっている、トルコ軍を最終的に蹴散らした功績を称えるものとか。


マーチャーシの噴水

ライオンゲートの処で少し雨宿り、側にマーチャーシの噴水があり、王宮の壁を背にして若きマーチャーシ王が狩をする姿の像が立っている。
午前の観光はここまで。昼食後はフリータイム、オプショナルツアーの参加者は0とのこと。

3日目 ローテンブルグ

マルクト広場、ラートハウス、市参事宴会場、聖ヤコブ教会

4日目 ローテンブル観光
今日のスケジュールは古城街道を185km走ってローテンブルグ。ローテンブルグの観光を終えると、さらにロマンチック街道を210km走ってミュンヘンに向かうことになっていて、ながい道中だ。

ホテル出発は8時。途中古城の美しい景色が見えてきてバスが停まり、写真タイム、さすがベテランの添乗員はフレキシブルだ。

で、ロマネスク、ゴシック、ルネッサンス、バロックなどの建築様式変遷の解説やドイツの皇帝の話など添乗員の口はなかなか止まらない。
こうしてバスに揺られること3時間半、ローテンブルグに着く。

ローテンブルグ

ローテンブルグは古城街道とロマンチック街道が交差する処にあり、中世の宝石と呼ばれるロマンチック街道観光のハイライト。ヨーロッパの中世都市のうちでも昔の姿がほぼ完璧な姿で見られるので人気がある。


ローテンブルグ地図
ローテンブルグはU字に曲流するタウバー川に三方を囲まれた丘の上にあり、10世紀にローテンブルグ伯が城を築いたことに始まると言われている。
添乗員によればローテンブルグは城壁と6つある門も見所の一つで、最初の城壁はかの有名なバルバロッサの時代に造られ、13世紀後半には帝国都市のお墨付きが与えられ自由都市になり、商人の町として発展し、市壁も2次、3次と拡張された。市壁は現在、開放されていて上を歩けるとのこと。
門も市民に愛着があり、なかには拡張後も残されてものもある。その残された門の一つ白塔(ヴァイサー・トゥルム)を通って旧市街の広場に行く。

マルクト広場


マルクト広場
町の中心はマルクト広場、マルクトは英語のマーケットと同じの意味で市場の意味、遠隔地商人や手工業の親方などによる卸売り市がこの広場で行われていた。

ラートハウス

広場の西側には市役所に相当するラートハウスが建っており、入口の上のところに女神像がある。これは正義の女神で左手に天秤、右手に剣を持っていて町が市場監督権を持っていることを表している。

市参事宴会場


市参事宴会場
広場の北側には市参事宴会場と呼ばれる建物があり、無給で激務をこなす市参事達が只で一杯飲める処であった。
17世紀に改築された破風には一番上に日時計、次に双頭の鷲の紋章、下には日付の時計、時刻を表す時計がついている。

この時計は仕掛け時計で毎日7回、毎正時になると両脇の窓が開き左側の窓にティリー将軍、右には元市長ヌッシュの人形が現れ、マイスタートゥルンク(天下無双の一気飲み)を演じるので観光客の人気の的になっている。

30年戦争の時、自由都市としてプロテスタント側につき神聖ローマ帝国に叛旗をひるがえしたローテンブルグは700人の兵士に女子供まで戦い将軍の軍隊に大きな損害を与えた、怒ったバイエルン軍の猛将ティリー将軍は市を包囲し、市参事は斬首、町は焼き払うと宣言する。少しでも将軍の気持ちを和らげようとワイン管理人の娘がこの地方の美酒フランケンワインを差し出した。将軍は美酒に酔い「この大ジョッキのワインを一気に飲み干したら赦す」と言い出した。
市長は3.25ℓの大ジョッキを10分間で飲み干して、町を救ったと云う実際にあったことを再現しているのだそうだ。フリータイムの間に丁度、12時の演技があるので後で見物することにして、次は市参事宴会場の左の路地を入り聖ヤコブ教会に向かう。

聖ヤコブ教会

聖ヤコブ教会
聖ヤコブ教会は現在はプロテスタント教会で、14世紀の初めに建設が始まり、1世紀近くかかって建てられたゴシック様式。

聖血祭壇
この教会にある聖血祭壇は有名なので興味のある人は後で見て下さいと言う事で、ちょっと覗いてみる。

あと、添乗員の後について町なかをぞろぞろと歩く。


バウマスターハウス
16世紀中頃の建設兼収入役宅。ローテンブルグで1番美しい建物とされている。ローテンブルグも中世風の看板が家々の2階から道路に向かって突き出している、パン屋、クスリ屋、ホテルなど趣を感じる。1年中クリスマス用品を売っている店や人形博物館、聖ゲオルクの泉などを見る。

聖ゲオルクの泉

 

旧市街の建物、宮沢元首相も訪れた。


ヘレンガッセの角 木組み造りの家が美しい
ヘレンガッセはドイツ系の国のトイレで戸惑うヘレンとダーメンのヘレンで、かって、貴族や富豪が軒を並べていた旦那衆通りの意味。

ヘレンガッセを下って門をくぐるとブルグ公園に入る。ローテンブルグ伯が城を築いた跡がこの公園である。写真タイムのあと中世犯罪博物館の説明を聞き、集合場所の土産物屋を確認してフリータイム。

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