今日のスケジュールは古城街道を185km走ってローテンブルグ。ローテンブルグの観光を終えると、さらにロマンチック街道を210km走ってミュンヘンに向かうことになっていて、ながい道中だ。

ホテル出発は8時。途中古城の美しい景色が見えてきてバスが停まり、写真タイム、さすがベテランの添乗員はフレキシブルだ。
で、ロマネスク、ゴシック、ルネッサンス、バロックなどの建築様式変遷の解説やドイツの皇帝の話など添乗員の口はなかなか止まらない。
こうしてバスに揺られること3時間半、ローテンブルグに着く。

ローテンブルグ

ローテンブルグは古城街道とロマンチック街道が交差する処にあり、中世の宝石と呼ばれるロマンチック街道観光のハイライト。ヨーロッパの中世都市のうちでも昔の姿がほぼ完璧な姿で見られるので人気がある。

ローテンブルグはU字に曲流するタウバー川に三方を囲まれた丘の上にあり、10世紀にローテンブルグ伯が城を築いたことに始まると言われている。
添乗員によればローテンブルグは城壁と6つある門も見所の一つで、最初の城壁はかの有名なバルバロッサの時代に造られ、13世紀後半には帝国都市のお墨付きが与えられ自由都市になり、商人の町として発展し、市壁も2次、3次と拡張された。市壁は現在、開放されていて上を歩けるとのこと。
門も市民に愛着があり、なかには拡張後も残されてものもある。その残された門の一つ白塔(ヴァイサー・トゥルム)を通って旧市街の広場に行く。

マルクト広場

町の中心はマルクト広場、マルクトは英語のマーケットと同じの意味で市場の意味、遠隔地商人や手工業の親方などによる卸売り市がこの広場で行われていた。

ラートハウス

広場の西側には市役所に相当するラートハウスが建っており、入口の上のところに女神像がある。これは正義の女神で左手に天秤、右手に剣を持っていて町が市場監督権を持っていることを表している。

市参事宴会場

広場の北側には市参事宴会場と呼ばれる建物があり、無給で激務をこなす市参事達が只で一杯飲める処であった。
17世紀に改築された破風には一番上に日時計、次に双頭の鷲の紋章、下には日付の時計、時刻を表す時計がついている。
この時計は仕掛け時計で毎日7回、毎正時になると両脇の窓が開き左側の窓にティリー将軍、右には元市長ヌッシュの人形が現れ、マイスタートゥルンク(天下無双の一気飲み)を演じるので観光客の人気の的になっている。

30年戦争の時、自由都市としてプロテスタント側につき神聖ローマ帝国に叛旗をひるがえしたローテンブルグは700人の兵士に女子供まで戦い将軍の軍隊に大きな損害を与えた、怒ったバイエルン軍の猛将ティリー将軍は市を包囲し、市参事は斬首、町は焼き払うと宣言する。少しでも将軍の気持ちを和らげようとワイン管理人の娘がこの地方の美酒フランケンワインを差し出した。将軍は美酒に酔い「この大ジョッキのワインを一気に飲み干したら赦す」と言い出した。
市長は3.25ℓの大ジョッキを10分間で飲み干して、町を救ったと云う実際にあったことを再現しているのだそうだ。フリータイムの間に丁度、12時の演技があるので後で見物することにして、次は市参事宴会場の左の路地を入り聖ヤコブ教会に向かう。

聖ヤコブ教会

聖ヤコブ教会は現在はプロテスタント教会で、14世紀の初めに建設が始まり、1世紀近くかかって建てられたゴシック様式。この教会にある聖血祭壇は有名なので興味のある人は後で見て下さいと言う事で中には入らない。
で、添乗員の後について町なかをぞろぞろと歩く。ローテンブルグも中世風の看板が家々の2階から道路に向かって突き出している、パン屋、クスリ屋、ホテルなど趣を感じる。1年中クリスマス用品を売っている店や人形博物館、聖ゲオルクの泉などを見てヘレンガッセへ。

ヘレンガッセ

ヘレンガッセはドイツ系の国のトイレで戸惑うヘレンとダーメンのヘレンで、かって、貴族や富豪が軒を並べていた旦那衆通りの意味。
ヘレンガッセを下って門をくぐるとブルグ公園に入る。ローテンブルグ伯が城を築いた跡がこの公園である。写真タイムのあと中世犯罪博物館の説明を聞き、集合場所の土産物屋を確認してフリータイム。