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2日目 パリ

ルーヴル美術館(メソポタミア) 展示室4 その1

パリ、ロワール、ロンドン旅行2日目

ルーヴル美術館、古代オリエント美術部門
展示室4

展示室4は「コルサバードの中庭」と呼ばれ、サルゴン2世(在位BC722~705年)が建設した新都市、ドゥル・シャルキン(サルゴンの要塞の意)の宮殿からの出土した人面有翼牡牛像や壁面浮き彫り彫刻が展示されている。コルサバードはドゥル・シャルキンの現在の地名である。

BC2000年紀の初期にチグリス川の上流に興ったアッシリアは、凡そ1000年の雌伏の時を経て、新アッシリア時代に全オリエントを征服して一大帝国となった。サルゴン2世はその新アッシリア帝国の絶頂期の王の1人である。


彼が建設した新都市は7つゲートがある周囲約7kmの壁に囲まれ、


その北西の高台に造られた宮殿は、面積が10ha、200もの部屋がある壮大なものだったらしい。しかし、サルゴン2世はBC705年に遠征中に亡くなり、跡を継いだ息子は都を元のニネヴェに戻したためドゥル・シャルキンはほとんど使われぬまま見捨てられ、やがて砂に埋もれてしまったと言う。

「コルサバードの中庭」に展示されているものは、おもに、1843~44年にフランス人のポール・ボッタが宮殿の北西部を発掘した出土品である。発掘はその後、1852~55年にも行われ、1928~35年にはシカゴ大学オリエント研究所が大規模な発掘を行っている。

人面有翼牡牛像


ラマッス(Lamassu)または、シェドゥ(Shedu)と呼ばれる守護霊。
展示室2にBC3000年紀前半のものとされる人面牡牛像が展示されており、また、アレッポ国立博物館にもBC2500年頃のエブラから出土した人面牡牛像が展示されていたりするので、この地域では人面牡牛像は広く世界の基を守るとものと信じられていたらしい。

人面は王冠のような帽子を被り、2対の角を持ち、長い髭が胸元まで伸びて威厳のある顔である。人面部分だけが丸彫りになっていて、胴体と翼は深浮き彫りとなっているが、胴体は上部の壁を支える役割もしているようである。
像の足の部分をよく見ると足が5本ある、これは横から見る時に歩いているように見せる工夫なのだそうだ。なお、ラマッスはメスでシェドゥがオスらしいが、髭面のラマッスはどうみても牝牛には見えない。


「コルサバードの中庭」には、展示室2からの通路に1対と、中庭を挟んだ対面の通路の両側の壁に1対、中庭の奥の方に1体の人面有翼牡牛像が展示されている。
展示室2からの通路に展示されているのが、ポール・ボッタが発掘したもので王宮の中庭の「ファサードm」を飾っていたものだと言う。
中庭の奥の1体は1852~55年の発掘で出土したもので、ドゥル・シャルキンの都市壁の「ゲート3」に置かれていたらしい。
対面の通路の両側に展示されている人面有翼牡牛像は、説明プレートによれば、オリジナルはシカゴのオリエント研究所にあるということなので、そのコピーのようだ。

英雄像(ギルガメシュ?)


宮殿、玉座室の外壁(ファサードN)に取り付けられていた深浮彫の巨像である。像は神と王権を象徴し、像が発する静かな力が王宮を守護し、王の権力の継続性を確かにするものと言われている。
英雄像は、あご髭は胸まで伸ばし、膝丈の短い衣服を身につけており、右手に湾曲した形の武器を持ち、左手でライオンを抱きかかえている。英雄の前では、さすがのライオンも子猫のように小さく見え、前脚をぎゅっとつかまれて身動きもできないようだ。

「コルサバードの中庭」では英雄像は人面有翼牡牛像の隣に展示されているが、ドゥル・シャルキンで配置されていたのと同じように並べているのだと言う。
玉座室に入るには中庭から、この高さ5.52m、幅2.18mの英雄像や有翼人面牡牛像が見下ろす通路を通って進まなければならないので、王の威力に圧倒され、畏怖の念を懐かせるに充分である。
なお、この像は‘ギルガメシュ像’とも呼ばれているが、メソポタミアの伝説上の英雄に擬えられただけで、根拠があるわけではないようだ。

祝福を与える精霊像

1852~55年の発掘で、もう1体の精霊像と一緒に出土した。人面有翼牡牛像が置かれていた都市壁「ゲート3」の内側通路を飾っていた。

右手に松ぼっくりを持ち、左手には小さなバケツのようなものを提げている。このバケツのようなものから湧き出た聖水が松ぼっくりを通して通路を通る人々の上に撒かれ、祝福を与えると言うものである。 高さが4mもあるこの精霊像は、同時に守護霊でもある。この像は肩の辺りから2対の翼が生えているが、アッシリアの神話には人面牡牛や鳥面人、有翼人、人面有翼牡牛など超自然的な創造物がたくさん出て来る。こうした超自然的な力が都市を守ってくれるものと信じられていたらしい。

サルゴン2世と高官、家臣たち

サルゴン2世の宮殿には王座室に面した「栄誉の中庭」など大小いくつかの中庭があり、その周壁は浮彫りで飾られていた。その浮彫りは2kmの長さに及ぶものであったらしい。
「ファサードL」にはサルゴン2世と高官や家臣たちの行列の浮彫りが飾られていた。

サルゴン2世と高官

王は高い釣鐘形の帽子をかぶり、丈の長い衣服とマントを身につけ、右手に権力を象徴する長い杖を持っている。高官の方は、頭にはヘアバンド状の頭飾りをつけ、長衣の上に毛皮を巻きつけているようだ。

家臣たち


王に続いて従う家臣たち、前を行く人は長い髭を生やしているが後ろの人には髭がないが、身分の違いを表しているのだろうか、それとも宦官なのだろうか。

続いては2人の人物が狩猟用の馬車を運んでいるようで、前の人が支えているのは車輪や人を乗せる部分で後ろの人担いで運んでいるのは、馬につなぐ部分らしい。

その戦車の後には馬ていが馬を引きながら行進している、横から見ると1頭のように見えるが4頭である。

行列の最後は長椅子や皿鉢を掲げた人々が続いているので、これは饗宴の準備がととのっていることを表しているものと思われる。

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2日目 パリ

ルーヴル美術館(メソポタミア) 展示室2

パリ、ロワール、ロンドン旅行2日目

ルーヴル美術館、古代オリエント美術部門
展示室2

展示室1は小さい部屋が3つつながっていたが、展示室2は大きなワン・フロアーである。
この部屋に入って最初に目に付くのが右手奥に展示されているナラム・シン王の戦勝碑であるが、大きい。

ナラム・シン王の戦勝碑(BC2220頃、スーサ(イラン)出土、元々はシッパルにあった、高さ2mレッド・ライムストーン))


アッカド王朝4代目の王ナラム・シン(王位BC2254~2218)が、山岳地の蛮族と戦って勝利を収めたことを記念して作られたものである。
大きな砂岩の一枚岩に浮彫されていて、左側の山を登って進軍して行くのがアッカド軍の兵士たちで、その先頭のひときわ大きな人物がナラム・シン王である。
王の兜には神性を示す角飾りが付いており、右手に槍、左手に弓矢を持ち力強く歩を進め、その足元は敵兵を踏みつけている。
右側の敵兵は槍を受けて倒れる者、山から真っ逆さまに落下する者など様々である。
山の頂上には太陽が幾つか見えるのでナラム・シン王が太陽にその戦勝を捧げているところだと言う。スーサ出土とされているのは、この碑はBC12世紀にバビロニアに侵入したエラム王シュトゥルク・ナフンテがスーサに持ち去り、スーサの発掘で発見されたからである。

オベリスク(BC2270年頃、スーサ出土、元々はアッカド時代のもの、高さ1.4m、閃緑岩)


このオベリスクはアッカド王朝3代目の王マニシュトウシュ(王位BC2269~2255)が建てたもので、楔形文字の長い碑文が刻まれており、法の歴史においても重要な文書だと言われている。素材は硬い閃緑岩でオマーンから遠路はるばる輸入したもので、アッカドの王たちは閃緑岩を好んだらしい。
碑文は4面にわたって丹精な楔形文字が刻まれており、マニシュトウシュ王がキシュ領の広大な土地を購入し、4つの敷地に仕上げて部下の高官たちに分け与えたことが述べられているらしい。いずこの王も部下の忠誠心を得るために苦労していたようだ。

展示室2の奥のほうには‘グデア像’が多数展示されている。
グデアの時代は、山岳民族のグティによってアッカド王朝が崩壊させられた後、ラガシュ(ウンマによって壊滅させられたものの、細々と続いていた)が復活、繁栄を取り戻した時代である。グデアは神殿の建立を熱心に進め、たくさんの奉納物を捧げたと言われている。
グデア像は、神に祈りを捧げる姿を表した石像で、立像、または椅子に腰掛けた座像などがあるが、いずれの場合も、両手を胸の前で組み合わせた姿勢をとっている。神殿で王に代って守護神に祈るための像であり、王の肖像を彫刻したものではない。
そのため、像は王の風貌を表現するものではなく、祈る者としての理想の形を表現したものと言われている。

グデア座像(BC2120年、テロー(旧ギルス)出土、高さ46cm 閃緑岩)


グデア像として、よく見かけるのがこの像である。ターバンのような帽子を被り、丸い顔、柔和なまなざしをしており、これが当時の理想像だったようだ。
この像はグデア王の守護神であるニンギシュジダ神の神殿に置かれていたのだが、シュメールで個人神を通じて、上位の神に願いをとりなして貰うこととされていた。

建築家グデア像 (BC2100頃、テロー(旧ギルス)出土、高さ 93cm 閃緑岩)

この像はグデアが膝の上に建物のプランを載せていることから、‘建築家グデア像’と呼ばれている。ニンギルス神殿の平面設計図で、グデアは夢の中で神から神殿のプランを授かり、造営作業に取り組んだと言われている。


この像はグデアが膝の上に建物のプランを載せていることから、‘建築家グデア像’と呼ばれている。ニンギルス神殿の平面設計図で、グデアは夢の中で神から神殿のプランを授かり、造営作業に取り組んだと言われている。

でかい(colossal)グデア像(BC2100年頃、テロー(旧ギルス)出土、閃緑岩 高さ157cm)


ルーヴルのグデア像には、小さなグデア、建築家グデア、肩幅の広いグデアなどニックネームが付けられている。このグデアは坐像にもかかわらず、高さが1m57cmもあるので、でどかいグデアと呼ばれている。

グデア立像(BC2120年頃、テロー(旧ギルス)出土、閃緑岩 高さ70.5cm)


グデア像は頭部が欠けたりしているが、この像はめずらしく完全な像である。立像にしては高さが70.5cmと比較的小さい。ガラスケースに入れられている。
ルーヴルのデータベースで調べてみると、この像は無名像(Anepigraphic statue)となっているが、顔の表情は豊かであり、胸の前で組み合わされた指、腕から垂れている布の柔らかな曲線など表現が豊かである。ガラスケースに入れられている。

肩掛けをした婦人の胸像(BC2150年頃、テロー(ラガシュ)出土、高さ 17cm 凍石)


新シュメール時代の女性像で最も美しいものの1つとされていて、‘肩掛けをした女’(a woman with scarf)のニックネームが付けられている。グデア夫人の肖像などとも言われているが、確かな根拠があるわけではないらしい。頭にヘアバンド状の飾りを付け、その下から左右に均等に分けられた、波うつ髪の毛が見えている。眉が太く左右つながり、目は大きく、鼻筋が通っていて、なかなかの美人である。首輪を飾り、衣服と肩掛けには縁飾りの付いたものを着用していて、身分の高い婦人の持つ気品がつたわってくる。
胸の前に両手を組み合わせているので、神に祈りを捧げているところだろうか。

(ルーヴル美術館の公式サイトで、この像は‘ポロスを被った婦人像’として解説されていた。ポロスは丈の高い帽子のことで、マリの風俗である。そこで、日本のオリエント学会に資料を添付してルーヴル美術館の解説は間違っているのではと照会した。オリエント学会にはたな晒しにされたので直接ルーヴル美術館に手紙を書いたところ、ルーヴル美術館はサイトの訂正をした。ところが、解説を修正するのではなく、写真の差し替えで済ませた。そのため、現在では写真と解説は一致しているが、‘肩掛けをした婦人の胸像’はルーヴル美術館の公式サイトでは見られなくなっている。‘ポロスを被った婦人像’は展示室1に展示されており高さ14cmほどの小品であり、重要性からすると‘肩掛けをした婦人の胸像’がはるかに高いと思われるのだが・・・・)
(ルーヴル公式サイトの訂正前のものは→ a woman with scarf

アッカド時代の丸彫りの戦勝碑が3体、素材は閃緑岩でピラミッドのような形に仕上げられている。それぞれ違う戦いの場面が描かれているが、これらは王の勝利を祝うもので神殿のなかに据えられていた。サルゴンの宮殿の工房で作られたもの。

アッカド王の戦勝碑の先端部分(BC2300年頃、スーサ出土、高さ 54cm 閃緑岩)


敵の捕虜が捕らえられ、狩猟用の網に閉じ込められている場面である。網のなかをよくみると猿らしきものがいる。捕虜は猿とおなじように扱われたのであろうか。

戦勝碑の一部分(BC2340~2279年頃、スーサ出土、高さ 46cm 閃緑岩)


この場面は捕えられた敵の捕虜が連行されているところである。捕虜は裸にされ、両手は後ろでに縛られている。アッカドの兵士は先の尖った武器を右手に持ち、左手は捕虜の後頭部をせっついて速く歩かせようとしているのが見て取れる。

サルゴン王の戦勝碑(BC2300年頃、スーサ出土、高さ、91cm 閃緑岩)


サルゴン王の兵士がこん棒のような武器をかついで行進している場面のようである。

人面牡牛像(BC3000年紀後期、新シュメール期、購入、高さ12.1cm 凍石)


この像と並んでもう1体、人面牡牛像が展示されているが、どこから出土したのかはっきりしていない。テロ(旧ラガシュ)から発見されたものが、良く似ていることもあってラガシュに由来するものではないかと言われている。角飾りの付いた丈の高い帽子をかぶり、長くひげを垂らした人面と牡牛の胴体をしているこの像は、アッシリアの王宮入り口の有翼人面牡牛像を思わせるものである。
もう1体の像と同じように背中に穴があることから、この人面牡牛像は何か支柱のようなものを支えるためのものと考えられている。

 

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2日目 パリ

ルーヴル美術館(メソポタミア) 展示室1 その3

フランス(パリ、ロワール)、イギリス(ロンドン)旅行

2日目

ルーヴル美術館、古代オリエント美術部門その3

代官エビフ・イルの坐像(BC2400年頃、マリ、イシュタル神殿出土 アラバスター、ラピスラズリ、貝殻)


マリの高官エビー・イルの像で、籠細工の椅子に腰掛けて、胸の前に両手を組み合わせて祈りを捧げているところである。
長いあご髭と大きな目が特徴で、大きな目を見開いているのは世間のことは全部分かっていることを表しているとシリア旅行の時にガイドさんが説明していたが、顔の表情はダマスカスの博物館のシャガマンン像より丸みをおびて穏やかな気がする。また、スカート状の衣のカウナケスもふかふかした感じである。

ギナク像(BC2700 ディヤラ谷出土、アラバスター 高さ26cm)


シュメールのエディンの支配者ギナクの礼拝像。シュメール初期の彫像のためか、ちょっと角ばった感じである。彫像は支配者ギナクに代わって神殿でお祈りするものとされていたらしい。エディンが何処にあったのか未だ分からないらしい。この立像も大きな目と長いあご髭をしており、穏やかな感じはエビー・イル像に似ている。

礼拝者胸像(BC2500~2400頃 マリ、イシュタル神殿出土、高さ14.7cm アラバスター)


マリの高官エビー・イル像とほぼ同時期のもの。大きな目は瀝青で真珠貝の母貝を象嵌しているらしい。ぎょろっとした大きな目とやせ細った体はインドの聖者を思わせる。

礼拝者坐像(BC3000年紀 テロー(旧ギルス)アラバスター 高さ21.5cm)


この礼拝者坐像も平凡な作りである。個人が礼拝者像を作って奉納することもあったらしいので、これはそうした類かも知れない。

礼拝者坐像(BC2400頃、閃緑岩)


ウンマの高官、 ルーパッド像、ほとんど首がなくマリのエビー・イルに比べると素朴な感じである。図太い怪僧のようでもあるが、ラガシュのウルナンシェとの戦いでは敗れて捕虜となった。

 

キシュ王ルガルの銘のある巨大な槍(BC2600年頃、銅製)


木製の柄を備えていたこの槍は、ギルス市にあった神殿のひとつに奉納されていた物である。槍の先端部には、後脚で立つ獅子の姿と碑文が刻まれており、碑文は‘ルガル、キシュの王’と刻まれているのだそうだ。

粘土板(BC2370年頃 テロー(旧ギルス)粘土)


ラガシュのある神殿の保管管理庫で見つかった。この粘土板には神殿への奉納目録が書かれている。

土地売買契約書(BC3000年紀初期、シュルパック、縦10.8cm、横10.4cm、粘土板)


シュルパックは穀物の貯蔵と輸送を担う都市になっていたとされ、シュメールの他のどの都市よりも多くのサイロを持っていたと言われている。こうしたことから農地の売買が行われていたらしい。

下図は絵文字の図解として展示品に付けられている説明の1部を拡大したもので、

は土地を意味し、は果樹とか農作物を表わすらしいので、農地と解釈される。

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2日目 パリ

ルーヴル美術館(メソポタミア) 展示室1 その2

パリ、ロワール、ロンドン旅行2日目

ルーヴル美術館、古代オリエント美術部門
展示室1その3

最古の粘土板(BC4000年紀末 ウルク、長さ4.5cm 粘土)


楔形文字が出現する前、BC3300年頃の絵文字である。ほとんどは国家の収入と支出、物品の出納を記録する会計簿であったと言われている。
絵文字で食料や動物が表され、丸い穴は数量を示しているらしい。

ドゥドゥ王の奉納額(初期王朝時代、BC2450年頃 テロー(旧ギルス出土、高さ25cm、天然アスファルト)


この奉納板はラガシュ王、大神官ドゥドゥがエニンヌ神殿に祭られているニンギルス神に献じたものである。
右側に立っている人物がドウドウ自身で、頭部は欠けているがカウナケスのスカートをつけ、左手には長い杖を持っている。左上には翼を広げた獅子頭の鷲が背中合わせに並んだ二頭のライオンの背に爪を立てているところで、一般にニンギルス神のシンボルと考えられている。獅子頭の鷲とライオンの組み合わせは他のラガシュの出土物にも見られるが、鷲の下押さえつけられたライオンが頭をもたげ、鷲の翼に食いついている場面は珍しいらしい。
中段左側では、若い牝牛がうずくまっていた姿勢から右前足を立てて起き上がろうとしているところが表わされている。最下段には4つの渦巻きからなる奇妙ま文様が見られるが、これが何を意味するのか明らかでない。
ドゥドゥの像と獅子頭の鷲、ライオン、牛、渦巻き模様の4つの要素が互いにどのような関係を持っているのかについては分かっていないらしい。

エンテメナ王の銀の壷(BC2500頃 テロー(旧ギルス)出土、高さ35cm 銀製)


銀を打ち出して作った壷で非常に洗練された形をしている。口のとろに楔模形文字でエンテメナ王がニンギルス神のために純銀で作り、その神殿エニンヌに奉納したものであると銘文されているという。
壷の表面にはアンズーがライオンの背に爪をかけているところ、そのライオンが山羊と鹿の頭に食いついているところが刻まれており、とても4500年以上も前のものとは思えないほど生き生きとしている。

黄金の装身具(BC2500年頃 金、貴石 ウル出土)


ウルの王墓に埋葬されていた副葬品。大小の墓坑からは埋葬死体.多数の殉葬者の死体、死者とともに埋められたおぴただしい数の副葬品が出土した。
副葬品はいずれも金,銀その他の金属,貴石,貝殻などをふんだんに使った贅沢な装身具,家具.楽器.その他様々な工芸品類であった。この黄金の装身具は埋葬された貴婦人の遺骸が身につけていたものである。頭飾、耳輪、首飾りなど金の板を薄くのぱし、これを様々な形態に切り抜いて装身具にすることが,この頃のウルでは盛んであったようである。
これはシュメールの地で産出するものではなく、遠方の地から交易によってもたらされたものである。

モザイク・パネルの装飾フリーズ(BC2500~2400年頃 マリ、イシュタル神 殿出土 貝殻・凍結岩製)


貝殻を切り抜いて作った像を配したマリ出土の作品で元々はパネル状の本体の表面に取り付けられていたらしい。
画面が上下二段に仕切られ、下段右側馬に引かれた車と兵士らしき男、左側に腰と腕に縄を巻きつけられた裸身の男たちがいることから、戦争にまつわる話と考えられる。
上段では味方の兵士と思われる男たちが並び、中央に軍旗を高く掲げた男がこれと向き合い、更に後方に武器を持った兵士が続く。捕虜の姿をした男は下段の4~5人のほか,上段左端にも二人見える。
貝殻という脆い材料を使いながら,それぞれの人物に表情を持たせ,巧みな表現処理を見せている。

牡牛頭像(BC3000年紀 テロー(旧ギルス)、銅、ラピス・ラズリ、真珠の母貝)


この牡牛の頭像も4000年以上も前の作品とは思えない見事な出来栄えである。
この牡牛頭像は、多分、竪琴の共鳴箱を飾っていたものだろう言われている。

ウルイニムギナ王の円錐碑(BC2400年頃、テロー(旧ギルス)出土)


ウルイニムギナ王の改革碑文と呼ばれているもので、前王の悪政を非難し改革を行ったことが記されていると言う。役人の腐敗を一掃し、税を軽くしたり、また弱者救済を行ったことなどだが、ウルイニムギナ王は王権の簒奪者だったので改革、改革と唱えて政権の維持を図ったとも言われている。
ウルイニムギナ王は初期王朝時代のラガシュの最後の王と言われている。ウンマによってラガシュは破壊され、長く続いた抗争もようやく終止符を打ったとのこと。

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2日目 パリ

ルーヴル美術館(メソポタミア) 展示室1 その1

パリ、ロワール、ロンドン旅行2日目

ルーヴル美術館、古代オリエント美術部門
展示室1
今回のパリの宿はロワール行きに便利なモンパルナス駅の近くにしている。
ホテルを9時前に出て、6分ほどでモンパルナスの駅前に着く。ホテルのフロントでモンパルナスからルーヴルへはバスが便利で、路線番号95のモンマルトル行きに乗ればいいと教えて貰っている。
95番の乗り場に行くとすでにバスがとまっているので慌てて飛び乗ると、バスはすぐに走り出した。が、国鉄の駅沿いを走りだしたので、どうやら反対方向に向かっているようだ。近頃はこうした間違いをしょっちゅう起こしている、加齢で痴ほうが進んでいることなので仕方がないことかも。
次のバス停で降り、今度はモンマルトル行きを確認して乗り換える。切符の方は刻印しているが、買い替えは勘弁してもらう。

さて、ルーヴル、
ルーヴルの古代オリエント美術部門はリシュリュ翼にある。その入口を通って、エスカレータで1階に上がったところが展示室1である。展示室1には新石器時代からシュメール初期王朝時代の出土品が展示されており、その最初にお目にかかるのが禿げ鷹の碑である。

禿げ鷹の碑(BC2450年頃、テロー(旧ギルス)出土、高さ1.8m)

禿げ鷹の碑は部屋の壁をくり抜いて背中合わせに、1面が室内から、2面が室外から見られるようになっている。
破片が4~5枚張り付けられた何でもないパネルのようだが、この禿げ鷹の碑は現在知られている最古の歴史編さん記録なんだそうだ。これはラガシュの王エアンナトゥムが、隣接する都市ウンマとの戦いに勝利を収めたことを記念した碑で、1面、2面ともに浮彫が施され、楔形文字で銘文が刻み付けられている。一般的に1面が歴史的な面、2面が神話的な面と言われている。
この作品が一般に’禿鷹の碑’と呼ばれるのは、1面の1番上段の破片に兵士の死体を啄ばんでいる禿げ鷹の姿が見られるからだそうだ。


1面上段の拡大図
1面上段の比較的大きな破片は、エアンナトゥム王を先頭にしてラガシュの軍隊が隊列を組んで進軍する様が刻まれている。ラガシュの兵士たちが敵兵の死骸を乗り越えて進んでいるのでこれは勝ち戦である。
次の段には戦車に乗って進むエアンナトゥムと、それに続く歩兵たちが描かれている。王は右手に持っているものはよく分からないが左手に持っているのは長い槍である。
歩兵たちは上段とは異なり盾も持たず上半身裸のままで、槍を構える代わりに肩にかついでいるので、戦いの勝敗はほぼ決した様子である。

1面 右上段の拡大図…禿げ鷹が兵士の死体を啄ばんでいる


2面は神々の戦いの場面で、中央に立つ大きな人物が籠の中に捕らえた敵兵たちを梶棒で打っているところが描かれており、この大きな人物はラガシュの守護神ニンギルスである。
捕虜の入った籠の上部には二頭のライオンの背に爪をかけた獅子頭の鷲が翼を広げているが、これはニンギルス神のシンボルである。

禿げ鷹の碑に関連する展示品も併せて見ておくことにする、次のエンテメナ王の円錐碑である。

エンテメナ王の円錐碑文(BC2400年頃、テロー(旧ギルス)出土、
高さ27cm)


エンテメナ王はエアンナトゥム王の甥で、エアンナトゥムの2代後のラガシュ王。
ラガシュと隣国のウンマの間で領土の境界のことで争いが絶えなかった。このエンテメナ王の円錐碑文はラガシュとウンマの国境争いを回顧したもので、2国間の境界はキシュ王メシリムの調停によって定められ境界石が立てられていたが、ウンマがこの碑の位置を動かしてラガシュの領土に侵入したのが、禿げ鷹の碑の戦いの原因だとしている。この国境争いはエンテメナ王の時代も、さらにその後も続いていた。
なお、この国境争いとなったところは‘グ・エディン’という土地でエデンの園のモデルだとも言われている。

次はちょっと気になる新石器時代の美人3体。ヌードでいずれも立派なオッパイでいらっしゃる。


女性小像(BC6000年頃、テル・エス=サワン出土 高さ5.4cm)

メソポタミア最古の女性像、高さは5.4cmと小さいが、サマッラ期からハッスナー期に遡る時期のもと言われている。アラバスターを削って作られており、灌漑農耕の始まったころの個人の住居の下の子供の墓から見つかったもの。子供に寄り添う母親をイメージさせるが、単純化された裸体は豊穣と多産を願ってのことだろう。

ハラフの女人土偶(BC6000年頃、ハラフ期 メソポタミアまたは北シリア 高さ8.2cm 彩色テラコッタ)


粘土を捏ねて彩色され、フォルムが強調されており、ハラフ新石器時代の特徴を表わしていると言われている。胸の周りに腕を組んで分娩を想起させる姿をしていると言う解説があるが、素人目には分娩の様子には思えない。ハラフ期には小さな村落が多様化して牧畜を伴う穀物農耕になっていたので、立派なオッパイを持つこの女性坐像も豊穣多産を願って作られたにちがいない。

ウバイドの女性土偶(BC5000年紀、テロー(旧ギルス)出土、高さ6.2cm 彩色テラコッタ)


メソポタミア南部に人々が定住し始めたのがBC5000年頃で、北部のサマッラ文化やハラフ文化がメソポタミアの南部まで伝わってきて、ウバイド文化期(BC5000~3500)に引き継がれていった。
ウバイド中期には灌漑農耕が発達し収量が飛躍的に増えたと言われている。
頭部が欠けているこの土偶は粘土を捏ねて焼成し、彩色で絵付けされている。ここでも農耕社会の豊穣と多産の願いから女性土偶が作られていたと考えられる

王―祭司像(BC3300年頃、ウルク期 高さ30.5cm、石灰岩)


一見、こけし人形のようなこの小像は、メソポタミア南部における権力の萌芽を表わすものである。農耕と畜産が進み、町が豊かになってくると徐々に住民の階層化が起こってきて、最高権力者が町の中心に神殿を建て祭司王として君臨することになる。
輪のように顔を囲んでいる髭、ヘヤーバンドのような被り物は権威を表しているのだろうか。

 

ウル・ナンシェエ王の奉納板(BC3000年紀中頃、テロ(ラガシュ)出土 高さ40cm 石灰岩)


ラガシュの王ウル・ナンシェエがニンギルス神(ラガシュの主神)の神殿造営を記念して奉納した石製浮彫板である。真ん中の穴は神殿の鉤に突き刺してかかげるための穴ではないかと言われている。上段にはウル・ナンシェ王が神殿建築のための煉瓦が盛られた籠を自ら運ぶ姿と、高官と子供たちが従っている様子が描かれている。下段は神殿完成後に杯を持って祝宴に臨むとろである。カウナケスというスカートなどに楔形文字で銘文が書かれているので詳しく内容が分かっているらしい。

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