世界のえーとこ見に行こう!!   

ご用とお急ぎのない方は、ごゆっくりどうぞ。

スポット: 美術館・博物館 (6ページ / 13ページ)

8日目 ベルリン

ペルガモン博物館

ロンドン、ドイツ東部旅行8日目

ベルリン市内観光その2

ペルガモン博物館


トルコのベルガマにあるゼウス大祭壇の跡地

インフォメーション・センターで、今日はペルガモン博物館は10時まで開いていると聞いていたので、帰りのバスをベルリン大聖堂のところで降りて博物館島に行く。

4月にトルコ旅行でベルガマに行ったが、アクロポリスのゼウス大祭壇はドイツによって運び去られ跡地だけだったので、ゼウス大祭壇はどんなものだったのか見たいと思ったのがドイツ東部旅行の目的の1つでもある。

ペルガモン王国はアレキサンダー大王の死後、トルコ西海岸の地で大王の遺産を引き継いで築かれた王国で、小アジアなどとの交易でペルガモン王国は富みを築き、ヘレニズム文明の中心として発展した。紀元前170年頃のヘレニズム文化の最高傑作と言われているのが、このゼウス大祭壇である。


ペルガモン博物館

入口の横にある音声ガイドのデスクで日本語のガイドを借りて、ペルガモン祭壇の部屋に入る。

祭壇は新約聖書でサタンの座と書かれた祭壇を忠実に復元していると言われ、長さ35~34m、高さ10mほど。
30段の階段の上にはコの字形の列柱回廊がそびえ、階段の途中に作られた出っ張った台座が列柱回廊の両翼部を支える構造になっている。
祭壇を取り囲む広間の壁や台座のフリーズには高さ2.3m、延長113mにわたってオリンポスの神々が巨人族と戦う様子が深浮き彫りで彫刻され立体感があり躍動感を感じさせる。

ゼウスのレリーフ


広間の正面のフリーズにはゼウスが鷲に伴われ3人の巨人と戦っているところが描かれていて、ゼウスは力強く、満身の力を振り絞っているようだ。

女神のレリーフ


広間右手のフリーズには女神がへびが巻きついた器を投げようとしている場面があり、華奢な顔立ちの女神は髪をアップにし、衣服の襞は流れるようで華麗に表現されている。

海神のレリーフ


出っ張り部の正面には海神トリトンが母と共に巨人と戦っている様子、階段側のフリーズにはネレウスやオケアノスらの海神が巨人たちを追い詰め、戦いの場を制圧している場面が描かれ、濡れた衣服が体にくっつき、襞が重く垂れ下がっている様子はヘレニズムの自然主義の流れをくんでいるように思われる。


アテナ(狩の女神)が巨人族と戦っている


アルテミスとヘテカ(冥界の女神)が戦いの様子

113mにわたって描かれている戦いの場面はいずれも力強く、躍動的、華麗でヘレニズムの傑作と言われるのが頷ける。

ペルガモン博物館はペルガモン祭壇の部屋を真ん中にコの字形に展示室が並んでいて左手はギリシャ・ローマの建築や美術、右手にはミトレスの市場門を通るとイシュタル門、行列通り、バビロニアやアッシリアなど西アジアの美術の展示室となっている。(ペルガモン遺跡、ゼウス大祭壇へ)

ギリシャ・ローマの彫刻・美術

アテネ神殿の部屋を通ると、ギリシャ彫刻の部屋が続いている。

女神立像…高さ2m


アテネの神殿


ライオン

最初の部屋にはアッティカ出土で紀元前5世紀頃と言われる、高さ2mの女神立像、二人の死者の墓碑レリーフ(スパルタ近郊)など、王座の女神像、少女の墓碑レリーフ、ライオン、戦車競争のレリーフ、ペルガモンのアッタロス1世の肖像など、2階の部屋にはユリウス・シーザーの胸像などなど。

ミトレスの市場門

祭壇の部屋に戻り、右手に回ると最初は古代ローマのミトレス市場門の部屋。皇帝ハドリアヌス時代の建築でローマの南市場の入口にあったもの、高さ30mほどの2階建て大理石造りの古代ローマを代表するファサードであるが、残念ながら補修工事のため網がかかっている。
で、次のイシュタル門、行列通りへ

イシュタル門、行列通り

エジプトと西アジアはともに文明の発祥の地であり、変遷の激しかった西アジアで紀元前7世紀後半にメソポタミアを支配したのが新バビロニアであった。

バビロンの守護神マルドゥクの主神殿はエサギラと呼ばれ、ここでは毎年春の初めに新年祭が行われ、主神マルドゥクと妻ベルトウ女神に対する祈祷と供養が行われた。神官が神前でバビロンの王を打ち据え、過去1年の行為を審判する、王の宣誓と涙によって査問は終了し王位は1年更新される。

王位更新を済ませた王と神官に導かれた行列が市外にあるアキートウ神殿に向かう。イシュタル門を経てユーフラテス川を越え、アキートウ神殿で新年祭の行事が行われ、王と国土の運命が定められる。


イシュタルは愛と戦いの女神で、バビロンでは主神マルドゥクに次ぐ神である。そのイシュタルの聖なる動物がライオンである。
行列通りはイシュタル門と神殿をつなぎ長さ180m、120頭のライオンが壁を飾っていたと言われている。(パルミラ、ベル神殿に戻る)

19世紀末にドイツ隊が発掘し、1930年にペルガモン博物館が開館したときに、この行列通りの30mとイシュタル門が復元されたとのこと。
煉瓦壁のライオンは堂々と歩いている姿で描かれ、鮮やかな色彩で、生き生きとしており、近代の壁画を見ているような感じで、とても2500年以上も前のものとは思えない。

バビロンの門守


コンドル姿の神

8日目 ベルリン

カイザー・ヴィルヘルム記念教会、クーダム、ティアーガルテン、ベルリン大聖堂

ロンドン、ドイツ東部旅行8日目

ドレスデン~ベルリン
あと半日ドレスデン観光をして16時4分に出発するスケジュールになっていたが、予定していたところは見終わったので早めにベルリンに発つことにして、中央駅の切符売り場で時刻を調べて貰う。

変更するには料金が必要だがよいかと聞かれ、日本で座席指定料US$11を払っているのに追加料金が要るのかと尋ねると、3ユーロだと言われる。何らかのサービスを提供したらそれに見合う料金を請求するということか知らんと思いながら、ドイツ国鉄のがめつさに感心して3ユーロを払う。

12時4分に出発、2時間半弱でベルリンに到着。
ベルリンの宿はツォー駅の近くにしていて、主な列車はツォー駅に停車すると旅行案内書に書いてあるので油断していたが、チケットをよく見ると下車駅はオスト駅となっている。あわててオスト駅に降りるが、位置関係が分からない。

子供連れの女の人にツォー駅に行きたいのだがと尋ねると、「今来た電車に乗りなさい、ツォー駅は8つ目の駅ですよ」と教えられて、Sバーンという電車に乗る。アレキサンダー広場とかフリードリヒなど聞いたことのある駅名をみて安心しているとツォー・ガルテン駅に着く。

あとで分かったICEなどの発着はツォー駅ではなくオスト駅となっているようだ。

ベルリン観光その1

ベルリンには4泊、少し贅沢してツアーのクラスでは‘スーペリア’のホテルにしている。

しばらく休んで市内に。
まず、足場固めにツォー駅の周辺を歩いてみる。

ツオー・ガルテン駅


グロテスクな建物が見えてくるが、これはカイザー・ヴィルヘルム記念教会。第2次世界大戦の爆撃で廃墟となったが、ベルリン市民の希望でそのまま保存されているらしい。

オイロッパ・センターのインフォメーション・センターで地図を貰い、クーダム通りをぶらぶらする。

クーダム通りの賑わい

インフォメーション・センターの話では、ベルリンの観光は東西を走っているバスがあって、100番と200番の2つの路線があり、頻繁に走っているので便利だということだ。ヨーロッパの都市ではバス路線は複雑過ぎて市内の移動は地下鉄にしているが、ベルリンでは景色の見えるバスがよさそうだ。

ツォー駅に戻って100番のバスに乗る。バスは前から乗って切符をドライバーから買い、刻印機に通して乗車時刻を刻印するようになっている。切符を持っている人はドライバーにちらっと切符を見せるだけだ。


ベルリン大聖堂


アレキサンダー広場、マリエン教会


ベルリンテレビ塔


市庁舎

バスは2階建て、前方の席に座ると、町の真ん中に広がるティーアガルテン、戦勝記念塔ジーゲスゾイレ、6月17日通り、連邦議会、ウンター・デン・リンデン、フンボルト大学、ベルリン大聖堂など観光スポットが次々に現れてくる。

バスは5~6分間隔で走っているし、バス停の間隔も短いので間違って降りても心配なさそうだ。
アレキサンダー広場で降りて、マリエン教会や赤の市庁舎、テレビ塔などを見る。

 

 

7日目 ドレスデン

ツヴィンガー宮殿、アルテ・マイスター絵画舘、緑の丸天井

ロンドン、ドイツ東部旅行7日目

ドレスデン観光その2

遅めの朝食をとって、昨日の続きの見物に出かける。

ツヴィンガー宮殿
ツヴィンガー宮殿は18世紀の初め、神聖ローマ帝国の摂政についていたアウグスト1世強王が造営したバロック様式の宮殿だが、途中で造営が中止され博物館、美術館や図書館に変身したそうだ。


王冠門


ツヴィンガー宮の門館


中庭
劇場広場に面した建物をくぐってツヴィンガー宮に入ると広々とした中庭の通路の向こうに王冠門(クローネントーア)、右手にツヴィンガー宮の門館(ヴァル・パビリオン)、左に数学・物理学館の3翼館が拡っている。
王冠はポーランドの鷲4匹で支えられポーランド王でもあったことを示しているらしい。

門館はアウグスト強王がポーランドの王冠を手にし、ヘラ(権力)、アテネ(知恵)、アフロディア(愛)の女神に囲まれた構図でツヴィンガー宮の中でも最も壮麗なバロック様式の館であるが、その機能はアルテ・マイスター絵画館への階段がある館に過ぎないとも言われている。

アルテ・マイスター(古典・巨匠)絵画館
歴代のザクセン王が収集した15世紀から18世紀の絵画のコレクションであるが、アウグスト強王と息子のアウグスト2世の時代にその大半が収集されたと言われている。

2階がメインの展示室となっていて、入口を右手に進むとドイツ、オランダ、フランドルの絵画の部屋、まずルーベンスが2室 、レダと白鳥、パスセパなど。
次がレンブラントの部屋、’ガニュメデスの誘惑’、赤い花をもったサスキアなど、突き当たりに部屋の、フェルメールの‘やり手婆’、‘手紙を読む少女’は神戸と東京に出張中。

ウィーンの美術史美術館を昨年訪れた時にも、‘アトリエの画家’が神戸に出かけて留守であったが、金満日本人のフェルメール好きがよく分かる。
右手の階段を下りた中2階にデューラーやホルバインなど。


ルーベンス…パスセパ


レンブラント…赤い花をもったサスキア

もとに戻り、左手に回るとイタリア絵画が展示され、最初の部屋はティントテットで‘聖ミカエルのサタンとの戦い’、‘女達の演奏’など。

ティツィアーノは‘聖母子と4博士’、‘白い服装の婦人の肖像’などなど、ジョルジョーネの‘まどろむヴィーナス’と続き、圧巻はラファエロのシスティーナの聖母で、幼いイエスをしっかりと抱きかかえたマリアが、素足で雲を踏んで近づいてくる様子が描かれている。一点をみつめているようなマリアは気品に満ちて美しく、見る人を釘付けにしている。
アウグスト2世がどうしてもラファエロが欲しくて大枚を叩いたらしいが、現在、ドレスデンに人々を引きつけるのがこの絵である。

ラファエロ…システィーナの聖母

コレッジオ、ボッティチェリなどをみて、
3階に上がるとベラスケス、ムリリョなどスペイン画やフランス画など。


コレッジョ


ジョルジョーネ…まどろみのヴィーナス


リベラ…聖アグネス

武器博物館
アルテ・マイスター絵画館と通路を挟んで反対側にあるのが武器博物館、アルテ・マイスター絵画館のチケットで入場できるので、ついでに見物。


ヨーロッパ全土から収集した16世紀から18世紀ころの豪華な甲冑、槍、刀、馬具などが展示されている。

緑の丸天井
ツヴィンガー宮殿を出て、レジデンツ宮殿西翼の緑の丸天井へ。

緑の丸天井は17世紀後半、宮殿内の芸術の部屋の天井が緑色に塗られていたことからきている。昨年、宮殿の緑の丸天井が修復、ヨーロッパ有数の宝物館が再現されている。金銀細工の宝飾品、象牙や琥珀の工芸品、宝石をちりばめた器、ブロンズ彫刻などなど。


黄金のコーヒーセット、 186の顔が彫られたさくらんぼの種、象牙のフリゲート、真珠の人形など見ていて楽しいが、最大のものは‘ムガル帝国皇帝の宮廷’で金製、彩色エナメル像137体、5千以上のダイヤモンド、ルビー、エメラルドや真珠がちりばめられたアウラングゼーブ皇帝の宮廷の様子を表現したもので、精巧な細工に驚嘆させられる。貧乏人としては、費用が気になるが、小城ひとつくらいは造れたのだろうか。

この後、アルバティーヌムのノイエ・マスター絵画館に。

ノイエ・マイスター(近代・巨匠)絵画館
アルテ・マイスターが18世紀までの絵画館であるの対し、こちらは19世紀~20世紀のグスタフ・カールス、ルートヴィッヒ・リヒターなどドイツロマン派や、印象派など絵画2500点あまりを所蔵しており、ゴッホ、ドガ、マネやゴーギャンなども展示されている。

9日目 ジェラシュ

カルド、フォーラム、ローマ劇場、アルテミス神殿

シリア、ヨルダン旅行9日目(最終日)
ジェラシュ観光

シリア、ヨルダン旅行の最終日である。午前中にジェラシュの観光をして、昼食後、アンマン空港に向かう予定となっている。ホテルを出発して40分くらい走り、小川が流れているところでバスが停まる。

ヤボク川といって、旧約でヤコブが神と闘って勝ち、イスラエルの名を授けられたという物語の舞台だそうだ。残念ながら、今は工場廃水で汚染された小さな川に過ぎない。
ヤボク川から20分あまりでジェラシュに着く。

ジェラシュ

ガイドさんによれば、ジェラシュが歴史に登場するのはBC4世紀、アレキサンダー大王以降のことで、AD1世紀、ローマ軍がこの地方を支配するようにまると、ジェラシュはローマの属領となり、ダマスカス、フィラデルフィアなどの10都市からなるデカポリスに組み入れられた。そして、隊商都市としてデカポリスのなかでも栄えた都市だそうだ。

ジェラシュ遺跡地図

AD129年、ハドリアヌス帝がここを訪れて以来、凱旋門を初め、アルテミス神殿、北劇場、競技場、西浴場等が造られた。全長3.5kmの城壁に囲まれた町は、東側が市民が暮らす住居、西側がアクロポリスになっている。

15の教会跡が発見され、モザイクも残っているが、殆どの教会は5~7世紀に建てられたもの。746年の大地震でジェラシュ全体が廃虚となったらしい。

凱旋門、競技場、劇場、フォーラム(アゴラ)、列柱道路、ゼウス神殿、アルテミス神殿、浴場とくれば、これは立派にローマである。パルミラやペトラなど今回のツアーで訪れた遺跡はメソポタミアやフェニキア文明とローマが混じり合っているか古代オリエントの痕跡を残しているが、このジェラシュは100%ローマ遺跡である。

ガイドさんの説明を聞きながら、順番に見ていく。

ハドリアヌス帝の凱旋門


凱旋門

皇帝ハドリアヌスがここを訪れた記念に造られた。中央のアーチとその両側に小さなアーチからなっている。

競技場(ヒポドローム)

160m×65m、競馬や馬車競技などが行われた。ベンハーの戦車競争が行われたあの舞台である。BC2世紀のもの。
11時からローマ時代の戦車競争を模したショーが行われるそうで、料金はUS15$、何人かは参加されるようだが、自分はもう少し遺跡を見たいのと、博物館があるらしいので、ショーは遠慮申し上げる。

南門


南門…ジェラシュ市街への入口。城壁は3.5㎞あった。

城壁に囲まれた市街への入口、中央のアーチとその両側に小さなアーチからなっている。ハドリアヌス門と同じ様式。

フォーラム(アゴラ)

80×90mの楕円形の広場。楕円形はローマの広場では珍しいらしい。
円柱も柱頭が羊の角のように渦巻きになっているイオニア式で、ローマ遺跡では珍しいとのこと。床は敷石で舗装されて、中央の基段には像が置かれていたという。

ゼウス神殿

フォーラムの左上にある。破壊が激しくて柱が7~8本残っているだけで、柱の残骸が辺りちらばっている。基段は41×28m、高さ15mのコリント式柱で囲まれていたらしいが全体は想像できない。AD2世紀に再建されたものが現在に遺跡、最初の神殿はAD1世紀の初めに建てられたという。

列柱道路(カルド)

フォーラムにから南北に伸びているのがカルド、ジェラシュのメインストーリートで長さ800m。かつては両側にそれぞれ260本の円柱、計520本が並んでいた。
敷石はオリジナルで轍の跡が残っている。道路の下に平行して地下水路が造られていたことが敷石の隙間から見える。ここにもローマの高度な土木技術がみてとれる。

列柱は現在、左右に70本ほどのコリント式、イオニア式の列柱が復元されていそうだ。

四面門

フォーラムから150mほど歩くと十字路に出くわす。南北に走るメインストーリートが東西の道路(デクマノス)と交っている所で、4本の柱が立ちドーム型の屋根を支えていたそうだ。


デクマノス

カルドを南に行けばフィラデルフィア、北はガダーラ。デクマノスをずっと東に行けば地中海に出る。

ニンファエム

さらにカルドを進むと、道路に向かって半円形に大きく開いた噴水がある。祭儀や園芸に使われた。ギリシャ神話に出てくるニンフの噴水である。AD2世紀末のもの。

アルテミス神殿

ジェラシュの遺跡の中で1番大きいのがアルテミス神殿で、ジェラシュの守護神アルテミスに捧げられた。アルテミスはオリンポス12神の一人、アポロンと双子の兄妹で狩と豊穣の女神。英語ではダイアナ。


アルテミス神殿内陣
中庭が160×120mあり、神殿の基壇も40×23mと壮大なものであった。

神殿はもともと2重の列柱で囲まれていたが、現在残っているのは前面の1部で、南北に11本、東西に6本、13mの柱が立っている。神殿はジェラシュの最盛期AD2世紀に着工されたが、一部未完成となっているとのこと。

耐震構造になっていると言われ、丸く削られ柱の底が地震で揺れてもエネルギーを吸収するらしい。

ガイドさんがキーを間に挟み、われらの代表が柱を押すと微かにキーがゆれるのが分かる。

北劇場

アルテミス神殿の傍にあるのが北劇場、ローマ劇場で、客席は14段、2000人収容した。演劇や詩の朗読、罪人を動物と闘わせたりした。BC2世紀の中頃の建築、7世紀の地震で建物部分が壊れた。

ビザンチン教会

15のビザンチン教会が建てられていたが、保存状態がよいのが、聖ジョージ教会、洗礼者ヨハネ教会、聖コスモス教会。床のモザイクが残っている。

南劇場


南劇場

高台の道を戻り、フォーラムの真上辺りにあるのが南劇場。BC2世紀のローマ式劇場で3000人収容できた。席は予約制だったらしい。音響効果が抜群で現在もイベントに利用されているそうだ。

博物館


アルテミス神殿の復元模型


柱頭や梁に刻まれた模様

競技場の傍に博物館の分館のような所があり、のぞいてみるとアルテミス神殿の復元模型や神殿の崩れた柱頭や梁の一部が展示されている。模型をみるとアルテミス神殿の壮大さに改めて感心させられる。柱頭や梁には柘榴やぶどうなどの模様が鮮やかに刻まれておりローマ人の装飾好きがよく分かる。

博物館の本館はフォーラムの右手の丘の上にある。一部屋だけの小さい博物館でジェラシュの遺跡から出土したコインなどの出土小物が展示されている。こまごまとした遺物が展示されている。モザイクが目にとまるていど。ここも撮影禁止とは驚きだ。

アルテミス神殿と南劇場をもう1回見物、競技場のショーを遠くからちょっとだけ眺めてジェラシュ遺跡の見物は終わり。

10日間のツアーはあっと言う間に終わった感じですが、中身の濃いツアーでもありました。アレッポ博物館とダマスカス博物館が頭の中で混線しています。

次はメソポタミア文明の本丸に、と思ってもブッシュがグチャグチャにしてしまったので生きている間に行けそうもありません。

北九州、米子、千葉から参加されたご夫婦にはアットホームで楽しい旅にして頂きました。広島と千葉の美女2人にも色々と楽しい話を聞かせて貰いました。
元気印の添乗員さんは、添乗の仕事は満点でした。通訳の仕事も大変でした、2~3分り難い所があったようですが一生懸命で合格点ですね。

皆さんに感謝、感謝。

5日目 ダマスカス

ダマスカス国立博物館

シリア、ヨルダン旅行5日目 ダマスカス国立博物館
今日は博物館の開館時間に合わせて、ホテル出発は8時45分とゆっくり目である。15分ほどでダマスカス国立博物館に到着する。

さすがシリア、アレッポの博物館入口の3神像には驚かされたが、ダマスカス国立博物館の玄関は淡い紫の豪華な門である。これはパルミラ南西約80kmの砂漠で発見されたカスル・アルヘイルの門なのだそうだ。

ダマスカス国立博物館

ウマイヤ朝のカリフ、ヒシャムの宮殿で発見された5万個の破片をもって来て修復再現したもので、高さは16m、うち14mがレンガで2mが石灰岩である。

模様はイスラムの植物や幾何学模様なのだが、添乗員が指し示す先を見ると 女性の上半身裸体像が隠し絵のように刻まれている。ガイドさんによればビザンチンとイスラムが重なった時代なのでこのような表現もあったとのこと。

イスラム社会でも屋敷の中では肌をだした女性の絵が飾られることはあったようだが、宮殿の玄関に女性の上半身ヌードを幾何学模様のなかに潜ませるとは、カリフ、ヒシャムは遊び心があるというか、お主なかなかやるなという感じで何とも愉快である。

ネアンデルタール人の頭蓋骨

アフリカのエチオピア辺りで誕生した人類は、この地を経てヨーロッパやアジアに広がって行ったと言われ、またヨルダン渓谷で人類初の農業が始まったと言われているので、矢尻、斧、器、土偶やネアンデルタール人の頭蓋骨など石器時代の遺物が当たり前のように展示されているのはすごいが、個人的な興味は古代オリエント時代のシリアである。

ウガリットの部屋

世界最古アルファベット

ダマスカス博物館の至宝とされBC1400年頃のものと考えられるウガリットのアルファベットは長さ5cmほどの粘土板である。刻まれている文字は虫眼鏡が必要なほど小さいが、このアルファベットはアラム語、ギリシャ語に引き継がれ世界の発展に与えた影響ははかりしれない。

粘土板の文字は楔形文字の一種だが、アッカド語やバビロニア語が表意文字の性格を残しているのに対し、ウガリットでは表音文字となり、文字の一つひとつがa、b、gという発音を表すようになっている。左から右に読み、しかも30文字だけなので、商売のために一般庶民にも広まっていった。


印章…有翼日輪が見える

バール神立像


天上の主であり、ウガリットの守護神である。像はブロンズの上に金箔が張られた豪華なものである。象眼が施されていたらしい大きな目が印象的で、右手をかかげて信者に祝福を与えようとしてところらしい。

象牙のイシュタル女神
BC2千年紀、ウガリットでは象牙の彫刻が盛んになり重要な産業になっていた。これはエジプトとの交易で象牙が容易に手に入ったことによるそうだ。


この象牙の彫刻は焼けて黒くなっているが、よく見ると女性のヌードが彫られている。豊穣の神イシュタル女神だと言われている、角笛として使われていたらしい。

このほか、ウガリットの図書館で発見されたBC2千年紀の経済、行政、王室の文書、契約書などが記録された粘土板、ブロンズと金で作られたウガリットの最高神であるエル神像、象牙の王子の頭部像、皿、壷 ネックレスなど。

エブラの部屋

宮殿図書館で発見された経済文書、契約書、手紙などの楔形文字粘土板文書、円筒印章、秤、魔よけ、口あけた4匹の動物が描かれた大きな器など。

マリの部屋


アラバスタの王、神官の像
目が異常に大きく、世の中のことは全部わかっていることを表していると言う。
マリの宮殿のイシュタル神殿で発見された大きな目と長い髭の像は、背中の記述からマリ王イク・シャマガンの像であることが判明した。ガイドさんによればシャマガンは1990年に日本に出張したことがあるとのこと。

女性神官座像

イシュタル神殿で発見された女性神官の像。円筒形の冠をつけ、長いヴェールをまとっている。ふんわりと膨らんだドレスを着て、大きな目が遠くを見つめている。ヨーロッパのアンティークドールのようだ。

獅子頭の鷲像(アンズー)


アンズーと言われる怪鳥で、頭と尻尾が金のライオン、体がラピスラズリで鷲の姿である。黒い目が異様に大きく不気味である。

シュメール神話に出てくる嵐の神でニンギルス神の使いだそうだ。ガイドさんの話では魔よけとして使われていたらしい。

家の模型


マリの一般的な家庭の円形の家の模型、BC3000年頃、中庭を囲んで8つ部屋があり、窓はなかったようだ。


貝の円筒印章
このほか、粘土板文書、粘土板招待状、貝の円筒印章、ラピスラズリのネックレス、パン焼き、壷、器などなど。

パルミラの地下墳墓

地下に、エラベルの墓の近くにあったAD2世紀頃のアレハイ家の地下墳墓が原寸大に復元されている。

入口正面の左右や横の壁には一族の石棺がなん段にも収められ、名前と肖像が刻まれている。アーチ形の入口の奥には、死の床の様子が表現されているようで、真ん中に、横になり足をのべているアレハイ。左に夫人、右に息子や兄弟が並んでいる。杯を持っているので宴の様子を偲んでいるのだろうか。

シナゴーク

見物の最後はシナゴーク。ユーフラテス河中流のマリ遺跡に近いドゥラ・エウロポス遺跡から移設された。ドゥラ・エウロポスはもともとセレウコスが建設した東方防衛のための要塞都市であった。ドゥラは要塞、エウロポスはセレウコスが生まれたマケドニアの町の名前なのだそうだ。戦略的要衝のためセレウコス、パルティア、ローマと支配者が変り、最後はササン朝ペルシャによって破壊されてしまったという。1920年にイギリス軍が塹壕を掘っていて偶然に発見、発掘によって、それぞれ違う宗教の16の神殿が発見され、そのうちの1つがユダヤ教のシナゴークであった。AD165年と245年に2回建て替えられたそうだ、普通の民家をシナゴークに転用したらしい。

部屋に入ると、壁や天井は絵で埋められ尽くされていてギリシャ正教の教会に入った時のような圧迫感がある。ちょうど幾つかのツアーが重なって雑踏のようにごった返し、わがツアーの元気印の添乗員の通訳がうまく聞き取れない。

旧約聖書の物語が描かれているとかで、ナイル川でファラオの娘がモーゼを見つけて助けたところ、モーゼが海の道をつくりエジプトを脱出するところ、モーゼが十戒を読んでいるところ、モーゼが杖で岩を叩いて泉を出すところ、アブラハムが神に息子のイサクを生贄として捧げようとしているところ(神が忠誠心を確かめようとしたもので、息子を殺そうとした瞬間に止められ、生贄は羊でよいとされた)、聖書を置くため壁にへこみが作られたトーラ・ニッチなどなど。

ショップでシナゴークの20枚セットなど絵葉書やUS40$のガイドブックを買って博物館の見物は終わり。

博物館の中は撮影禁止。展示物についてまずい説明をだらだらと並べても面白くも何ともないし、百聞は一見にしかず。そんなこんなで、大枚を叩いて買ったガイドブックの出版社にメールしてみると、写真家で出版社のオーナーのニコラス・ランドールさんから直々に、写真に出版社名を明示すること、出版社のウエブ・サイトにリンクを貼ることの2つ条件つきでHPに載せる許可が出て、1週間後にはたくさんの画像が送られてきた。

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