今日は博物館の開館時間に合わせて、ホテル出発は8時45分とゆっくり目である。15分ほどでダマスカス国立博物館に到着する。
さすがシリア、アレッポの博物館入口の3神像には驚かされたが、ダマスカス国立博物館の玄関は淡い紫の豪華な門である。これはパルミラ南西約80kmの砂漠で発見されたカスル・アルヘイルの門なのだそうだ。
ウマイヤ朝のカリフ、ヒシャムの宮殿で発見された5万個の破片をもって来て修復再現したもので、高さは16m、うち14mがレンガで2mが石灰岩である。模様はイスラムの植物や幾何学模様なのだが、添乗員が指し示す先を見ると 女性の上半身裸体像が隠し絵のように刻まれている。ガイドさんによればビザンチンとイスラムが重なった時代なのでこのような表現もあったとのこと。
イスラム社会でも屋敷の中では肌をだした女性の絵が飾られることはあったようだが、宮殿の玄関に女性の上半身ヌードを幾何学模様のなかに潜ませるとは、カリフ、ヒシャムは遊び心があるというか、お主なかなかやるなという感じで何とも愉快である。
アフリカのエチオピア辺りで誕生した人類は、この地を経てヨーロッパやアジアに広がって行ったと言われ、またヨルダン渓谷で人類初の農業が始まったと言われているので、矢尻、斧、器、土偶やネアンデルタール人の頭蓋骨など石器時代の遺物が当たり前のように展示されているのはすごいが、個人的な興味は古代オリエント時代のシリアである。
ウガリットの部屋
世界最古アルファベット
ダマスカス博物館の至宝とされBC1400年頃のものと考えられるウガリットのアルファベットは長さ5cmほどの粘土板である。刻まれている文字は虫眼鏡が必要なほど小さいが、このアルファベットはアラム語、ギリシャ語に引き継がれ世界の発展に与えた影響ははかりしれない。
粘土板の文字は楔形文字の一種だが、アッカド語やバビロニア語が表意文字の性格を残しているのに対し、ウガリットでは表音文字となり、文字の一つひとつがa、b、gという発音を表すようになっている。左から右に読み、しかも30文字だけなので、商売のために一般庶民にも広まっていった。
バール神立像
天上の主であり、ウガリットの守護神である。像はブロンズの上に金箔が張られた豪華なものである。象眼が施されていたらしい大きな目が印象的で、右手をかかげて信者に祝福を与えようとしてところらしい。
象牙のイシュタル女神
BC2千年紀、ウガリットでは象牙の彫刻が盛んになり重要な産業になっていた。これはエジプトとの交易で象牙が容易に手に入ったことによるそうだ。
この象牙の彫刻は焼けて黒くなっているが、よく見ると女性のヌードが彫られている。豊穣の神イシュタル女神だと言われている、角笛として使われていたらしい。
このほか、ウガリットの図書館で発見されたBC2千年紀の経済、行政、王室の文書、契約書などが記録された粘土板、ブロンズと金で作られたウガリットの最高神であるエル神像、象牙の王子の頭部像、皿、壷 ネックレスなど。
エブラの部屋
宮殿図書館で発見された経済文書、契約書、手紙などの楔形文字粘土板文書、円筒印章、秤、魔よけ、口あけた4匹の動物が描かれた大きな器など。
マリの部屋
アラバスタの王、神官の像
目が異常に大きく、世の中のことは全部わかっていることを表していると言う。
マリの宮殿のイシュタル神殿で発見された大きな目と長い髭の像は、背中の記述からマリ王イク・シャマガンの像であることが判明した。ガイドさんによればシャマガンは1990年に日本に出張したことがあるとのこと。
女性神官座像
イシュタル神殿で発見された女性神官の像。円筒形の冠をつけ、長いヴェールをまとっている。ふんわりと膨らんだドレスを着て、大きな目が遠くを見つめている。ヨーロッパのアンティークドールのようだ。
獅子頭の鷲像(アンズー)
アンズーと言われる怪鳥で、頭と尻尾が金のライオン、体がラピスラズリで鷲の姿である。黒い目が異様に大きく不気味である。
シュメール神話に出てくる嵐の神でニンギルス神の使いだそうだ。ガイドさんの話では魔よけとして使われていたらしい。
家の模型
マリの一般的な家庭の円形の家の模型、BC3000年頃、中庭を囲んで8つ部屋があり、窓はなかったようだ。
このほか、粘土板文書、粘土板招待状、貝の円筒印章、ラピスラズリのネックレス、パン焼き、壷、器などなど。
パルミラの地下墳墓
地下に、エラベルの墓の近くにあったAD2世紀頃のアレハイ家の地下墳墓が原寸大に復元されている。
入口正面の左右や横の壁には一族の石棺がなん段にも収められ、名前と肖像が刻まれている。アーチ形の入口の奥には、死の床の様子が表現されているようで、真ん中に、横になり足をのべているアレハイ。左に夫人、右に息子や兄弟が並んでいる。杯を持っているので宴の様子を偲んでいるのだろうか。
シナゴーク
見物の最後はシナゴーク。ユーフラテス河中流のマリ遺跡に近いドゥラ・エウロポス遺跡から移設された。ドゥラ・エウロポスはもともとセレウコスが建設した東方防衛のための要塞都市であった。ドゥラは要塞、エウロポスはセレウコスが生まれたマケドニアの町の名前なのだそうだ。戦略的要衝のためセレウコス、パルティア、ローマと支配者が変り、最後はササン朝ペルシャによって破壊されてしまったという。1920年にイギリス軍が塹壕を掘っていて偶然に発見、発掘によって、それぞれ違う宗教の16の神殿が発見され、そのうちの1つがユダヤ教のシナゴークであった。AD165年と245年に2回建て替えられたそうだ、普通の民家をシナゴークに転用したらしい。
部屋に入ると、壁や天井は絵で埋められ尽くされていてギリシャ正教の教会に入った時のような圧迫感がある。ちょうど幾つかのツアーが重なって雑踏のようにごった返し、わがツアーの元気印の添乗員の通訳がうまく聞き取れない。
旧約聖書の物語が描かれているとかで、ナイル川でファラオの娘がモーゼを見つけて助けたところ、モーゼが海の道をつくりエジプトを脱出するところ、モーゼが十戒を読んでいるところ、モーゼが杖で岩を叩いて泉を出すところ、アブラハムが神に息子のイサクを生贄として捧げようとしているところ(神が忠誠心を確かめようとしたもので、息子を殺そうとした瞬間に止められ、生贄は羊でよいとされた)、聖書を置くため壁にへこみが作られたトーラ・ニッチなどなど。
ショップでシナゴークの20枚セットなど絵葉書やUS40$のガイドブックを買って博物館の見物は終わり。
博物館の中は撮影禁止。展示物についてまずい説明をだらだらと並べても面白くも何ともないし、百聞は一見にしかず。そんなこんなで、大枚を叩いて買ったガイドブックの出版社にメールしてみると、写真家で出版社のオーナーのニコラス・ランドールさんから直々に、写真に出版社名を明示すること、出版社のウエブ・サイトにリンクを貼ることの2つ条件つきでHPに載せる許可が出て、1週間後にはたくさんの画像が送られてきた。