世界のえーとこ見に行こう!!   

ご用とお急ぎのない方は、ごゆっくりどうぞ。

スポット: 美術館・博物館 (7ページ / 13ページ)

4日目 アレッポ

アレッポ城砦、スーク

シリア、ヨルダン旅行4日目
アレッポ城砦、スーク

博物館から15分ほどで、旧市街の真ん中にあるアレッポ城砦に着く。

最初の門を入った坂道で、まずはガイドさんの説明、ここは昔からアクロポリスで、もともと小高い丘にアラム人のハダト神殿があったが、セレウコス時代はゼウス神殿、ローマがやってきてからは城砦に造り変えられた。12世紀になって、サラディンの息子のガーズィが濠をめぐらした周囲2.5kmの現在の城砦にした。城の高さは60m、城壁の下部は滑り易く造られていれて敵がなかなか登れないようになっていた。

2番目の門をくぐり、頭上のアーチを見るとヘビが彫刻されている。ガイドさんの説では魔よけだったとか。城門の上を見ると油落としがあり、オリーブの熱湯を浴びせかける仕掛けになっていたようだ。

城内に入るには5つ門を通らなくてはいけないが、最後の門の両脇には2頭のライオンの頭部像が飾られている。笑うライオンと泣くライオンと言われ、そばには‘門を出る時には笑って出るか、泣いて出るか’と書いてあるという。

地下貯水槽と地下牢を見た後、城塞の中を貫く狭い坂道を登る。途中に大小のモスクがある、小さいのが12世紀のもので、見張り塔を持つ大きなモスクは13世紀のものだそうだ。さらに進むと城砦の上に出る。



城砦の上は残がいが転がって雑然としている。整備計画はあるのだろうが遅々として進んでいない感じだ。


アレッポ市街の眺め


謁見の間の天井のシャンデリア

短いフリータムの後、残骸の間の迷路のような道を下り、‘謁見の間’と言われる部屋を見る。ここは修復されたらしく天井のシャンデリアやステンドグラスなど近代的で、今まで見てきた瓦礫の山とは違和感があるがどうなんだろう。この部屋は丁度、城門の上にあり、兵士が話しているのを盗み聞きする穴も作ってある。 (旅の日程へ)

アレッポ城砦を出て右手に少し歩くとスークの入口がある、ガイドさんの後についていなければ、有名なアレッポのスークの入口とは気付かず通り過ぎてしまうような感じである。

狭い道路を挟んで、貴金属をはじめとする装飾品や衣料品、香辛料や食材などの店が軒を連ねているスークは全長6kmにも及ぶという。ガイドさんが途中、

横道に入ると迷路に入り込んだ感じである。イスタンブールやエスファハンのバザールは目印になるものを2つ3つ覚えておくと何とか一人歩き出来たが、このスークではお手上げの感じである。もっとも今回は迷子にならないようガイドさんの後について歩くだけだが。

スークを通り過ぎ、16世紀にできたと言われる隊商宿ハーン・アル・ワジールを見て午前中の観光(と言っても1時半である)は終わりと思っていると、ガイドさんが、スークに戻って行く。ぞろぞろと後をついて行くとピスタチオの店である。実はアレッポ城砦のフリータイムの時、中東の土産はピスタチオにしているのだがとガイドさんに話していたので、忘れずに案内してくれたようだ。

1kg 買って、US5$。シリアのピスタチオは安いが品質はイランなどより劣るようだ。

昼食を済ませると3時、ダマスカスに向けて365km、約4時間のバスの旅である。きつーい。

4日目 アレッポ

聖シメオン教会、アレッポ国立博物館

シリア、ヨルダン旅行4日目
聖シメオン教会、アレッポ国立博物館

ホテル出発は8時。添乗員の説明では今日のスケジュールもタイトでダマスカスのホテルに入るのは8時近くになるとのこと、厳しい。
1時間ほどでカラート・サマーンにある聖シメオン教会に着く。

さて、聖シメオン、ガイドさんによると、
AD391年、シリア北部のシサン村で羊飼の家に生まれる。幼い頃に両親に連れて行かれた教会で‘イエスの山上の説教’に感銘を受け、禁欲的な生活による精神の純化に憧れ、13才になると修道院に入る。

繰り返し断食に入ったり、荒縄で体を縛ったり、難行苦行を求めて幾つかの修道院で修行するが、シメオンの修行があまりにも厳しいので他の修道士が真似て体を壊してしまうのを恐れた修道院が退去を求めるほどであったという。

シメオンは1人で洞窟にこもって修業をするようになるが、こうしたシメオンの難行苦行はやがて人々の知るところとなり、祝福を受けようとする者、病人や不妊の女性、悩み事を抱えた人がシリア国内やペルシャ、トルコ、スペイン、イギリスなどからシメオンのもとにやって来たと言われている。

31才の時、大勢の巡礼者や参拝者に囲まれて困惑したシメオンは石の柱の上に座って修行と説教を始めたという。柱は最初はそんなに高くはなかったが、だんだんと高くなり最後は12mになった、その上で37年間、68才で亡くなるまで1度も地面に足をつけることはなかったそうだ。

彼の死後、人々は柱の横に彼の墓を作ったが、遺体は、その後アンティオキアに移され、最後は帝国の首都コンスタンチノーブルに運ばれたという。

皇帝の命により、AD476年に柱があった跡に教会と修道院が造られたが、当時、オリエント最大の教会であった。
その後、11世紀には十字軍がこの地域を占領、12世紀になるとイスラムが奪い返し、城塞として使用したと言われている。
地震に数回襲われており、1898年の大地震で破壊されてしまった。

さて、 シメオン教会、
面積は5000㎡ほど、南翼のファサードを入ると8角形のホールの真ん中にシメオンの柱が置かれている。12mあった柱は1.5mほど高さの石の塊になっている、信者が削って持ち去ったのだそうだ。

復元図をみると、教会は8角形のホールから東西南北にバジリカ式の翼が伸び、全体として正十字のような形をしていたようだ。東翼が一番重要な礼拝堂で、後陣には主祭壇が置かれていたという。


南バジリカファサード、遺跡への入口となっている


教会で1番重要だった東バジリカのファサード


ガイドさんが説明に使った往時の想像図

聖シメオンが36年間、1度も下りなかったと言われている石柱、信者が
削って持ち去ったので12mあった柱は1mほどになっている。

教会跡にはあまり興味がないので皆さんの後について、500人もの修道士がいたという修道院、礼拝堂、洗礼所、修道士の墓などを見て聖シメオン教会の観光は終わり。

ギリシャ旅行時の添乗員の話から、シメオンは難行苦行を求めて柱の上に上ったと思っていたが、シメオンの難行苦行の修行は少年の頃からのことで、大勢の信者に囲まれ身動きが取れなくなり仕方なく柱の上で説教や修行をするようになったということのようだ。

ついでに、下衆の興味でガイドさんに柱の上の生活ではトイレはどうしたのだろうと聞いてみると、一番多い質問がそのことらしく、トイレの仕掛はしてあったとのこと。

聖シメオン教会の付近にはデッド・シティという忘れられた町があり、3~6世紀の教会や修道院など600以上の遺跡が発掘されているとのことだが、ツアーの観光スケジュールには入っていない。 (旅の日程へ)

アレッポ国立博物館
アレッポに戻って、市内観光はアレッポ国立博物館から。

見学者を迎えてくれるのは、入口に並ぶ異様な3神像である。ガイドさんによれば、右のライオンの上に立っているのが肥沃の神イシュタル女神像。あとの2つは力や権力の象徴、ハダト神で、トルコ国境に近いシリア北東部のテル・ハラフというBC9世紀の遺跡から出土したもの。

ドイツが発掘し、本物はベルリンに持っていったので、ここにあるのはレプリカとのこと。
何でハダト神が2体もあるの?、真ん中のハダト神はシンボルの牡牛に乗っているが、左のハダト神はイシュタルと同じライオン(ライオンはイシュタルの聖獣)に乗っているのは何でだろう、と言った感じだがガイドさんに聞き漏らした。

(オリジナルの3神像は第2次世界大戦で爆撃に遭い瓦礫になってしまったが、破片を拾い集めて現在修復中、2010年にはペルガモン博物館に展示されるらしい、いつかまたペルガモン博物館に行ってみたいものだ)

先史時代の部屋

18万年前、人間が洞窟に住んでいた時代にさかのぼることが出来るという。石器時代の弓や矢尻、木を切ったり肉を切った石刀、世界最古の農耕遺跡から出土した小麦など穀物の脱穀用具、壷や器などが展示されていているが、靴をつくる型が男女用に子供用まであってなんともほほ笑ましい。

日本の調査隊が発掘した土器なども展示されていてなんとなく誇らしい。

マリの部屋

マリはユーフラテス河の中流、メソポタミアからシリアに向かう交易路がユーフラテス河谷を離れる地点にあった。メソポタミア文明の中心地であり、宮殿の広さは3万平㎡、部屋数は300以上あったともいわれオリエントで1番大きい宮殿であった。

マリの歴史はBC3000年頃に始まり、シュメール アッカド アモン人の文明が入っていると言われている。BC1762年にハンムラビによって滅ぼされた。

楔形文字粘土板

宮殿の図書館で見つかったもので2万点以上にのぼる。契約、外交、商取引、祭儀などの文書。その内のいくつかが展示されている。

噴水の壷を持つ女神

手には壷を持ち、スカートには水の流れ模様が描かれている。壷からは実際に水が流れ出る仕掛けになっている女神像、色白で現代的なかなかの美形である。

シャンジェリジェを歩かせてみたらどうだろうという気もする、全知の女神であり豊穣の女神でもあるとか。

マリ王像

イシュタプ・イルム王像、素材に閃緑岩が使われている黒光りしている。マリの王様は目が大きく自分の王国のなかでなにが起こっているのかすぐに分かることを表しているそうだ。長いあご髭はアッシリア風らしい。

ブロンズ製ライオン像


ライオン像
マリのダカン神殿を守護する40cmほどのライオン像、神殿の入口には2頭のライオンが置かれていた(1頭はルーヴル所蔵)。目がぎょろっとして敵を威嚇していたらしいが、どことなく愛嬌がある。

円筒印章

回して押すスタンプ。契約書などにサインする判子として使用した。魔よけとしてネックレスにもしていたとガイドさん。

その他、パン焼き器などなど。

エブラ

シリアにおける20世紀最大の考古学的発見の1つと言われるエブラ王国遺跡。

BC2500年頃繁栄していたエブラ王国はアナトリア、チグリス・ユーフラテス河、ペルシャなどの商業の中心であったとも言われ、26万人の人口を擁し、メソポタミア文明に匹敵する文明があったのではないかと言われている。

アレッポの南約60kmのエブラ遺跡は、全体が65平方キロキロに達する広大なもので、発掘が終わるには後100年もかかると言われている。

世界最古の辞書

王宮文書庫から1万5千枚にのぼる楔形文字を刻んだ粘土板文書、1700もの碑文が出土した。粘土板文書のなかに約1000語のシュメール語とエブラ語 の辞書があり、世界最古の辞書だとされている。残念ながら、現在も解読中のため展示されていないとガイドさん。いくつかの楔形文字粘土板は展示されている。

人頭牡牛像

観光的には人頭牡牛像が一番興味深い。横たわった姿の人頭牡牛は木製で、顔や身体全体が金箔に覆われている。あご鬚は長くてはば広、黒々としている。大きな目の顔と相まって一見、不気味である。魔よけとして使われたとガイドさん。


祭儀用の水ばち…捧げものをする神官たちや動物が描かれている

この他、宮殿の祭壇で動物を生贄にしたナイフ、祭儀用の水ばち、などなど・・・・

ウガリット

シリア北部、地中海に面しているウガリットが王国として栄えたのはBC2000頃から。BC14C~12世紀に最も繁栄した海運国家で地中海諸国、エジプト、小アジアと貿易を行っていた。宮殿には100の部屋があり、宮殿から手紙、条約や税を扱った行政文書など2000個の楔形文字の粘土板文書が発掘された。有名なものはアルファベットで世界最古のアルファベットとされるものはダマスカスの国立博物館に展示されている。

 

ガイドさんがゼロックスコピーを配って、ウガリットやビブロス、アラムなどいろんな文明のアルファベットについて説明してくれる、AD9世紀のラテン語のアルファベットになるまでの変遷が分かって面白い。


誓いをしている


金の壺

楔形文字粘土板、金と銀を量る秤、フェニキアの最高神エル神レリーフ、肥沃の神バール像、ウガリットの財政の豊かさを感じさせる金の壷金などなど・・・・

ギルガメシュと有翼日輪のレリーフ

玄関の3神像と同じテルハラフ出土である。

有翼日輪と言えば、太陽神ホルスの象徴であるが、イラン旅行の時、ペルセポリスの有翼日輪はアッシリア経由でペルシャに入ったと聞いたので、今回のシリア旅行のひそかな楽しみの1つは、シリアの有翼日輪を見ることであった。

日輪を抱き、翼を広げた太陽神を二人の獣神が支え、獣神の間にギルガメシュがいる構図である、獣神の白目が異様に目立ち不気味である。

メソポタミアで最も有名なギルガメシュと有翼日輪が結び付けられているのがなかなか興味深い。

有翼日輪のレリーフはもう1つ、博物館の前庭に展示されている。翼を広げた2人の神が向き合いって日輪を支えていている図で、こちらはユーモラスである。

この他、アインダーのイシュタルのレリーフ、象牙の彫刻、賽銭箱を持つ神官、アッシリアの王がエジプトの2人奴隷に殺さぬよう懇願されている大きなレリーフなどなど、さすが考古学者だけあって詳しい説明がすらすらと出てくる。

添乗員が一生懸命通訳してくれるが、分かったのは半分くらいというところ。

博物館内は撮影禁止なので絵葉書セットを買って、アレッポ国立博物館の見物は終わり。

7日目 テヘラン

バスタン考古学博物館、ガラス博物館、宝石博物館

イラン旅行7日目(最終日) テヘラン市内観光

今回のイラン旅行は、ホテルは4つ星、ヤズドでは5星クラス。シラーズがオリエンタルであった以外は生野菜や果物が豊富なビュッヘスタイルの朝食で、昼食、夕食も結構美味しくて満足であった。

ただ、最終日のテヘランの部屋はいただけなかった。旅行中ずっとツインの部屋であったこともあるが、シングルで、バスタブがないのは仕方ないにしても、シャワー室と洗面所の仕切りがなくシャワーを使うと洗面所がびしょびしょになったり、ドアーの鍵も半分壊れかけていたりして落差が甚だしい。盗られて困るものもないので部屋替えの要求はしないが気分ははなはだよろしくない。

さて、イラン観光もあっという間に最終日となる。

国立考古学博物館

バスタン考古学博物館(国立) 博物館入口
イスラム以前とイスラム後の2つの建物に分けて展示されているが、われわれの見物はイスラム以前の旧館だけである。
入口を入った正面にBC5000年頃の石器が展示され、右まわりに進むと年代順に見られるようになっている。
バスタン考古学博物館(国立) 土器
壺やお椀…壺は口が小さいので

バスタン考古学博物館(国立) 土器、動物の模様が入っている
壺…動物の模様が描かれている。

バスタン考古学博物館(国立) BC5~6千年の斧、刀
BC5~6千年の斧、刀

バスタン考古学博物館(国立) BC4~5千年の石器
素朴なうつわ、動物の絵が描かれた壷、ユーモラスな動物の形をした陶器など土器のコーナー。

バスタン考古学博物館(国立)動物の形をした土器のいろいろ
動物の形をした土器のいろいろ

バスタン考古学博物館(国立) 印章、BC3千年 スーサ出土
印章…BC3千年前、スーサ出土バスタン考古学博物館(国立) 牡牛像、日展に出品出来そうだ
牡牛像…日展に出展できそう

バスタン考古学博物館(国立) タールが塗られた陶器の棺、クセルクセス1世がエジプトを支配していることを人々に知らせるために持ち帰った 次の画像
土棺

印章や迫力満点の牡牛像、土棺、ハンムラビ法典のレプリカなどを見ながら進むとペルセポリスのコーナーにいたる。

クセルクセス1世謁見のレリーフ

バスタン考古学博物館(国立) クセルクセス1世謁見図、幅6m以上あるので、写真は2枚に。保存状態が非常に良い

バスタン考古学博物館(国立) クセルクセス1世謁見図、後の部分。アパダナの北階段から宝庫に移す時に一部破損した
ダレイオス大王のものと言われてきたが、帽子の形ななどからクセルクセス1世らしい。もともとはアパダナの北階段を飾っていたが宝物庫に移されていたので保存状態が非常に良い。王座に座った王は右手に笏、左手に蓮の花束を持っている。
前には香を焚く2本の筒が置かれ、メディア人と槍持ちのペルシャ人は貢朝使節を王に紹介している。王の後ろには蓮の花束を持った王子、タオルや斧を持った高官や槍持ちなど。保存状態が良いので登場人物の表情も分かって興味深い。

バスタン考古学博物館(国立) 人面有翼獣像、スフインクスである

バスタン考古学博物館(国立) アパダナの双頭の牡牛柱頭像

バスタン考古学博物館(国立) ハンムラビ法典碑の複製品、本物はルーヴルにある

バスタン考古学博物館(国立) ダレイオス1世立像、頭部が欠けている。エジプトで作らせた、台にヒエログリフがある
ダレイオス1世の立像

中央宮殿の階段、アパダナの牡牛の柱頭、スフィンクス、エジプトで作らせたダレイオス1世の立像(残念ながら頭部が欠けている)などペルセポリスのコーナーは面白い。

バスタン考古学博物館(国立) 槍を持った兵士の彩色タイルのレリーフ
槍を持った兵士の彩色タイルのレリーフ

バスタン考古学博物館(国立) 人面有翼獣の彩色タイルレリーフ、頭上にゾロアスター教のシンボルが止まっている
人面有翼獣のレリーフ、頭上にゾロアスターのシンボル有翼日輪が止まっている。

バスタン考古学博物館(国立) パルティアのシャミ王子像
バスタン考古学博物館(国立) スーサ出土、ササン朝の釉色壷
スーサ出土…ササン朝の釉色壺

バスタン考古学博物館(国立) ペンダント?
ペンダント

バスタン考古学博物館(国立) スーサ出土、ササン朝の釉色壷
スーサ出土…ササン朝の釉色壺

 

バスタン考古学博物館(国立) 埋葬品
副葬品

この他、人面有翼獣や兵士のレリーフ、ソルト・マン(塩漬けの首)、セラミック陶器、パルティアのシャミ王子像などなど。
イランの首都の国立考古学博物館にしては小ぶりな展示だが、アレキサンダー大王がペルセポリスの宝物を略奪したように世界中にペルシャ帝国の遺物は散逸しているようだ。

ガラス・陶器博物館

ガラス・陶器博物館 ガジャール朝時代の建物
ガラスや陶器の紀元前から19世紀までの貴重なものが展示されているらしいが門外漢で興味がない。

ガラス・陶器博物館 涙壷、戦地にある夫の無事を祈り涙を溜めたたという。エスファハンのチェヘル・ソトゥーン宮殿にもあった
そんなこんなで陶器とガラスの代表選手を、それぞれ1品。

陶器

ガラス・陶器博物館 ノウルズ(新年)のご馳走を盛る皿
ノウルズのご馳走を盛ったという7つ穴があるお皿、イランにも日本と同じようにご馳走を作り、家族や親戚が集まって新年を祝う慣わしがある。

ガラス

涙壷、戦地に赴いた夫の無事を祈って、留守宅の妻が流した涙を溜めたと言われている。

宝石博物館

イラン中央銀行の地下金庫にある博物館、まず、セキュリティチェックの厳しさに驚かされる。お金とパスポート以外はバスの中に置いて下さいと添乗員に言われていたが、銃を持った兵士が見守るエックス線検査は空港より厳しい。

薄暗い部屋に入ると、サファビー朝以来のイラン歴代王家が収集した宝石類がライトアップされケースに狭しと並べられている。豪華絢爛ぶりにため息がでるほど。

パーレビ王冠

宝石博物館 パーレビ王冠、ダイヤモンド3380個、エメラルド5個、真珠368個、サファイヤ2個。王冠の重さ約2kg
レザー・ハーンやパーレビが被ったと言われる王冠、ダイヤモンドが3000個以上も使われているそうな。

宝石地球儀

宝石博物館 地球儀、直径66cm、宝石の重量3・6kg
宝石が5万個もちりばめられた直径66cmの地球儀である。イランの位置にはダイヤモンドで輝いている。

ピンクダイヤモンド

宝石博物館 世界最大のピンクダイヤモンド
182カラットのダイヤモンド、ピンクのダイヤモンドでは世界最大。光の海と呼ばれている。ナーデル・シャーに敗れたインドのムガール皇帝から贈呈されたものと言う。

ナーデルと言えば、ムガールから戦利品として略奪した‘孔雀の王座’が知られているが、この博物館に展示されているものはレプリカだそうだ。

撮影禁止なので、最後に絵葉書をたくさん買って宝石博物館の見物はお仕舞い。

イランの人たちは人なつっこい。チャベツ大統領ではないが、悪魔がイラクのようにイランを滅茶苦茶にすると、こうした無辜の明るい人々が地獄に落とされる。世界の叡智がOK牧場の暴走を制止することを願って、イラン観光はお仕舞い。

2日目 テヘラン

絨毯博物館、サーダバード宮殿

イラン旅行2日目 テヘランの市内観光

イランの世界遺産 今回は3つの世界遺産を訪れる
イラン地図…首都テヘランは国土の北部に位置し、カスピ海よりである。

イラン旅行 旅程 テヘランーシラーズーヤズドーエスファハンーテヘラン
イラン観光の旅程…テヘラン→シラーズ→ヤズド→イスファハン→テヘラン。
テヘラン→シラーズとイスファハン→テヘランの国内移動に航空機を使うようだ。

アザディー・タワー テヘランのランドマーク、1971年にペルシャ建国2500年を記念して建てられた
アーザーディー塔…広大なアーザーディー広場の中央にたつ高さ45mの塔、空港から市内に入るとこの塔が目に入る。


ホテル出発は8時半、テヘランの市内観光が始まる。
市内観光は絨毯博物館、サーダバード宮殿、考古学博物館、ガラス・陶器博物館と宝石博物館などであるが、今日は絨毯博物館、サーダバード宮殿をみて、午後にはシラーズに移動することになっており、考古学博物館などは最後の日に予定されている。

ガイドさんは40才くらいの男性でイラン入国から出国までのスルーガイドである。日本にも何回か来ているそうで、日本語の発音も日本人と変わらないくらい上手い。歴史用語など語彙が少し不足するようだが、真面目が服を着ているような感じなので丁寧に説明してくれそうだ。

テヘランは4000m級の山々が連なるアルボルズ山脈の南山麓にあり、1100万人が暮らす活気と喧騒の大都会である。
テヘランがイランの首都になったのは、意外に新しく1796年、ガジャール朝の時代である。
ガイドさんによればテヘランの気候は、夏は39~40℃、冬は-2~3℃くらいで、今年の夏は42度の日があったそうだ。でも、海抜1400メートルの台地にあり、湿気が少ないのでテヘランの40℃は日本の33℃くらいの感覚らしい。

絨毯博物館

ホテルから絨毯博物館までは距離的には10~15分だが、テヘランの交通渋滞はひどくて到着時間の予測が出来ないとガイドさんがこぼしていたが、順調に走って博物館に着く。

絨毯博物館 正面入口
絨毯博物館 入口

この博物館はパーレビ2世夫人、ファラーの命令で1978年に作られたもので、建物は上空から見ると絨毯を織る台の形をしているそうだ。展示されている絨毯はファラーが財力にものを言わせてイラン各地や海外から収集したペルシャ絨毯の名品である。
ペルシャ絨毯は100年以上も保つと言われているが、ガイドさんの話では、この絨毯博物館で1番古いものは、約500年前のサファヴィー朝を興したエスマーイール1世の時代のものだそうだ。
世界で1番古いペルシャ絨毯は2400~2500年前のもので、南シベリア、アルタイ山中のバジリク古墳で発見された大きさが2㎡くらいの絨毯だそうだ。厳寒の地に凍結保存されていたためほぼ原型をとどめていてサンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館に所蔵されているらしい。模様にアケメネス朝時代の特徴があるのだそうだ。この絨毯博物館には複製品が展示されているとのこと。

イランではカスピ海からペルシャ湾まで、昔から何処にでも絨毯があり、エスファハン、タブリーズ、ケルマン、コムなど産地ごとに風合い、模様など特徴があると言う。絨毯は通常、まず図案を描き、図案に従って作業をすすめていくが、面白いのは遊牧民の絨毯で、図面などなく祖先から受け継いだ図柄を頭の中に記憶して織っていくとガイドさんの説明。

イランで絨毯が発達したのは、イラン高原は乾燥地帯で弾力性のある羊毛がとれること、ザクロ、ぶどうの葉、胡桃の皮など染料となるものが沢山あることで、赤はイチジクの木につく虫で、虫を沸かすと赤っぽい色が出るのだそうだ。

絨毯の品質はラジで表され、6.5cmあるいは7cmの間に結び目がいくつあるかで決まり、例えば結び目が60あれば60ラジで、数が多いほど高級な絨毯なのだそうだ。イランの家庭で使われる一般的には30ラジで、100ラジの高級絨毯もあるらしい。
模様の基本は真ん中にメダリオンという模様があり、周りをフィールドが囲み、ボーダーやコーナーで縁どりする構図で、ペルシャ語でガビガビという模様の枠をつなげていくのだそうだ。

展示されている絨毯を見ていくと、イスラム伝統のアラベスクやメヘラブ模様、糸杉ガビガビ模様があり、庭、四季、人物や物語をモチーフにした芸術品がある。

ペルシャガーデン模様

水が流れ、真ん中に池、周りに木、花、鳥が描かれてガーデン風景。

4季の絨毯

春、夏、秋、冬が描かれ、真ん中にアケメネスのキュロス大王が座り、楔形文字が描かれ、角にはモーゼ、キリストなど預言者やイランの有名な詩人が描かれている。

人物模様の絨毯

イランの有名な王など顔が40人も織られた絨毯には番号がついていて番号から名前が分かるようになっていて面白い口髭がぴんと伸びたアッパーズ、髭面のナーデルが描かれているものなどがある。

物語の絨毯

ササン朝時代の物語を描いたもので、バハラームが狩をしており、女性に1つの矢で2箇所を当てると結婚してもよいと言われ、1つの矢で足と耳に当てた様子が織られているユーモラスなもので、鳥のガブガビも織られている。

このほか、バジリク古墳で発見された絨毯の複製、リバーシブルと言うか裏から見た方が綺麗に思えるシルク絨毯、4分の3が行方不明の大きな絨毯、金糸が織り込まれた絨毯など門外漢でも結構楽しい。

絨毯博物館 バジリク 複製
バジリク…複製

絨毯博物館 花模様のガブガビ
花模様のガブガビ

絨毯博物館 糸杉のガブガビ
イトスギのガブガビ

絨毯博物館 ナーデルの宮廷
ナーデルの宮廷

絨毯博物館 アッパーズ1世
アッパーズ1世

絨毯博物館 有名人満載
有名人満載

絨毯博物館 巨大な絨毯
巨大な絨毯

サーダバード宮殿

サーダバード宮殿 緑の宮殿 正面
サーダバード宮殿 緑の宮殿
テヘラン北部、アルボルズ山脈の麓にある広大な敷地にあるパーレビ1世の夏の離宮であった。16の宮殿があるが、造り方は昔のペルシャの宮殿に習い、1つ1つの宮殿は小さいのだそうだ。
そのうちの1つが王の住まいであった緑の宮殿で、300kmほど離れたザンジャンという所でとれる緑色の大理石を使っているとかで落ち着いた雰囲気である。
サーダバード宮殿 緑の宮殿 控えの間
緑の宮殿 控の間

サーダバード宮殿 緑の宮殿 鏡の間
緑の宮殿 鏡の間

サーダバード宮殿 緑の宮殿 ダイニング
緑の宮殿 ダイニング

サーダバード宮殿 緑の宮殿 豪華な大理石の浴
緑の宮殿 豪華な浴室

控えの間、象嵌の部屋、鏡ホール、ダイニング、バスルールなどを見て回る、外見に比べて内部は豪華絢爛と言った感じで、バスルールにも最高の大理石を使っているそうだ。76kの金製の果物入れは贅沢の極みである。


さて、次の観光はエラムガーデンやサアディー廟などが見どころのシラーズ、シラーズはテヘランの約600km南方にあり、イラン航空の国内線で1時間半弱である。9月1日にイラン北東部のマシュハドで墜落事故があり90人の死者が出たという報道があったばかりなので、今回の旅行で唯一心配事が国内線での移動である。
マシュハドの事故はツボレフであったが、シラーズ行の機種を見るとFOKER100。
オランダ製らしいという人もいて、どうなることかと思案しているうちに無事、シラーズに着く。

 

7日目 アテネ

アテネ国立考古学博物館

ギリシャ旅行7日目 その2
アテネ国立考古学博物館

アテネ国立考古学博物館の見学者は2組と1人、津の夫婦は単独行動派なので、加古川から参加のご夫婦と一緒する。
近くで腹ごしらえをして少し早めに博物館の入口で待っていると13時、ぴったしにドアーが開く。実はギリシャ政府観光局に電話で月曜日の開館期間を確認した時、13時半と言われ、添乗員も13時開館になっているけど、ギリシャのことだから30分くらい遅れることがあるかもと言われて、時間がタイトなので心配していたところであった。お二人とは14時50分に入口付近で落ち合うことにして見学を始める。

先史時代

正面の大きな部屋がミケーネ遺跡の出土品など先史時代の展示室。

入ったすぐ左手に小さな人形の坐像がある。たぶん酒を飲んでいるらしいこの可愛らしい粘土人形は驚くことに紀元前4500~3200年頃のものである。


黄金のマスク


黄金の王冠
そして正面のガラスケースのなかに、ミケーネの円形墓地Aから出土したシュリーマンの黄金のマスクや黄金の王冠、杯、剣など‘黄金に富めるミケーネ’がある。
このほか狩か戦車競争らしいレリーフのある墓石など紀元前1600年頃もの。現物をみるとミケーネが高度な文明であったことが実感出来る。

右手の小さなキクラデスの部屋に竪琴を弾く人とフルートを吹く人の大理石の彫刻がある、ケロス島から出土したもので紀元前2800~2300年代とか。小さな像ながら特徴がよく分って面白い。

アルカイック期

ミケーネの部屋を出て左に回ると彫刻の展示が並んでいる。
最初はデルフィー博物館でも見たアルカイック期のクーロス像である、さすが国立考古学博物館だけあってクーロス像が何室にも亙って展示されている。

‘スニオン岬のクーロス像’はポセイドン神殿から発見されたもので、口元が削がれてよく分からないがアルカイックスマイルの3mを超える巨像である。紀元前600年の作。

最後の方の部屋に‘アリストデコス像’、葬送クーロスでアッティカのメソゲイアで発見された紀元前500年のもの。
クーロス像は年代順に展示され、男性の理想が時代とともに変っているらしいが、美術音痴にはよく分からない。

ポセイドンのブロンズ像


ポセイドンのブロンズ像はNHKの番組を見て、ぜひ現物を見たいと思っていた目玉の1つ。右手を上げ三つ又鉾を振り回している様子で、均整のとれた筋肉質の体、威厳のある顔など、躍動感のある人間が表現されているが、古典期より少し前の特徴があるらしい。アルテミシオン岬で漁師が海から引き上げた、紀元前460年の作。

墓碑


生前の慈しみがよく表面されている


家族愛が表示されている。


父を送る息子の悲しみが表現されている。


兵士の勇姿を心に刻んだ。

ポセイドンの部屋の突き当たりを右に進むと、墓碑が何室かに亙って展示されている。ペロポネソス戦争で死者が増えると、それまで、小さな墓であったのが、徐々に大きなモニュメントとして墳墓が作られるようになり、壁には死者が生前に好んだ姿を飾るようになったと言われている。‘イギソスの墓碑’はプロセノスの娘イギソスが椅子に座り、召使の差し出す箱から何かを取り出している生前の場面が描かれ静寂を感じさせる。ほかに息子と両親、父親と家族のレリーフなどなど。

馬に乗る少年像


真ん中辺りの21室には、有名な‘馬に乗る少年’のブロンズ像がある、前足をあげて疾走する馬と、左手に手綱、右手に鞭を持ち、見事に乗りこなしている少年の躍動感がよく分かる。この部屋にはさらに‘ディアドゥメノスの像’やエルメス像など大理石彫刻の傑作が展示されている。

アンティキセラの青年像


何室かを通り、角を曲がった28室にはアンティキセラの青年像がある。右手には球状のものを持っているので、たぶんりんごを持ったパリスではと言われている。理想的な体つきや体型のバランスを写実的に表現しておりペロポネソスの古典期後期の見事な作品である。

ヘレニズムの部屋
アフロディーテと牧神パン、エロス像


ヤギの足をしたパンがアフロディーテに纏わり付こうとするが、アフロディーテはパンをスリッパで叩こうとしている。官能的な作品である、紀元前100年の作品。


このほかポセイドンやテミスの大理石像の傑作など。

クレタ室

21室に戻って2階に上がる。

壁画‘春’
テラの風景を描いたフレスコ画の壁画、火山岩やゆりとツバメを描いた絵は春の息吹が感じられる作品である。ツバメがキスをしているようでなんとも微笑ましい。
紀元前16世紀の壁画とは驚きだ。


ボクシングする少年


カモシカ
ほかに現代的な感じをおこさせる‘ボクシングする少年’とカモシカの壁画、いずれも紀元前16世紀のもの、テラ(サントリーニ島)出土。

14時40分に博物館を出て、トロリーバスに乗ってシンタグマ広場に。


国会議事堂


衛兵の交代


奈良の美女2人

集合時間に余裕があるので、国会議事堂の衛兵交代を見る、奈良のペアーの写真を撮らせて貰って、カメラもおしまい。

アテネを定刻に出発、帰りも、ギリシャ観光だけで5組のツアーでエコノミーは満席である。窮屈ながら、ドーハ乗り継ぎもスムーズ、関空に無事帰る。

今回の旅はあっと言う間に終わった感じである。ギリシャ神話にどっぷりと浸かった感じで楽しい旅行であった。温和で親切なグループの皆さん、ギリシャに造脂が深い美人の添乗員、皆さんに感謝、感謝。

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