アレッポ国立博物館(その2)

エブラ

シリアにおける20世紀最大の考古学的発見の1つと言われるエブラ王国遺跡。

BC2500年頃繁栄していたエブラ王国はアナトリア、チグリス・ユーフラテス河、ペルシャなどの商業の中心であったとも言われ、26万人の人口を擁し、メソポタミア文明に匹敵する文明があったのではないかと言われている。

アレッポの南約60kmのエブラ遺跡は、全体が65平方キロキロに達する広大なもので、発掘が終わるには後100年もかかると言われている。

世界最古の辞書

王宮文書庫から1万5千枚にのぼる楔形文字を刻んだ粘土板文書、1700もの碑文が出土した。粘土板文書のなかに約1000語のシュメール語とエブラ語 の辞書があり、世界最古の辞書だとされている。残念ながら、現在も解読中のため展示されていないとガイドさん。いくつかの楔形文字粘土板は展示されている。

人頭牡牛像

観光的には人頭牡牛像が一番興味深い。横たわった姿の人頭牡牛は木製で、顔や身体全体が金箔に覆われている。あご鬚は長くてはば広、黒々としている。大きな目の顔と相まって一見、不気味である。魔よけとして使われたとガイドさん。

この他、宮殿の祭壇で動物を生贄にしたナイフ、祭儀用の水ばち、などなど・・・・

ウガリット

シリア北部、地中海に面しているウガリットが王国として栄えたのはBC2000頃から。BC14C~12世紀に最も繁栄した海運国家で地中海諸国、エジプト、小アジアと貿易を行っていた。宮殿には100の部屋があり、宮殿から手紙、条約や税を扱った行政文書など2000個の楔形文字の粘土板文書が発掘された。有名なものはアルファベットで世界最古のアルファベットとされるものはダマスカスの国立博物館に展示されている。

ガイドさんがゼロックスコピーを配って、ウガリットやビブロス、アラムなどいろんな文明のアルファベットについて説明してくれる、AD9世紀のラテン語の

アルファベットになるまでの変遷が分かって面白い。

楔形文字粘土板、金と銀を量る秤、フェニキアの最高神エル神レリーフ、肥沃の神バール像、ウガリットの財政の豊かさを感じさせる金の壷金などなど・・・・

ギルガメシュと有翼日輪のレリーフ

玄関の3神像と同じテルハラフ出土である。

有翼日輪と言えば、太陽神ホルスの象徴であるが、イラン旅行の時、ペルセポリスの有翼日輪はアッシリア経由でペルシャに入ったと聞いたので、今回のシリア旅行のひそかな楽しみの1つは、シリアの有翼日輪を見ることであった。

日輪を抱き、翼を広げた太陽神を二人の獣神が支え、獣神の間にギルガメシュがいる構図である、獣神の白目が異様に目立ち不気味である。

メソポタミアで最も有名なギルガメシュと有翼日輪が結び付けられているのがなかなか興味深い。

有翼日輪のレリーフはもう1つ、博物館の前庭に展示されている。翼を広げた2人の神が向き合いって日輪を支えていている図で、こちらはユーモラスである。

この他、アインダーのイシュタルのレリーフ、象牙の彫刻、賽銭箱を持つ神官、アッシリアの王がエジプトの2人奴隷に殺さぬよう懇願されている大きなレリーフなどなど、さすが考古学者だけあって詳しい説明がすらすらと出てくる。

添乗員が一生懸命通訳してくれるが、分かったのは半分くらいというところ。

博物館内は撮影禁止なので絵葉書セットを買って、アレッポ国立博物館の見物は終わり。

アレッポ城砦

博物館から15分ほどで、旧市街の真ん中にあるアレッポ城砦に着く。

最初の門を入った坂道で、まずはガイドさんの説明、ここは昔からアクロポリスで、もともと小高い丘にアラム人のハダト神殿があったが、セレウコス時代はゼウス神殿、ローマがやってきてからは城砦に造り変えられた。12世紀になって、サラディンの息子のガーズィが濠をめぐらした周囲2.5kmの現在の城砦にした。城の高さは60m、城壁の下部は滑り易く造られていれて敵がなかなか登れないようになっていた。

2番目の門をくぐり、頭上のアーチを見るとヘビが彫刻されている。ガイドさんの説では魔よけだったとか。城門の上を見ると油落としがあり、オリーブの熱湯を浴びせかける仕掛けになっていたようだ。

城内に入るには5つ門を通らなくてはいけないが、最後の門の両脇には2頭のライオンの頭部像が飾られている。笑うライオンと泣くライオンと言われ、そばには‘門を出る時には笑って出るか、泣いて出るか’と書いてあるという。

地下貯水槽と地下牢を見た後、城塞の中を貫く狭い坂道を登る。途中に大小のモスクがある、小さいのが12世紀のもので、見張り塔を持つ大きなモスクは13世紀のものだそうだ。さらに進むと城砦の上に出る。

城砦の上は殆ど修復されず瓦礫がころがっているだけだが、ここからのシリア第2の都市アレッポの眺望はすばらしい。

短いフリータムの後、残骸の間の迷路のような道を下り、‘謁見の間’と言われる部屋を見る。ここは修復されたらしく天井のシャンデリアやステンドグラスなど近代的で、今まで見てきた瓦礫の山とは違和感があるがどうなんだろう。この部屋は丁度、城門の上にあり、兵士が話しているのを盗み聞きする穴も作ってある。 (旅の日程へ)

アレッポ城砦を出て右手に少し歩くとスークの入口がある、ガイドさんの後についていなければ、有名なアレッポのスークの入口とは気付かず通り過ぎてしまうような感じである。

狭い道路を挟んで、貴金属をはじめとする装飾品や衣料品、香辛料や食材などの店が軒を連ねているスークは全長6kmにも及ぶという。ガイドさんが途中、

横道に入ると迷路に入り込んだ感じである。イスタンブールやエスファハンのバザールは目印になるものを2つ3つ覚えておくと何とか一人歩き出来たが、このスークではお手上げの感じである。もっとも今回は迷子にならないようガイドさんの後について歩くだけだが。

スークを通り過ぎ、16世紀にできたと言われる隊商宿ハーン・アル・ワジールを見て午前中の観光(と言っても1時半である)は終わりと思っていると、ガイドさんが、スークに戻って行く。ぞろぞろと後をついて行くとピスタチオの店である。実はアレッポ城砦のフリータイムの時、中東の土産はピスタチオにしているのだがとガイドさんに話していたので、忘れずに案内してくれたようだ。

1kg 買って、US5$。シリアのピスタチオは安いが品質はイランなどより劣るようだ。

昼食を済ませると3時、ダマスカスに向けて365km、約4時間のバスの旅である。きつーい。