朝、夜明け前に起きてホテルを出発、ガイドさんが代わってカンボディア人の経験のありそうな30代男性。ラッフルズで女性の親子連れ、ソフィテルで昨日の二人がバスに乗ってきて今日は少しにぎやかになる。どちらも東京から来ているとのこと。

アンコールワットに着くと、もうたくさんの人が来ている。日の出までに30分くらいあるらしいので西門塔の横の階段に腰をおろして待つ、薄暗いなかで期待感が膨らむ。東南の空が白じみ始めると皆、動きだす。光の一条がさっと輝く、神々が目覚める瞬間だ。

観光しながら疑問に思っていることをガイドさんにぶつけてみる。

①アンコールはフランス人学者アンリ・ムオが130年前に密林の奥に再発見するまではその存在すら知られていなかったし、16世紀にヨーロッパ人がアンコールの近隣住民に誰がこの寺院を建てたのかと質問した時、何の返事もなく、彼らはアレキサンダー大王とかローマ人が建てたと想像したとか云々。

アンコールはクメール人のアイデンティだと言う人がいるが、どうなっているんだろう?

②クメールはジャヤヴァルマン7世以降急速に衰退したと言われているが、その原因として血統の続いた王位の継承がなく、各王は新規に寺院を建立したので引き継いで使われる恒久的建築とならず何百もの寺院が建設されている。
寺院の建設は莫大な財力と人的、物的エネルギーを消費するので何百もつくれば国力の衰退に繋がる。これは乱暴な見方だろうか?

③ヒンドゥ寺院や仏教寺院あり、ヒンドゥ寺院が仏教寺院に改造されたり、そのまた、逆もあるようだが、うまく折り合いが付いていたのか、それとも対立抗争が続いていたのだろうか?

① については、アンコールは地元民には忘れられたことはなく、クメール人の意識の底には流れていると、遠慮気味な説明。

② ジャヤヴァルマン7世以降急速に衰退したかどうかについては見方が色々あるが、壮大な寺院の建設が国富の負担となったとみる見方があるのも事実だとのこと。彼は衰退の原因の一つと考えているとのこと。

③ うまく折り合うかどうかは、その時の王の考え方によるのでないか。多数の仏像が廃却されている例もあるので、いつも共存していたとは言えないのではないかとのこと。

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