バンテアイ・スレイ

ホテルに帰って朝食をとる。白人がたくさんいてアンコールワット観光の人気を感じる。
少し休んで午前の観光に出発。アンコール・トムを通り過ぎてしばらくすると高床式の住居が道路沿いに見えてくる。アンコールの時代とあまり変らないと思われる素朴な暮らしのようだ。

バスは1時間ほどでバンテアイ・スレイに到着する。東洋のモナ・リザで有名な寺院で周囲400メートルくらいの小さい寺院だ。回りは池で、三重の周壁が中央祠堂を囲んでいる。バンテアイ・スレイとは女の砦の意味で10世紀末に建てられたヒンドゥー教寺院だ。

東正面を入るとラテライトの敷石の参道が美しい。両脇には石柱が並んでいるが、リンガ(男性器の象徴)を模したものとか。各周壁の塔門の上の浮き彫りはヒンドゥー神話を描いたものと云われており、彫りが深く精緻で美しい。

アンコールのレリーフは美術の観点からはあまり評価されていないようだが、バンテアイ・スレイの彫刻は彫りが深く赤色の砂岩の色合い見事で、アンコールのなかでは群を抜いている感じだ。

中央祠堂は保護のため立ち入り禁止で東洋のモナ・リザと言われるテバターを間近でみることが出来ず、残念。アンドレ・マルローの話を思い出す。

バンテアイ・スレイの観光を終わって、市内に戻りレストランで昼食。午後はアンコール・トム周辺の遺跡群の観光、若い女性2人組は別の観光ルートに離れ、親子さんと3人の観光となる。

タ・プローム

12世紀末にジャヤヴァルマン7世が建てた仏教寺院で王の僧院と言われていたが、その後ヒンドゥー教寺院となり、名前もタ・プロ-ム(梵天の古老)とと変えられたとのこと。1万人以上の人が住んでいたと云われる大きな寺院だ。仏教の彫刻が削り取られた痕があちこちにある、ヒンドゥー教と仏教の相克のあかしと思われる。

タ・プロ-ムに対しては、人為的な修復は加えず、当時のままに保存する方針が採られてきたのでスアポン(榕樹)が巨大に成長し、寺院が押し潰されそうになりながら、なんとか保っている状態だ。熱帯で管理を行わないとどうなるか観察しているのだろか。

バンテアイ・クディ

上智大学などが調査、研究の対象としている遺跡。
僧房の砦と云う意味らしいが、この寺院はもともとヒンドゥー教寺院として

建てられたものだが、12世紀末にジャヤヴァルマン7世が仏教寺院に改造したと云われている。東側には王の沐浴の池、スラ・スランが付属している。