モーニングコールが6時半(ホテルがすっぽかし、添乗員のコールが10分後にある。ただ、もともと横になっているだけで眠る時間はない)、ホテル出発が7時45分である。
日程表では9時出発、デリーの市内観光をすることになっているが、このスケジュールでは2日目のファテープル・シークリの観光が日暮れになるとかでデリーの観光は最後の日にして、まずジャイプルに向けて出発することになる。日程を半日前倒しする格好である。で、いきなり280kmの旅である、厳しい。

バスは20席ほどのマイクロバス。いつものように後方の席に座ったが、道路状態が悪い上に、サスペンションがないのか車体のばねの揺り返しがきつくてロディオのように上下に揺れる。ガイドさんによればインド製とのことだが、移動できればよいと考えて作られた車のようだ。
マイクの調子も悪くてガイドさんの話も聞こえず、さりとて眠ることもならず、休憩時間もいれて5時間近く、我慢の限界かと思うころにラジャスタン州の首都ジャイプルに着く。

アンベール城

食後、市の北東11kmにある城塞、アンベール城に向かう。
ガイドさんによればアンベールの由来は、王の名前からアンベールと言われるようになったとか、アンバーという女神の寺院が作られ、その女神の名前からアンベールと言うようになったとか、麓から山と空しか見えず、空がよく見えるので現地語で空を意味する‘アンベール’が使われるようになったとかいろいろ説があるとのこと。
アンベール城は、元々あった砦にマハラジャ・マーン・スゥイングが16世紀末に壮大な築城を始めたものである。
アンベール王家はラジャスタンのラージプートの中で最初に第3代ムガル皇帝アクバルに臣従し、王女をアクバルに嫁がせたりしていたが、マーン・スゥイングはアクバルの幕閣として縦横無尽の活躍をしたと言われ、その豊富な財力がアンベール城に投入されたという。

バスがアンベール城の麓の駐車場に着き、丘の上を眺めると、ごつごつと無骨ないかにも豪族の居城と言った感じの城塞が見える。ここでジープに乗り換えて150mほどの急坂を登ることになる、アンベール名物の象のタクシーは一昨年死亡事故があったとかで、このツアーでは象のタクシーは中止しているとのこと。

門を入ると正方形の中庭があり、壁に沿ってみやげものなど店があるが、絵葉書やガイドブックを売り付けようとする子供がしつこく纏わりついてくる。エジプトやトルコのもの売りの少年はどこか可愛げがあったが、ここでは図々しくて厚かましいだけ、いかにもインドと言った感じである。

獅子門をくぐって2つ目の中庭に入ると左手に一般謁見の間、右手にガネーシャ門が見える。丁度、ガネーシャ門の前で女学生の団体が写真を撮っているところなので中に入れて貰い一緒におさまる。
ガネーシャはヒンドゥー教の神の一人で、人間の身体と象の頭をもち、障害を取り去ったり、財産をもたらす神と言われており、このガネーシャがアーチの上に描かれている。
周囲の壁にはラジャスタンのいろいろな花、花びんに生けられた生花、蔦の縁取りなどが描かれ、無骨な感じの外観とは違っていかにも繊細である。こうした装飾や半ドームのイワーンなどペルシャの流れをくむムガル風のようだ。
世界で1番美しい門だと言われているそうだが、それはちょっと言い過ぎでしょう、世界は広いよと言いたいところだ。

ガネーシャ門を通ると緑豊かな庭園が広がり、回りを建物が囲んでいる。アンベール城の中枢となる宮殿、歓喜の間や勝利の間などである。

歓喜の間

歓喜の間のドアーは白檀の材に象牙の装飾がされているとガイドさんの説明、部屋には水路が張られ、噴水で涼をとる工夫がさていたと言う。

勝利の間

ジャイ・スゥイング1世の居室だったとそうだが、別名、鏡の間と言われている。
壁や天井にかけてびっしりと装飾が施されているが、これらは無数の鏡の小片で飾られているそうだ。よく見るとそれは、花々や葉っぱ、花を生けた花瓶、いろいろの壷などイスラムの美術そのものである。暗くなって1本のロ-ソクを灯すと、炎が装飾に反射して何千本にも輝いて見えるのだそうだ。
柱に彫られた大理石の絵は一見植物のように見えるが、ガイドさんによれば想像上もので、良く見るとへびの頭、さそり、魚、象のしっぽや鹿の角などを組み合わせたものだそうだ。遊び心がなんとも豊かである。
上にジャイガール要塞、下に池に浮かぶ庭園や夏の宮殿を眺めて、アンベール城の観光はおわり。

ジャンタル・マンタル(天文台)

バスはジャイプルに戻り、旧市街地のジャンタル・マンタルに。
アウラングゼーブ皇帝に指南役として仕えたサワイ・ジャイ・スウィング2世が城塞都市ジャイプルを造り、都をアンベール城から平地に移したのが1727年、このジャンタル・マンタルを作ったのが1728年である。
サワイ・ジャイ・スウィング2世は多才な人でアラビヤ語の勉強から始めて天文学や占星術を研究したという。ペルシャの本や中央アジアの天文台を参考にしながらジャンタル・マンタルを造ったそうだ。
ガイドさんによれば、サワイ・ジャイ・スウィング2世の‘サワイ’は1.25という意味だそうで、イギリス人がここにやって来て天文台や天文学の話を聞いて、‘人間は1つの頭しか持っていないが、あなたは1.25の頭を持っていると’称えたことからサワイ・ジャイ・スウィング2世と呼ばれるようになったそうだ。

ジャンタル・マンタルに入ると、そこは遊園地のように色々な遊び道具が並べられている感じであるが、これらは天文観測機器である。
サムラート・ヤントラという日時計は高さ27mの大きなものと、小ぶりなものがあり、2秒単位まで測ることが出来るという。
それぞれの星座に向けられている12のラーシ・ヴァラヤ・ヤントラという観測儀は占星術家にとって貴重なものだとか、
2重の円筒になっていて太陽や星の位置を観測するディガンシャ・ヤントラ、
チャクラ・ヤントラは2つの半球と円形のリングからなっており子午線通過時間や星の位置が観測できるなどなど・・・・・・。

インドは現在では全国標準時間を使っていて時差はないが、実際には時差がありジャイプルの今日の時差は40分だと看板に書いてありますと言って、ガイドさんが小ぶりな日時計の方で説明を始める。羽根が湾曲したようになっているところに目盛が付けられていて、太陽の陰の目盛を読むと、2時55分を指しており、時差の40分を加えると、3時35分になる。合ってない時計をしている人はゴミ箱に捨てなさいとガイドさんに言われて、皆さん自分の時計に目をやるが、捨てようとする人はいないようだ。

風の宮殿

風の宮殿、表はバザールの通りに面している。車窓観光だが、奥行きが浅いへんてこりんな建物である。宮廷の女性達が通りを見おろしていたという。

シティ・パレス

サワイ・ジャイ・スウィング2世が造ったジャイプル(ジャイはジャイ・スウィングのジャイ、プルは城壁に囲まれた町の意、)の中心にある建物、現在も末裔が住んでいるそうだ。ジャイプルの旧市街はピンク色に統一されているが、ガイドさんによれば、もともとは黄色であったが19世紀に、イギリスの皇太妃が来た時に歓迎の意を表してピンクにしたとのこと。
テイスタイルや武器が展示されているが、カメラ禁止。中庭でお茶をしてジャイプルの見物は終わり。この後は宝石の店と生地の店、短いツアーでも買い物タイムがしっかり組み入れられている。

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