ファテープル・シークリ観光

トイレ休憩も入れて4時間半ほどで、アグラの南西37kmにあるファテープル・シークリに着く。ファテープル・シークリはムガル帝国の歴代皇帝のなかで唯一、大帝と称された第3代皇帝アクバルが1571年から14年間だけ都を置いたところである。
アクバルはアザーンで最初に唱えられる、
‘アッラーフ・アクバル’(アッラーは偉大なり)のアクバルである。

さて、アクバルは父フマユーンの急死により、パンジャブの戦地で即位したのが13才であったという。デリー、アグラを奪還した後、西はカブールから東はベンガルまで遠征を繰り返し帝国の領土を拡張していたが、20才の時、ラジャスタンのラージプト、アンベール王の臣従の誓いを受け、王女を差し出され結婚している。
イスラムの王が異教徒を妻にすることはそれまでもあったが、イスラムに改宗させる慣わしであった。だが、アクバル帝はヒンドゥー教徒のまま受け入れたと言われている。アクバルの第1夫人がこのヒドゥウー教のアンベール王女ジョウド・バイで、アンベール城を造ったマーン・スィングの姉である。
アンベール王の臣従を契機としてラジャスタンのラージプト諸族が支配下に入ってきたことや異教徒に課す人頭税も廃止して融和を図ったことなどからアクバル帝の帝国は南インドのデカン高原まで勢力を伸ばしていったと言われている。

こうしたなか、アクバル帝の悲しみは世継ぎに恵まれていないことであり、数え切れないほど聖地巡礼をしたり、占星術師の占いを受けたと言われている。
26才の時、アグラ郊外のシークリ村の聖人からアクバルは3人の息子を授かると予言され、翌年に長男、後のジャハン・ギールが生まれ、次男、3男にも恵まれることになった。
アクバル帝がグジャラート征服を記念してこのシークリ村に造営した都がファテープル・シークリ(勝利の都という意)である。シークリ村の聖人に感謝したしるしと言われているが、アクバルはアグラ脱出を早くから考えていたらしい。
アクバル帝は14年間後にはこの都は放棄してラホールに移っていった。ガイドブックにはその原因が水不足にあったと解説しているものがあるが、ラホール地方の反乱を鎮圧するためであったとガイドさんの説明。

さて、 ファテープル・シークリ、

一般謁見の間

門を入ったところが一般謁見の間(ディワニ・アーム)、回廊に囲まれた中庭の一方が裁判所に通じている。アクバル帝はここで陳情を受けたり、裁き行っていたという。

一般謁見の間の後は石が敷き詰められた広い中庭で、真ん中に台座のようなものが置いてある。ゲームのための庭と呼ばれ、碁盤のように線が引いてありアクバル帝は人間を駒にしたチェスを台座の上から楽しんでいたという。

貴賓謁見の間

ゲームの庭の一方には貴賓謁見の間(ディワニ・カース)がある。外見は正方形のごく普通の建物だが、中に入ると中央に7mくらいの奇妙な形の柱が立っている。グジャラート様式なんだそうだが、柱は中ほどが4角形、その上の部分は8角形、さらに上は16角形となり、柱の天辺から彫刻が施された36本の腕木が上に向かって張り出している。
その腕木の上には平らな円形の玉座が設けられ、アクバル帝は賓客との会見や宴会を楽しんだという。
貴賓謁見の間の後にある柱だけで壁のない小屋は占星術師の座と言われ、ガイドさんによれば、戦を何時何分には始めたら良いかということまで占っていたとそうだ。占星術師の座の後は宝物殿で、手を出してもゴミが出てくるだけとガイドさん。

パンチ・マハル

ゲームの庭に戻って、奥に進むと、高層の建物が見えてくる。近づいてみると木造建築のような5層の石造りの建物で、壁がなく柱だけで支えられている。ガイドさんによれば柱は全部で178本あり、1階には84本、上の階に行くに従って少なくなり最上階はたったの4本の柱でドーム(チャトリ)を支えているのだそうだ。いかにも風通しが良さそうなので涼をとるにはもってこいの場所であったと思われる。

ジョドゥ・バイ宮殿

パンチ・マハルの先にはジョドゥ・バイ宮殿などハーレムがある。
アクバルの第1夫人がアンベール王女ジョウド・バイでヒンドゥー教徒、第2夫人はアルメニア人のキリスト教、第3夫人はイスラム教だったと言われている。
ジョドゥ・バイ宮殿はハーレムのなかで1番大きく、中庭を夏の宮殿や冬の宮殿などが取り囲むパティオ風であるが、列柱ホールや深い庇などヒンドゥウーの建築様式が混じりあっているという。
ジョドゥ・バイ宮殿のすぐ近くにキリスト教夫人の宮殿がある。ガイドさんの話では綺麗な壁画があったが、風雨で駄目になってしまったらしい。キリスト教夫人はアルメニア人であったらしいが、アクバルが当時、キリスト教を必要とする理由があったのだろうか、グジャラートの良港を手中にしてキリスト教国との交流がさかんになっていたということなのだろうか。

イスラム教夫人の宮殿

イスラム教夫人(ターキッシュ・スルタナ)の宮殿はガイドさんの一押しの宮殿で、建物は小さいが中にはいると花や鳥、つる草などの彫刻で赤砂岩の壁全体が装飾されていて、その繊細な表現に思わず魅入ってしまう。

ハーレム地区のさらに奥にはモスク地区があるが足を伸ばす時間がない。