7時30分、デリーに向けて出発する。実質3日間のインド観光は始まったと思ったらもう最終日である。デリーまで200km、お客さんの不満を体験しておきたいと言って、今日は添乗員が一番後ろの席である。

ヒンドゥー教について

先ずはガイドさんのヒンドゥー教のお話、途切れとぎれにしか聞えないのではなはだ要領を得ないが、世界で1番古い宗教がヒンドゥー教。もともとインドにはドラヴィタ人が住んでいて、神様はシバ神とシバの奥さんしかいなかった。
インドにアーリア人が入って来たりして、いろんな神様が増え、また神様の化身も多いので、3.3億人の神様がいるのだそうだ。菩提樹などの植物のも神様が宿っているという(八百万の神のわが日本より2桁も神々がおわすとは、さすがインド、ばけものの国である)

一番人気があって偉い神様はシバ神である。破壊者と言われ、親切だけれども悪いことをすると怒りだす神様である。
ブラフマと言う神様は創造神で、世界を作って仕事は終わっていると思われているうえに悪いことしたので人気がない、ブラフマ神が浮気をしたためだという。
それで、ブラフマを祀るお寺は1つしかないそうだ。ジャイプルから180kmのプシュカルというところにある。
ヴィシュヌ神は世界を護る、維持の神様で何回も生まれ変わることが出来る。
それでヴィシュヌ神の化身がわんさといて、ラーマもヴィシュヌ化身、ジャイナ教の預言者も化身、お釈迦さまもヴィシュヌ神の化身である。
ヒンドゥー教のお寺にお釈迦様の仏像があり、インド人は同じ宗教だと思ってお祈りしている。ガイドさんも日本語ガイドをするようになって初めて仏教がヒンドゥー教と違う別の宗教だと知ったとのこと。

ヒンドゥー教社会では女性に厳しく、女の人は顔を隠さなければならなかった(今は結婚したら頭だけ隠す)。
15、16才で結婚し、旦那がなくなると、再婚することは出来ないので未亡人の生活を強いられ、遊びをしてはいけない、肉を食べはけない、白い服を着て、髪の毛を剃っていた(今は悪い習慣はなくなってきている)、また、旦那が亡くなると、生きたまま一緒に火葬されるサティーがあった。今は法律で禁止されているが昔は普通のことで、最近でも15年前にサティーがあったそうだ。

ヒンドゥー教と深く結びついているのがカースト制度で人間の体に例えると、

頭がバラモン、人間の体のなかで一番偉いのが頭のところ。頭がないと人間は生きていけないので、坊さんはよく勉強をしている
胸がクシャトリア、胸は力を持っているので王様や軍人になる
腹がヴァイシャ、あまり力を持っていないので農業や商売をする
頭から腹までが人間の1つの体で、足がシュードラ、足が人間の世話をして上を支えている、掃除や火葬場の仕事はシュードラがしている。

カスースト制度が出来た当時は職業を変えることが出来、職業を変えるとカーストも変っていたが、時代の流れの中で職業を変えることが出来なくなった。
そして、シュードラの下にアキュートという触れてもいけないアンタッチャブル
カーストを作った。
結婚もカーストと言葉を調べるので、イスラム教の人と恋愛結婚する時は宗教を隠して別の所に移る。もし、イスラム教の人と分かれば殺されることもある。
他の宗教から改宗することが出来るが、1番下のカーストになる。
(イギリス人や日本人は他宗教でもクシャトリアの扱いを受けることが出来るらしい、相手が強いとどうにでもなるご都合主義というかいい加減なところがなかなか面白い)

ヒンドゥー教は考えが深いが、宗教とはいえない生活様式という面がある。ヒンドゥー教の教えに従って生きれば間違いがないということになっている。
ヒンドゥー教によれば、極楽浄土、地獄、幽霊の3つがあり、ヒンドゥー教徒は極楽浄土に行きたいと思っていて、いいことをしたら極楽浄土にいけるが、どうゆうことをしたら極楽浄土に行けるかはっきりしている。
良いことと悪いことをしたら生まれ変わる、地獄に落ちる。この現世は楽しいこともあれば、悲しいこともあるので地獄である。
悪いことばかりしていると幽霊になる。自殺はいけないので自殺したら幽霊になる、後悔があったらそれも幽霊になる、心残りがあってはいけない。
貧乏で楽しくない生活をしている人は前世の行いが悪かったためで、現世で良い行いをすれば、来世では金持ちになり良い生活が出来る。
人が死ぬと、極楽の入口に裁判所があり、そこに行って幽霊なるか、地獄に落ちるか極楽に行くか裁判で決めて貰うことになる。

ガイドさんの話は、つまり、カーストによって身分や職業が決まり、人の幸せも左右されるが、カーストは親から受け継がれるもので生まれたあとにカーストを変えることはできない。現在のカーストは過去の生の結果であるから、これは受け入れ、現在の人生で良いことをして次の生で高いカーストに上りなさいというもので、ヒンドゥー教輪廻転生の考えかたとカーストが密接に結びついて社会を動かす原理となっているということである。

それにしても、このような支配者にとってまことに都合のよい馬鹿げた考えが2千年近くもインド社会に受け入れられてきたのは何故であろうか、インドは化け物に思えてならない。
インドが化け物に思えてならないのはもう1つ、イスラム教徒による支配が、デリー・スルタン時代の300年、ムガル帝国が300年、合わせて600年も続いていたが、パキスタンとの交換があったとはいえ、インド人の生活風土に残したものは殆ど無いように思えてならない。現代インドはムスリムの残したものを観光資源と利用しているに過ぎないと思われてならないが、どうなんだろう。