ロマンチック街道はフランクフルトの東南約100kmのマイン川沿いのヴュルツブルグからミュンヘンの西にあるアルプスの麓フュッセンまで350kmの街道でケルト人のころから交易路として使われていたと言われている。
さて、ローテンブルグを出て40分ほど走ったところで、添乗員がロマンチック街道の中世都市でもう一つお勧めの町があるので、そこを見て行きましょうと言って、日程表にのっていないディスケンスビュールという町に立ち寄る。

ディスケンスビュール

添乗員によれば、ディスケンスビュールは10世紀ころに生まれた市場町で、南ドイツの穀倉地帯の中央に位置するので農産物の集積、交易都市として発展し、13世紀には帝国自由都市となった由。第二次世界大戦の爆撃も受けず、水郷に囲まれた中世の街並みがそのまま残っているので中世の生きた博物館と言われているとのこと。
車の乗り入れは出来ないので町の外でバスを降りてローテンブルグ門をくぐって、土産物屋が並んでいる通りを歩いて行くとゴシック様式の教会がある。教会の前の道路が交差し少し広い処がありマルクト広場らしいが広場と言うより交差点といった感じである。

キンダーツェッヒェ

教会の横の銀行の赤い壁にひざまずく子供の絵が描かれている。
30年戦争のときカトリック側についたディスケンスビュールはスエーデン軍に包囲され陥落寸前になった時、子供達が将軍の前にひざまずき町を助けてくださいと頼んだ。
将軍は子供達の中に故郷に残してきたわが子とそっくりな子供を見つけ町の略奪をあきらめたという言い伝えを描いたもので、キンダーツェッヒェとは子供の飲み屋の勘定という意味、つまり戦争の付けを子供が払ったということ。毎年7月に子供に感謝する祭りがあり、ドイツでも有名な祭りなのだそうだ。

ドイチェスハウス

道路を隔てた教会の向かいに5つ美しい建物が並んでいる。このうち3番目の建物が一番古くて、有名なドイチェスハウスで17世紀初めに建てられた南ドイツのルネッサンス期を代表する木骨組みの家で、現在はホテル・レストランとなっているのでフリータイムにお茶でもどうですかと添乗員のお勧め。

木骨組の家は各階毎に独立した箱のような構造物を積み上げて、それをかすがいで固定して造る工法だそうで、上にいくほど外にせりだしている。日本のように柱を建て梁で繋ぐのではなく、柱は各階毎にとぎれているわけだ。木骨と木骨の間にレンガ、小さな切石や木の枝などをぎっしりと詰めて漆喰で固めてあり、壁が建物の重要な支えとなっているとのこと。
本を読んでいて、上にいくほどせりだすとは、どう言うことなのかよく分からなかったが、現物をみて納得する。
木骨組の切妻屋根の家が並んでいる様は中世のお伽話の世界にいるようで好ましい。
フリータイムは少し町を見た後、ドイチェスハウスでお茶をする。

ディスケンスビュールの観光を終わってバスは一路、ミュンヘンへ。
道路の両側には広大な農地がつながっていて菜の花や羊の群れなどのどかな景色が展開され、ドイツも農業国だと実感する。
このあたりになると添乗員の口はますます滑らかになり、添乗員業界の話、議員さんや市長などの添乗の裏話、添乗員やスチュワーデスの語学力など、スチュワーデスは実は言葉があまり出来なくても務まる仕事で、笑顔々々が優先される話など次から次へと展開され、うつらうつらしながら聞くのはなんとも心地よい。

で、そんなこんなでバスはミュンヘンに着く、ホテルはツアーでは珍しく市内。
部屋に荷物を置いて、夕食のため再びバスに乗る。ホフブロイハウスという世界一美味しいビールを飲ませるビヤホールが夕食のレストランで、大ジョッキの生ビールにバイキング形式のバイエルン料理。ラインクルーズのソーセージは口に合わなかったが、ここのソーセージはなかなか美味しい。
ショウも面白く、皆さんと手をつないで歌ったり、よく話しをするようになった新婚さんにせかされて席をたち、前の人の肩を持って百足のようにぐるぐる部屋を回る輪に加わる。童心に帰えれるのも旅の空でのこと。