サンクト・ペテルブルグ市内観光

このツアーの参加者は30人ほど、自分も含めて男3人、女性3人と1人参加が多いのが特徴で、すこし障害のある男の子の家族連れと、あとは中年、熟年の夫婦や女性の2人ずれなど。

サンクト・ペテルブルグはヨロッパへの窓として、ピョートル大帝が18世紀の初めに、それまでスエーデンに併合されていたネヴァ河口の沼地と大森林に造営した人工都市で、1712年に遷都し、ロシア革命後、モスクワに首都が再び移されるまで約2世紀の間、ロシアの政治経済、文化芸術の中心であった。
ピョートル大帝の守護聖人に因んでサンクト・ペテルブルグと呼ばれ、その後第一次世界大戦の時にロシア語読みのペトログラード、レーニンの死後レニングラードに改称されていたが、ソ連崩壊後、再びサンクト・ペテルブルグとなっている。
この間、動乱、革命、戦争と悲惨な歴史があり、ことに第二次世界大戦のナチスドイツが行った900日に亘る包囲、兵糧攻め作戦で飢餓による死者が64万人とか。街も大半が破壊されたが、現在再び元通りに修復され18世紀~19世紀の雰囲気が保存されていて、北のヴェネチアと言われている。
ざっと、こんなところがサンクト・ペテルブルグについての予備知識。

バスはまずイサク広場へ。
イサク広場はイサク寺院、市議会(旧マリインスキー宮殿)、アストリア・ホテルなどに囲まれた街の中心で、広場の中央にニコライ1世が馬に跨っている銅像が建っている。
添乗員によれば、ニコライ1世はクリミヤ戦争で敗れロシア全土を失望させたとかで、この銅像は馬が2本の足だけで立っていることだけが有名なのだそうだ。

正面に見えるイサク寺院はロシア正教の聖堂、サンピエトロ、セントポールに次ぐ大きな寺院と言われ、金色に輝く丸屋根の外観は壮大で重厚な感じである。ガイドさんの説明ではこの寺院も戦争で破壊されたが政府の手で復元された。ソ連政府は宗教を認めなかったが文化には理解があり保護に力を注いだとのこと。

イサク寺院は下車観光のみで次のデカブリスト広場(元老院広場)へ。
広場はかってセナツカヤ(元老院)と呼ばれ、1825年の12月に自由主義の青年貴族が反乱を起こしたことを記念して、革命後デカブリスト広場と改名されたとのこと。
広場の中央にピョートル大帝の青銅の騎士像が立っている、ドイツ生まれのエカテリーナ2世がピョートル大帝の後継者であることを誇示するために造ったのだそうだ。銅像の土台は波形で海の出口、馬が踏んでいるのは蛇で敵を意味しているとのこと。

ネヴァ川の対岸は芸術アカデミー、民族学博物館、サンクト・ペテル大学、ロスロラ灯台、遠くにペトロハヴァロスク要塞がみえ300年の歴史を感じる。