ホテル出発は8時、今日はティナワク遺跡の見物、ロープウェイの試乗、サガルナガ通りでショッピングタイムの予定となっていて、ホテルに戻るのは18時頃になるそうだ。

道中のあれこれ

ティナワク遺跡までたっぷり時間があると云うことで、添乗員/ガイドさんのお話が、今までのおさらいを含めて、始まる。

まず、国土、世界で27番目の広さで日本の3倍ある。地形としては西部に位置するアルティプラーノと呼ばれる高原地帯、アンデス山脈の東側にはアンデスの渓谷地帯やアマゾンの森林地帯がある。

人口は約1千万人、ケチュア人が30%、アイマラ25%、メスティーソ30%、ヨーロッパ人が15%など、公用語はモラレス大統領になってから先住民の人権を尊重すると云うことでスペイン語の他に36の先住民の言葉が追加された。

資源として一番注目されているのは天然ガス。モラレス大統領が国有化(実際には,株式の過半数取得を通じ,生産・販売に関する国家管理を強化する内容らしい)して福祉、医療、年金などに回している。年金は払っていない人も貰えるようにしている。公立の教育は無料、出産の費用も援助している。

アルティプラーノ

南米大陸の太平洋岸沿いをエクアドルからチリまで10000kmを走るアンデス山脈がペルーの中部で東と西2つの山系に分かれ、1600kmほど南下したあたりで再び1つの山脈になる。このアンデス山脈が2つに分かれている地帯がアルティプラーノである。ボリビアでは西部に位置し、国土の5分の1を占めている。

アルティプラーノにはラパスやウユニ塩湖などが含まれ、亜鉛、錫、リチュムなどの鉱物資源が豊富である。スマホや燃料電池に使われるリチュムはウユニ塩湖の地下に世界1の埋蔵量があると云われている。

作物はジャガイモ、トウモロコシ、キヌワなど。キヌワはほうれん草の仲間の1年草で1~2mにもなり、1房に250~500の種がなる。土地の栄養分を取ってしまうので同じ土地で続けて作ることは出来ない。

最近はアメリカの女優やセレブなどにも人気が出ているので、アメリカや日本などへの輸出が増加して価格が高騰してしまい、地元でも価格が上がっている。

動物はアルパカやリャマ、グアナゴなどが放牧されている。最高級の毛がとれるピクーニャには滅多にお目にかかれない。人口の45%がアルティプラーノに住んでいる。
などなど話を聞いているとエルアルトの町にやって来た。

エルアルト

車窓の風景は建設途中で放置されているような建物も目立つが、エルアルトは今、ボリビアでもっとも活気がある町で、人口も100万人を超えている。

エルアルトにはアイマラなどの先住民族が85%、メスティーソが15%、白人は1%もいない。

ラパスに通勤する人が多いが、最近では衣料品の工場を立ち上げたり、家電製品や中古車をチリで陸揚げして密輸のようなことをしてしたりして儲けている人もいるらしい。でも、エルアルトが最貧地帯であることには変わりはない。

いろんな車が走っている中で、ワンボックスカーのミニバスが走っている。フロントガラスに行き先を書いた紙が貼ってある。8~9人くらい乗れる家族経営の乗り合いバスで、お父さんが運転し、息子が呼び込みをしたりしている。ミニバスは違法ではなく、組合があって25万台も走っており、ロープウェイが建設された時はエルアルトでは猛反対が起きた。

バスが進んで行くと、派手な感じの豪華な建物があちこちに見えてきた。チョーレと云う建築様式で先住民の間の新しい富裕層がこうしたマンションを建ており、1階にはショップやきらびやかに装飾された宴会場があり、2階から上が賃貸、最上階にオーナーの住居がある。

昨日、このエルアルトでロシアと原子力の契約が調印され、モラレス大統領も出席したそうだ。モラレス大統領は将来的に原発建設を推進する計画を発表しているらしいが、エルアルトに原発が建設されるとなれば猛反対が起きるに違いない。

そのモラレス大統領だが、独身でボリビアと結婚するとかねがね言っていた。ところが最近、愛人がいて、それも子供までいることが分かって評判を落としているのだそうだ。

さて、エルアルトの人達が毎日、どんな買い物をしているか見ていきましょうと、市場に寄る。

幹線道路から横道に入った道路の両側と真ん中にもチョリータのおばちゃん達が店を出している。簡単な台や道路上にビニールの敷物を敷いて、ジャガイモ、インゲン豆、ネギ、ニンジン、などの野菜、バナナ、ミカン、スイカ、ブドウなどの果物、小魚や衣類などを商っている。僅かな儲けにしかならないだろうが逞しさが感じられる。

再びバスが走り出して、ティワナク遺跡のお話が始まる。

ティワナク遺跡はラパスから西に72km、チチカカ湖のほとりに位置している。BC200年頃からAD1200年頃まで続いたプレ・インカ文明。最盛期は600~1000年頃と言われ、ペルーからチリの北あたりまで支配が及んでいた。ティワナク遺跡はビラコチャ神を始めとする多くの神々を祀る宗教都市だったと考えられていて、当時、ティワナクの人口は3~5万人だったとも言われている。

遺跡はすべて石で造られており、高い加工技術があったことが 推測される。