小さな博物館が遺跡の脇にある。玄関ホールに入ると遺跡の復元図が掲げられ、ガラスケースの中には頭蓋骨とその復元模型などが展示されている。復元模型をよく見るとかなり面長の感じである。頭を挟んで細長く伸ばす頭蓋変形が施されているように思える。インカ文明でも七福神の寿老人のように頭が伸びた頭蓋骨をみることがあるが、ティワナクの影響が及んでいるのかもしれない。

展示室には遺跡から出土した土器などが展示されているが、一丁前に撮影禁止となっている。
( 最近、撮影禁止の美術館がほとんどになってきているが、最近のカメラでは百万回のフラッシュ撮影でも作品に与える影響は美術館の照明と変わらないと云う実験結果があるようなのでフラッシュ撮影禁止の根拠はあまりない、ましてノー・フラッシュ撮影まで禁止するのは美術館側の独りよがりの気がする。

ナショナルギャラリーは言い出しっぺなので最初から禁止、オルセーも改装後に全面禁止となり、オランジェリーも改装後、フラッシュ撮影禁止であったが、2年後に行った時は全面禁止となっていた。
別格官幣大社はルーヴル、今でもノー・フラッシュでOKのはず。彫刻はルーヴルでも大英博物館でもご自由に、となっている、のはず。

作品に与えるダメージが理由にならないとすれば、観客の流れが滞ること、ショップでの絵葉書やガイドブックなどの売り上への影響を心配していることなどが考えられるが、それならルーヴルや大英博物館はどうなんだと言うことになる)

撮影禁止にするなら、せめてパンフレットや絵葉書、小物など用意したらと言いたくなるが、そんな配慮が出来る段階に至っていないようだ。

別棟には石の巨大な人物像が立っている。ベネット・モノリートと(ベネットは発掘者の名前、モノリートは一枚岩の彫刻のこと)と言って、高さ7.3m、重さが20tもある。発掘されてからずっとラパスのサッカー場の入口で展示されていたが風雨で傷みが進んだため、14年ほど前に里帰りして博物館に展示されているそうだ。ベネット・モノリートも撮影禁止、どうなっているんだろう。

博物館を出ていよいよ遺跡の見物となる。遺跡は3部構成となっていて、一番手前がアカパマと云う7段からなるピラミッド。天上界を表している。ピラミッドの上では生贄の儀式などが行われていた。

アカパマピラミッドの奥(南側)に見えるのがカラササヤ、地上界を表し、祭祀が行われる場所であり、集会場でもあった。
アカパマピラミッドの裏側に半地下神殿があり、地底界を表している、のだそうだ。

アカパマピラミッドはスルーしてカラササヤへ。

高さ2mほど石壁に囲まれていて、階段を上がると、130×120mの敷地には所々に石材が転がり草地が広がっている。

ティワナク文明が衰退し遺跡も風化が進んでいたが、スペイン人がやってきて教会を建設するために遺跡の石材を使ったり、住民も住居を建てるために持ち出したりしてめちゃくちゃに破壊されていたらしい。1970年代に遺跡の発掘や復元が始まったが、かなりいい加減な復元もされているそうな。

ポンセモノリート

敷地の中ほどには、博物館で見たベネットモノリートのような石像が立っている。こちらは高さ3.5m、発掘者に因んでポンセモノリートと呼ばれている。

一枚岩から彫りだされた立像は時の支配者か神官ではないかと云う見方もあるが、確かなことは分かっていないそうだ。砂岩のベネットモノリートなのに対し、ポンセは安山岩のモノリートなので保存状態がすこぶるよい。

頭上の冠から頬、肩、腕、ベルト、パンツや足先まで緻密な彫りが施されていて、当時の石材彫刻技術が高度なものであったことがうかがえる。パンツの柄は一見、水玉模様のようだがよく見ると、四角の中に丸 の幾何学模様や魚の頭(正面から見た)or人間の顔のようにも見える。ベルトの模様はカニのようにも人間の顔のようにも見える。

立像の手を見ると右手の指がひっくり返っている。これは物事には表と裏ある意味もあるそうだが(?)、

また、両手に持っているものは祭祀用の器具と思われるが、ガイドさん説明がよく分からなかったので旅行から帰ってネットで調べてみた。Keroと云うドリンキング・カップ(飲み口が外側に広がったコップのような土器)とSnuff tray (匂いかぎ皿、コカを嗅いだ香炉?)らしい。

太陽の門

ティワナクの巨石文化を象徴する太陽の門が敷地の北西の隅に立っている。岩の塊がまるで木材の1枚板のように加工され、高さ3m、幅4mの門状に仕上げられている。門の中央にはビラコチャ神、左右に鳥(人)が刻まれている。鳥(人)は48体だそうだ。

天地創造のビラコチャ神は深彫りされ、鳥(人)より突き出ている感じである、緻密な計算と技術があったようだ。

鳥(人)の下段のレリーフはビラコチャ神らしい。太陽の門は独立したものではなく大きな建造物の一部だったと考えられていて、もともとあったのは現在の場所ではないそうな。

エル・フライレモノリート

カラササヤの南西の隅にもう1つのモノリートがあり、発掘者の名前をとってエル・フライレと呼ばれている。風化が進んでいるが、かえって顔の表情はおだやかに見える。右手の指が反り返っていることや両手に持っている祭祀器具などはポンセモのノリートと同じようである。ベルトの模様はよく見るとカニのように見える。だとすると、ポンセモのもカニだったかも。

拡声器

広場のあちこちに転がって石材の中には、孔がくりぬかれている物がある。外側の小さい方の孔から話すと広場まで声がよく通るのだそうだ。祭祀などの進行に使われたとのこと。