早朝の5時、ベネヅエラの首都カラカスに到着(添乗員によればアメリカの東部時間とベネヅエラには30分の時差があるそうだ。東部時間を使ってもよさそうなものだが、アメリカに従うのをよしとしない気質らしい)

空港は3000m級の滑走路が2本、空港ビルも欧米と遜色のない近代的な感じである。豊富な石油資金が投入されているのだろうが、滑走路から見えた山の斜面にへばりつくようにびっしりと建てられたスラムとは大きな落差が感じられる。

チャベツ大統領も国連でブッシュを悪魔呼ばわりするのもいいが、自国の民のことにいつも心を痛めて欲しいものだ。

両替

国内線に移動してチェックイン手続を待っていると、何やら怪しげな男たちが近づいてくる。様子を見ていると、どうやら闇の両替屋らしい。レートを聞いてみると1米ドル=5ボリバル(ベネヅエラの通貨単位、Bsと表記)だと言う。

公定レートが1米ドル=2.15ボリバルで実勢レートが3~3.5と聞いていたので破格のレートである。偽札ではないかと心配だが、使い古したお札のようなので20ドルだけ交換する。皆さんもおそるおそる20~30ドルを両替されたようだ。

実は、正規の両替所は国際線の税関のところにあり、添乗員が両替の案内をするのを忘れたのである。国内線に移動の途中でそのことを添乗員に聞いてみると、入国した後は引き返すことも出来ず、気落ちした様子であった。

添乗員の失念が結果として有利な外貨交換になったわけで、怪我の功名とはこのことかも。

それにしても、リーマンショックは特に金融小国に甚大な影響を与えているようだ。実勢レートで交換できる手段があれば、今は海外旅行の絶好のチャンスかも知れない。

40分近く遅れて11時40分にカラカスを出発、プエルト・オルダスに向かう。機内は120席ほどの席が満席である。プエルト・オルダスには製鉄所やアルミ精錬所などがあり、日本の商社のなかには駐在員事務所を置いていると株主通信か何かで読んだことがあるが、人の行き来が活発なようだ。

フライトは1時間弱、簡単な食事が終わるとすぐに降下が始まる。このプエルト・オルダスは、また、‘母を訪ねて三千里’の舞台ともなったオリノコ川とカロニ川が合流するところで、オリノコ川の濁流とカロニ川の黒い水は数キロも混ざり合わずに流れるらしい。

旅行社の説明会で荷物は12kg以下にするようにと言われていたが、このプエルト・オルダスから空路はセスナでの移動になるために重量制限をしたようだ。

ここで合流したガイドのデイビッドさんの指示に従ってセスナに搭乗、1時30分過ぎに飛び立つ。眼下にみるプエルト・オルダスは、なるほど大都市で、整然と区画整理されているようだ。オリノコ川とカロニ川の色の違うところが見えなかったが、座席の関係かも知れない。

1時間あまり飛んだところで下をみると、ジャングルを蛇行する白く濁った川と普通の川が合流しているところが目に入る。上流に鉄鉱石やダイヤモンド、金などを採掘するところがあり、残滓などを垂れ流しているので川が濁っているらしい。

遠くにテーブルマウンテンが見えて来たと思っているとセスナはルエパの空港に着陸する。驚いたことに草原の中に滑走路があるだけで、建物も何にもない空港である。いかにも秘境ギアナ高地の入口に立ったと言う感じである。

滑走路の側に2台の4輪駆動車ともう1人のガイドが待っている、名前はウヴェさんである。ウヴェさんはドイツ人でベネヅエラに来て29年になるそうだ。デイビッドさんはプエルトルコ生まれ、やはり30年以上もベネヅエラで暮らしていると言う。デイビッドさんは旅行社がいつも使っているガイドで、ウヴェさんは現地エイジェントの代表者のようだ。2人ガイド制のようだが、サンタ・エレナまでのガイドはウヴェさんが主導するらしい。

早速、くじ引きで決まったウヴェさん運転の1号車に乗り込み、今日の宿のチバトンに向けて出発する。

で、未舗装の道に入るとすぐに4輪駆動が暴れだした。凸凹道が豪雨でさらに穴ぼこだらけになっているのでロディオのように跳ねるのだ。しかも荷台の両側に付いた座席なので横向きの上に掴むところがない。

運転席ではさほど感じない揺れでも、荷台の、それも後の座席では何倍にも揺れることがウヴェさんには良く分かっていないようだ。もっと運転に気をつけてとクレームが出たのに対して、ウヴェさんがトヨタが悪いと口を滑らしたのを、添乗員が馬鹿正直に直訳したものだからご婦人方はかんかんである。

そんなこんなで、6時過ぎにチバトンの宿に着く、おつかれ、おつかれ。

(サムネイル画像をクリックすると大きいサイズの画像になります。画像の中ほどの両端の矢印をクリックすると画像を前後に移動出来ます。画像の右下の○をクリックするとサムネイル画像に戻ります)