パムッカレを発ち、高原地帯を徐々に下るに従って山の緑が濃くなってくる、3時間ほど走ってエーゲ海のエフェスに着く。

‘エフェソスのアルミテスは神聖なり’狩猟の女神アルミテスの偉大な国はクチュメンテス川の河口に建設された。古くからこの地は女神信仰が盛んであったが、イオニア人がギリシャからやって来た時、女神の名が定かでなく、イオニア人は女神をアルテミス、名無しの女神と呼んだ。古代の世界七不思議の一つアルミテスである。

町の正確な起源は分かっていなくて、古いところではアマゾネスが町をつくったという記録もあるらしいが、イオニア人が紀元前11世紀に先住民を征服、短期間に繁栄を築いたと言われている。ペルシャによる支配、アレキサンダー大王のヘレニズム時代などいろいろな経緯を経てローマ領なっても繁栄し、アウグストゥスの時代にはローマ帝国のアジア州の都とされ行政、商業の中心となったようだ。現在、エフェスで見られる遺跡の多くはアウグストゥスの時代のものだそうだ。エフェス観光は先ず考古学博物館から。

考古学博物館

こじんまりとした博物館である。エフェソス遺跡の出土品2万5千点のうち約千点が中庭を囲んで6つの部屋に展示室されている。
アウレリュース、トラヤヌスやソクラテスなどの胸像、トラヤヌスの泉の前門、コイン、エロス像など。

アルテミス女神像

最も興味深いのは2体のアルテミス女神像で胸いっぱいに卵型のものを付けている、これは女神の乳房とも生贄の牛の睾丸とも言われている。アルテミスは豊穣の女神でもある。

聖母マリアの家

聖母マリアの家に向かう坂の途中に、優しく手を差し伸べている感じの聖母マリアのブロンズ像がある。19世紀の発掘の時に出土したものとか。
エフェソスは使徒ヨハネがキリストの処刑の後、聖母マリアを伴って移り住み、この地が聖母マリアの最後の住まいであったという言い伝えがあり、この地方はキリスト教と深いつながりがあるようだ。

ドイツ人のキャサリン・エメリッチは病弱で一度も訪れたことがないのに、不思議なことに、この地の山の上の礼拝堂の位置をはっきりと予言した。この予言もあって、1891年に行われた発掘調査で現在の小聖堂の下に4世紀と1世紀の壁の跡が残っており、7世紀には聖堂の建て直しがされたことが明らかになっている。現在の建物は1951年に完成したもので小さな家である、中に入り中央の祭壇のマリア像を拝む。

エフェソスの遺跡その1

いよいよ20万人が住んでいたと言うエフェソスの遺跡の観光となる。
2世紀頃のヘレニズムとローマ時代の遺跡を堪能できると思うと足が軽い。

南のマグネシア門を入り、浴場やバシリカ跡を進むと右手がオデオン(音楽堂)、左にステートアゴラ(行政広場)が広がっている。

オデオン

小劇場形式の音楽堂は劇場目的ではなく市議会の集まりや音楽会に使用されたもの。太陽や雨を遮る屋根があり2千人くらい収容したようだ。

ヘラクレスの門

4世紀末に造られたもの、ヘラクレスのライオン退治のレリーフと近く置かれている勝利の女神ニケのレリーフは共にヘラクレス門を飾っていたものと言われている。