ペルガモン遺跡観光

今日はモーニングコールが6時半、8時の出発で、いつもより30分遅い。疲れ気味なので助かる。

アレキサンダー大王の東征により、ほぼトルコ全土が支配下に入っていたが、紀元前323年に大王が急死した。
トルコ西海岸の地では12将官の一人リシマコスが大王の遺産を運んで来たがイズミールで戦死、その後、遺産を管理していたフィレタイロスがペルガモン王国を築いたと言われている。ペルガモン王国は小アジアなどとの交易で繁栄し、ヘレニズム文化がアクロポリスに開花したのだそうだ。

紀元前129年、ローマ人はアッタロス3世の遺言だと偽り、小アジアの全ての領土をローマ皇帝に寄進させたと言われ、以後この地はローマの属州となるが、ヘレニズム都市として繁栄が続いたらしい。

アクロポリス

バスがベルガマの町をくねくねと抜け、300mほどの丘を登ってペルガモン遺跡に着く。

アテナ神殿

アクロポリスで最も古い遺跡、紀元前4世紀に造られた。現在は回廊の礎が残るだけだが、当時は瀕死のガリア人などヘレニズム芸術で飾られていたと言う。

トラヤヌス神殿

ローマ皇帝トラヤヌスに捧げられたこの神殿はすべて大理石で正面6柱、側面9柱でコリント様式。現在残っている遺跡からも建設当時の壮麗さが容易に想像される。

図書館

アレキサンドリアの図書館に比肩する20万巻の蔵書を誇った図書館で、脅威を感じたエジプトがパピルスの輸出を禁じたと言われている。

劇場

山の南西斜面を利用して造られた扇形の劇場だが、高低差が100m近くあり1万5000人を収容できたらしい。舞台はなく演劇などが催される時には木で組まれたとのこと。

ゼウス大祭壇

劇場の最上段からすぐ近いところにゼウスの大祭壇の礎が残っている。ガリア人に勝利した記念にゼウスに捧げられた祭壇で、神と巨人族との戦いを描いた全長120mのレリーフで飾られていた。ヘレニズム芸術の傑作の一つと言われるが、トルコにはなくドイツによって持ち出されベルリンのペルガモン博物館に展示されているそうだ。一度は訪れて見たいものだ。(ベルリン、ペルガモン博物館へ)

アスクレピオン

アクロポリスから川をへだてた対岸の丘の上にたつアスクレピオンは総合医療施設で紀元前4世紀から800年近く営まれていた。
遠くローマあたりからも治療に訪れ、700人くらいを収容していたと言われる。治療は暗示による精神療法、投薬、リハビリ、観劇などレクレーションなど当時の先端医療が行われていたとか。

入口を入り石畳の聖なる道を150mくらい進んだ広場にへびとお椀の彫刻がされた円柱が残っている、ガイドさんによれば重病人が絶望してへびの毒をのんだら逆に病気が治ったという言い伝えを表しているのだそうだ。広場の中央には聖なる泉があり、患者はここで身を清めてから地下道を通って治療棟に向かったとのこと。

昼食の後、1時間半ほど走って、シュリーマンが神話を史実として発掘し世界を驚かせたトロイの遺跡へ。

トロイ遺跡

ギリシャ神話のなかで最も美しい女性といわれるヘレナをトロイアのパリスが略奪したことから始まるトロイア戦争はホメロスの叙事詩でよく知られているが、このギリシャ神話がお話ではなく歴史であることを発見したのがドイツのシュリーマンである。歴史としてはパリスの略奪から戦いが始まったわけではなく、エーゲ海を挟んで繁栄していた二つの勢力が経済的政治的覇権をかけて争ったということになる。
トロイ戦争があったのは紀元前1200年頃のことであるが、トロイは紀元前3千年からローマ時代まで戦火で滅んでは、また新しくその上に建設したので第1市から9市(9層)の遺跡が複雑に絡んでいる。

入口を入って東の塔と城壁が第6市の遺構で、しっかりとした石積みが残っている。6市かその上の7市あたりがトロイ戦争時代のものだといわれている。
シュリーマンがトロイの宝を掘り出した悪名高い第2市、 聖域、石畳の坂、年代層の入組んだ遺構、劇場などを見て回る。入口の横に作られている木馬はお愛嬌と言うべきか。