ヒエラポリス

この地方がローマの属国となっていた紀元前2世頃に、ペルガモン王エウメネス2世によってつくられ、ローマ、ビザンツ時代まで温泉地として繁栄していた町の遺跡。
3つの連続アーチと円筒形の石積みのドミティアン門が町の北端で、石畳で舗装された道を進むと北ビザンツ門、ここから南ビザンツ門までの直線がメインストリート、市場やバシリカなどがありこの町の繁華街であったらしい。

この遺跡で興味深いのは町の北に広がるネクロポリスという共同墓地、1000を超す廃墓が並んでいて異様な雰囲気だ。ガイドさんによれば墓の様式はヘレニズムからビザンツとさまざまらしい。大きさも大小さまざまでこの時代の貧富を感じる。

ヒエラポリス遺跡見物の後は、このツアーの楽しみの一つでもある純白の棚田のような石灰棚に。

石灰棚

このパムッカレの石灰棚もギョロメの奇岩を見た時と同じように、‘なんじゃ、これは’というのが 第1感。綿の城という意味を持つ名前の通り、真っ白な石灰華が岩肌全体を覆い、段々畑のように広がっている。

パムッカレの温泉源から湧き出るカルサイト(方解石)を含む温水が、石灰岩でできた岩肌を流れる時に二酸化炭素が発生し、炭酸カルシウム塩となって凝結、長い年月のあいだに石化して滝のようになったらしい。
あまりにも自然の造形がたくみすぎて、ゼラチンやゾルで作った食品サンプルを見るような気になるのは僻みだろうか。

それにしてもこの狭い場所だけが何で綿の城になったのだろう、同じ条件のところは他のもあるだろに・・・・ つぶやきながらバスに戻る。
パムッカレとヒエラポリスもユネスコの世界遺産に登録されているとのこと。