5日目、サンドニ大聖堂
今日はサンドニ大聖堂の見物以外に予定はないので部屋でグズグズしていて、ホテルを出たのは1時過ぎになった。路線図で調べたところサンドニ大聖堂へはオペラで3号線に乗り、サン・ラザールで13号線に乗り換えればよいようだ。ただ、13号線は途中で枝分かれしていて、終点がサンドニ大学になっている電車かどうか気をつけなければいけない。

で、サン・ラザールでの乗り換えがややこしくてまごつくが、何とかサンドニ駅に着いて地上に出ると、オペラやピラミッドに比べてなんとなく重たい雰囲気である。通りがかりの人に大聖堂への行き方を尋ねると、めんどくさそうに指差してくれた。でもって、5~6分ほど歩いてサンドニ大聖堂に着く。

サン・ドニバジリカ聖堂、ウィキペディアによればフランスの守護聖人である聖ドニはモンマルトルで斬首されたが、首を刎ねられてもすぐにには絶命せず、自分の首を持ってパリ郊外のこの地まで歩き、そこで倒れ絶命したと言伝えられている。その地に教会堂が建てられたのがサン・ドニ・バジリカ聖堂の始まりだそうだ。フランス王の殆どがこのサンドニ大聖堂に埋葬されているらしい。(バジリカ聖堂はローマ教皇から特に重要な教会堂と認められ、特別な地位を与えられた教会堂のことで、大聖堂は司教座の置かれた教会堂のことを言うとヨーロッパ旅行の際、ガイドさんからさんざん聞かされた)。サン・ドニ・バジリカ聖堂が大聖堂(カテドラル)になったのは1966年になってからのようだ。

マリー・アントワネット、カトーリーヌ・ド・メディシス

サンドニ大聖堂が今回のフランス旅行の目的の1つであるが、埋葬された王たちに興味があるわけでもなく、ギロチンになったマリー・アントワネットの遺骸がその後どのように扱われたのか知りたい、また、ロワールのお城巡りで興味深ったカトーリーヌ・ド・メディシスの墓も見てみたい、と言った程度の、たんなるやじ馬、それもちょっとたちの悪いやじ馬根性からに過ぎない。

ホテルの部屋でウィキペディアを読んでいて、マリー・アントワネットについてちょっと気になった記述があった。マリー・アントワネットと同じく断頭台の露と消えた夫のルイ16世は共にサン・ドニバジリカ聖堂ではなくマドレーヌ墓地に埋葬された。マドレーヌ墓地には大きな穴が掘ってあって、遺体はその穴に投げ込まれたそうだが、さすがにルイ16世とマリー・アントワネットの遺骸は個別に埋葬されたようだ。
ウィキペディアによると埋葬された遺骸は酸化カルシウムで覆われたとある。酸化カルシウムは腐食性がある。普通に考えると、殺菌、湿気防止をして遺体の腐敗を少しでも遅らせる措置をすると思うが、酸化カルシウムで覆ったのは遺体の腐敗を加速させようとしたのだろうか。遺体についてのヨーロッパ人の考え方がわからないので何とも言いようがない。

王政復古後、ルイ18世の命令でルイ16世とマリー・アントワネット遺骸を捜したところ、わずかな遺骸、おそらく王のものと思われる骨、女性のガーターベルトを含んだ灰色の物質が発見され、サン・ドニバジリカ聖堂に運ばれ地下室に埋葬されたとのことである。マリー・アントワネットの遺骸が埋葬されてから20年ちょっと、ガーターベルトを含んだ灰色の物質しか見つからなかったのは酸化カルシウムが影響したのだろうか。

もう1つ気になることは、革命の時、サン・ドニバジリカ聖堂の多くの王たちの墓は労働者たちによって暴かれ近くの大きな2つの穴に投げ込まれた。19世紀になって遺体が入った穴が開けられたが、どれが誰の骨かを識別することは不可能だったので、それらの遺体は大聖堂の地下の納骨堂に納められているとのことである。いずれにしても王たちが永遠の眠りについたはずの棺の中はほとんど空っぽと言うことになる ……

サンドニ大聖堂はどっちの方向を向いて建てられているのか、グーグルアースで調べたところ、サンドニの教会堂はキリスト教の教会堂の慣習に従って東向きに建てられており、西側にファサード、東端に後陣が配置されているようだ。グーグルアース、聖堂を南西から見たところ


グーグルアース、聖堂を東側から見たところ、後陣がフライング・バットレスに囲まれている。ステインドグラスの壁をこのフライング・バットレスが支えている


グーグルアース、俯瞰的に見ると聖堂は西方十字の形をしている。

ファサードの北側半分は現在、修理工事が行われており足場や幕に覆われている。左右あった鐘楼の左側は雷にあって破壊されてしまったらしい。再建するつもりはないようだ。


近づいて入口上部の彫刻を見ると、雲の上から何か小さな白いものが差し出され、地上の人が受け取っているようである。牢獄に繋がれたサン・ドニがキリストから最後のパンを施されているところらしい。

入り口は右手に回った翼廊近くにあってリーフレットが置いてある。日本語のものあってちょっと驚くが、ツアーでは殆ど行かないマイナーな所でも需要がそれなりにあるのはやっぱり日本人のフランス好きと言うことなのかも。
リーフレットには簡単な大聖堂の歴史と主な王朝墓所のフロアーマップが載っている。
リーフレットの解説によれば、サンドニバジリカ聖堂は5世紀に建立され巡礼地となっていき、8世紀半ばにはピピン3世(カール大帝の父親)がこの聖堂で戴冠しフランク王国の初代国王となる。サンドニバジリカ聖堂は王権と結びつき国王の特権的な墓地となり、いづれの王朝もその正統性を証明する為にこの伝統を受け継いでいるとのこと。
12世紀、サンドニ大修道院長のジュジェがリブヴォールトやバラ窓などで建物内部が色彩ゆたかで光で満たされる建築に変えた、初期ゴシック建築の傑作と言われている。現在の外観になったのは13世紀の工事によるものだが、その後革命や戦争などで衰退していき、19世紀、ノートルダムの修復も行ったヴィオレ・ル・デュクにより修復された。

聖堂に入り、西側ファサード方向を見る。高さ29mの天井は交差ヴォールトが連なり、左右の壁はステインドグラスで覆われ、光が取り入れられているのでカメラ目ほど暗くはない。

アプスの方向を見ると祭壇は簡素な感じであり、静寂な感じを醸し出している。


フロアーマップ、主な墓所には番号がふってあり、解説がついている

ステインドグラス

ステインドグラス


ステインドグラスの拡大図、サン・ドニが自分の首を両手で差し出しており、これを見た男が怖がって逃げ出そうとしている。

南翼廊
ルイ18世が戴冠式に纏っていたマントも飾ってある


ルイ9世(聖ルイ)の要望によって1263年頃、16の横臥像が作られ、現在そのうち14体が残っている。カペー王朝をフランク王国のメロヴィング及びカロリング朝を継承するものとして示そうとしているのだそうだ。中央に並んでいるのがシャルル6世と妻のイザボー・ド・バヴィエール(番号1)


盾を腰に付けているのでベルトラン・デュ・ゲクラン元帥か?


カペー王朝 横臥像の名前タグ


フランソワ1世の墓碑の上部、フランソワ1世とクロード・ド・フランス妃と3人の息子。1547年の王の死去から11年後に造られた。(ウィキペディアから転載、拡大)


フランソワ1世と妃クロード・ド・フランス(番号3)

地下礼拝室、納骨室
ブルボン王朝の礼拝堂、太陽王の豪華さを誇示してる。


ルイ17世の墓碑、ルイ17世はマリーアントワネットの次男。革命後テンプル塔に幽閉、劣悪な環境に放置され10才で死亡した。彼の干からびた心臓の一部がガラスの容器に保存されている。他にも王たち心臓が保存されているようなので、遺骸のうち心臓が特に大切に扱われたようだ。キリストの聖遺物や釈尊の舎利など高貴な人の遺物を崇めることと繋がりがあるのかもしれない。(番号4)



ブルボン家の地下納骨堂、6つ並んだ棺の真ん中の左がマリーアントワネット、右がルイ16世。手前の右手がルイ18世の棺、ルイ18世は1824年にサンドニ大聖堂に埋葬された最後の王になった。(番号7)

北翼廊アンリ2世とカトリーヌメディシスのために1560~1573に造られた記念碑的な墓碑で、イタリアの風習に影響された、素材の色使いが特徴で角部に配された、美徳の寓意像などのジェルマン・ビロンによる彫刻は優れた作品になっているとのこと。(番号11)


アンリ2世の横臥像は顎を突き出しており、穏やかな死に顔ではない。


ヘンリー2世とカトリーヌメディシスのタグ

サン・ルイの礼拝堂

ルイ16世とマリー・アントワネットの祈りの像は2人の人物の遺骸が帰還した際にルイ18世によって注文され、1830年頃に完成した。夫の方に少しうつむき加減に寄り添って夫唱婦随、貞節な王妃の姿が見る者を惹きつける。
(番号18)

マリーアントワネットの拡大図。慈愛に満ち女性の理想像のように表現されいる。ルイ18世は断頭台の露と消えた兄夫妻の無念をおもんぱかって葬送芸術の極を作ったのだろうが、マリーアントワネットについては、わがまま、軽率、浪費、果ては愛人に溺れた、などなど好ましからざる話を聞きかじっている身にとっては違和感もある。

(墓碑で思い出すのはアテネ国立博物館にずらっと展示された墓碑、ペロポネス戦争で死者が増えると、それまでの小さな墓であったのが徐々に大きなモニュメントとして墓碑が作られるようになり壁には死者が好んだレリーフや家族団らんのレリーフが在りし日を懐かしく思い出させるようになっている)
フランス王家の墓碑もギリシャの時代から葬送の芸術を引き継いでいるように思える。

 

駆け足でフランス王家の墓碑、横臥像などを見て回った。棺にはあるべき主の亡き骸はないと知りながらも何となく気が重い。
人間と動物の違いは、人間は自分の死について知っており、心の何処かで死を怖れている。高齢で亡くなった高名なお医者さんも死の恐怖を率直に話されていたので人間は死の恐怖から逃れられない。ならばどうするか、宗教はアヘンだとは思わないが、西洋人はイエスキリストに導かれて天国に行く。そこには花が咲き乱れ、主と共に憂いのない永遠の時を過ごすことができる。地上の教会も天国を映したように飾りまくっているところもある。信者はこうして死の恐怖を和らげられると信じている。
仏教徒はどうするか、修行により雑念を払い欲を捨て、無の境地に達することが出来れば死の恐怖なんぞおそるに足りない。とは言っても欲の塊の身にとってはこれは容易なことではない。