マルモッタン美術館
ロンドンからパリの移動はユーロスター。前回はロンドンの始発はウオータールー駅がであったが、今回はセント・パンクラス駅始発になっている。乗車時間が40~50分ほど短縮されたらしい。それにしてもユーロスターの車体は経年劣化なのか塗装が黒ずんでいる。日本ではメインテナンスがしっかりしているのでローカル線でも経年劣化を感じさせることはあまりない。座席も新幹線とは比ぶべくもない、日本にやって来たヨーロッパの人たちが新幹線を称賛するのはもっともなことの気がする。

で、パリの宿はオペラ座に近いプチホテル。日本飯や中華が近くにあって食事に困ることはなし、地下鉄の足場もよい。また、ロワシーバスのバス停もすぐ近くなので帰国時も便利である。

パリでは1日目がマルモッタン美術館とオルセー美術館、2日目にサンドニ大聖堂、3日目にルーヴル美術館とオランジュリー美術館を予定している。マルモッタンとサンドニが新しく、後はおさらいの感じである。

まずは、マルモッタン美術館、モネの「印象・日の出」を見るのが目的である。地下鉄路線図を見ると、オペラから3号線に乗り、次のアーヴル・コマルタンで9号線に乗り換えて、9番目のラ・ミュエット駅で降りればよいようだ。

10過ぎにホテルを出て、もたもたしながらもラ・ミュエット駅に着く。
地下鉄を出たところで、50才くらいの優しそうな女性にマルモッタン美術館への道を聞くと、交差点まで連れていってくれて、この道路をまっすぐ行くと公園があり、公園を過ぎたところの右手にマルモッタン美術館がある。12、3分ほどで行けると教えて貰った。東洋の老人が頼りなさそうに見えたのか親切、丁寧である、感謝々々。

マルモッタン美術館、ウィキペディアによると美術史家ポール・マルモッタンの邸宅をそのまま美術館にしたもので、マルモッタン夫妻のコレクションをもとに、その後寄贈されたの印象派の数々の作品が加えて、モネの息子のミシェルが相続したモネの作品群を寄贈したことでモネを多数所蔵する美術館として人気になったと言うことのようだ。

10分ほど歩いて公園の突き当りを右に折れ、少し進むと右手に中層階住宅の並ぶ住宅街の中に2階建ての住宅が見えてきた、これがマルモッタン美術館のようだ。

チケットを買って中に入ると、なるほど外観もそうだが内部も邸宅を美術館にしたという感じである。1階には調度品などが展示されている、家具はナポレオンの家族のものであったそうだ。
2階に上がると印象派の画家達の絵がずらっと並んでいる。薄緑色の台紙に絵を貼り、壁に貼り付けると言う素朴な展示の仕方である。資金不足なのかちょっと心配。

まずは、エドゥアルド・マネのベルト・モリゾから、エドゥアルド・マネ、横たわるベルト・モリゾの肖像、1873年。マネのベルト・モリゾの肖像と言えば、オルセーで「すみれの花束をつけたベルト・モリゾの肖像」を見た時、聡明そうで気品があり、しかも溌剌とした肖像に見入ったことを思い出す。ベルト・モリゾはマネの弟子であり、モデルでもあった。恋愛関係もうわさされたが、マネの弟のウジェーヌ・マネと結婚しているので、あったとしてもマネの内心の問題だろう。本作品はオルセーの1年後の作品であるが、実年令に近い落ち着きを感じる。

ベルト・モリゾ、湖畔、1883年。
あらためてベルト・モリゾ、印象派初期の女性画家である。マネ兄弟との関係は上の通りであるが、彼女は日常の風景を穏やかで優しい雰囲気が漂う感じに描いている。この「湖畔」は森の湖畔を背景に遊ぶ少女をほのぼのと穏やかに描いている。

ベルト・モリゾ、立葵、1806年。
一番高く伸びている立葵を中心に3角形に立葵が配置されている。左手は白っぽく、右は赤みがかっていて庭の花が瑞々しく描いている。

ベルト・モリゾ、さくらんぼうの木、1893年。
庭でさくらんぼうを摘み取る少女たちの姿を描いている。さくらの枝を引き寄せている少女の健康そうな顔と白っぽいワンピースが風薫る春の柔らかで暖かい雰囲気を醸し出している。

ベルト・モリゾ、ワイト島のウジェーヌ・マネ、1875年。
イギリスのワイト島に夫婦で旅した時に描いた作品。港に面したホテルで夫のウジェーヌ・マネが窓から外を眺めている風景、わずかに揺れているカーテン、窓際に置かれた鉢や庭の草花、道路を行く母娘、やすらぎに満ちた情景が描かれている。

クロードモネ、雪の効果、日没、1875年。
家々の屋根や地面にうっすらと雪が残り、どんよりとした空がうっすらとオレンジ色にそまり雪景色を照らしており、遠くには工場の煙突から立ち上る煙が見える。雪に反射する繊細な光を捉え微妙な色彩で柔らかさと温かみを表現している。画題の日没は夕暮れと言うべきか。


クロードモネ、睡蓮 2作

「印象・日の出」
アカデミーのサロンに受け入れて貰えない若手の画家達が自分たちで開いた展覧会にモネも出展したが、そのうちの1点が「印象・日の出」である。この絵が印象派の名前の由来となったのだが、それは批評家のルイ・ルノアが「印象・日の出」について、「印象だって!。確かに私もそう思う。私も印象を受けたのだから、その中には何らかの印象がなければならないと私はただ自分にに言い聞かせていた。それにしてもこの絵の自由でいい加減さ、描きかけの壁紙でもこの絵より出来栄えはよい」
この印象主義と言うタイトルを付けられた酷評をきっかけに印象派と言う呼び名が知られるようになり、印象派の画家達も使用するようになったと言うことのようだ。

印象・日の出は地下にあると言うことで地下に降りると、廊下の様な細長い展示室の端っこに「印象・日の出」があった。
クロードモネ、印象・日の出、1872年。背景の大型帆船や工場のクレーンなどはまだ薄もやの中にあり、前方の黒っぽいボートと太陽の反射のオレンジははっきりとした輪郭で描かれている。
港の朝の移ろいゆく風景の留めてことが難しい印象が捉えられている。

ど素人にはルイ・ルノアも分からいではないのだが・・・

オルセー美術館
2時前にマルモッタンを出てオルセー美術館に向かう。路線図を見るとフランクリンルーズベルト駅で1号線に乗り換え、コンコルドで12号線に乗りソルフェリーノ駅まで行くとオルセー駅と折り返し運転となっているようだ。ちょっとややこしいがパリの地下鉄にも少し慣れてきたので何とかなりそうだ。
そんなこんなで1時間ちょっとでオルセー美術館に着く。

オルセーは2年ほど前に大改装を終えたが、改装中からカメラ禁止にしている。カメラが展示作品に及ぼす影響は殆ど無視出来るほどに過ぎないがオルセーは何故か禁止にした。歩いて15分ほどのルーヴルがカメラOK(絵画はノーフラッシュ)なのでカメラ禁止の科学的根拠はないはず。人の流が停滞するとか売店の売上に影響を与えるとかの見解は屁理屈に過ぎない。

でもって、5階の印象派をざっと見て、地上階で前回から画家の名前も分からず気になっていたが絵をじっくりと見る。画家の名前はローザ ボヌール、画題は「耕作 ニヴェルネ地方にて」

長い冬が明けて、晴天のもと耕地に犂を入れ6頭の屈強な牛が畑を掘り起こしていく、農作業を始まりである。牛たちの力強さが確かな観察眼によって表現されている。名前の通り女性画家である。詳しいことはわからないが芸術にジェンダーは関係ないことがよく分かる。