エレファント・サファリ

モーニングコールが5時30分、6時にホテルを出発する。

肉食獣は早朝に狩をするので日の出前にホテルを出発するのは歓迎である。旅行社のパンフレットによれば幸運に恵まれればベンガルタイガーに遭遇することもあるらしいが、どうだろう。

10分ほどで象の乗り場に着く。2.5mほどの台に上ってインド象の背に乗り込むのだが、象の背には木製の輿がついていて前向きに2人、後ろ向きに2人、それぞれ角の支柱を股に挟むようにして座り、振り落とされないしなくてはいけない。輿には厚みある座布団が敷かれているので尻が痛くなることはなさそうだ。ホテルのレンジャー(?)が足場に乗ってエレファント・サファリはスタートする。象が歩みだすと結構揺れ、シャッターを押すタイミングが難しくピンボケ写真を何枚か撮った。

ジャングルに入り、象使いが細い棒で木の枝を上手に避けてくれながら進んで行く。かなり奥に入ったと思っても肉食獣がいる気配はない。その内にジャングルを抜け草原にやって来た。と、草むらの中にサイらしきものが見え隠れしている、少し近くに寄って見るとハッキリと見えて来た。

3tくらいはありそうだが、アフリカのサイに比べて角がちょっと小さい、それにこのサイの角はちょっと傷んでいるように見える。

レンジャー達が連絡をとりあっているのか、このサイを目がけて何頭もの象がやってサイを取り囲む。それぞれシャッターをパチパチ、お目当てのサイが見られて満足、満足。

近くの草むらでは鹿の家族が朝食中、少し離れたところにはイノシシらしきものもちらっと見える。で、ちょっと期待はずれのエレファント・サファリはお仕舞い。

チトワン国立公園にはトラ、サイ、ヒョウ、シカ、サルなど40種類以上の哺乳類がいると言われているが、われらが見たのは国立公園に隣接する近隣のコミュニティが所有する森だったらしいので、もともと、ベンガルタイガーを期待するのは無理だったのかもしれない。

ホテルに戻って、あらためて施設をみると広い敷地のコテッジ風の建物が並ぶリゾートホテルである。

部屋のドアーを開けると渡り廊下のような感じで、ベッドルームと洗面所やシャワールームなどがセパレートされていて高級感がある。

朝食の後、カヌーに乗ってのラプティ川の川下りやワニの飼育施設を見物する。 ワニはカバン、財布、靴、ベルトなどのために乱獲され絶滅が危惧されたのでこの施設が造られたそうだ。ワニのタマゴを飼育員が捕獲し、ここで6才くらいまで育ててから、また、川に戻すとのこと。

タルー族の村

この後、再びカヌーで少し下って、牛車の待つ川岸で降りる。

見ると、瘦せこけた2頭の牛に車を曳かせるようだが、ちょっと変った牛で瘤があるある。その瘤に軛を引っ掛けて2頭立で車を曳かせるわけだ。15分ほどデコボコ道に揺られているとタルー族の村に着く。

5~6軒の小さな家が並んでおり、ガイドさんの話では壁は泥と牛の糞で固めたもので、屋根はエレファント・グラスだそうだ。 エレファント・グラスはイネ科の多年草で4~5mにもなるらしい。家の前でエレファント・グラスが干されているが、雨季の豪雨などのため毎年葺き替えをしなくてはいけないとのこと。

家の中に入ってみると蚊帳を張った部屋が1間、炊事は土間でするようだ。稲作、畑作をしながら川で魚をとり、森でうさぎやしかなどとり、また牛や羊の放牧をしたりして生計を立てているようだ。

ガイドさんがマラリヤの撲滅の後、1960年ころ住みついたと話していたのが気になったので、旅行から帰ってネットでちょっと調べてみた。

(タルー族はおもにタライ平野に住み、ネパールの人口の6.6%を占め、いくつかの種族に分かれるようだ。タルー族の人は転作をしたり森のくだもの、鹿やウサギなどの狩、川で漁をしたりして何百年も森で暮らしていたが、1950年代にWHOによってタライ地区のマラリアが根絶されると肥沃な土地を求めて外部から人々が流入して来て土地を要求、タルーの人々の土地は没収、コミュニティは破壊され、追い出された。そうしてタルーの人々は「カマイヤ制度」により奴隷のように働かされることになった)

1950年と云えば、シャハ王朝の時代なのでタルーは下から2番目のカーストに位置付けられていたのでこうした理不尽がまかり通ったようだ。

チトワン地区の豊かな田んぼの黄金の実りとタルー族の村の貧しい暮らしは人間が決めたことなのだ。