バクタプル旧市街散策

20分ほどでバクタプルの駐車場に着き、バクタプル市街に向かう。道端には木の幹に祠が造られたりして、これも旅行社のWEBにあった「バドガオン」(信仰の街)の表れなのかとつぶやきながら皆さんの後をついて行く。少し歩いたところで池の縁に下りる、ガイドさん話ではグヒャ池(?)と云って600年ほど前に造られたため池だそうだ、堤防はコンクリートで整備されているので何回か修復されたりしたのかも知れない。近くにはもっと大きなため池があり毎年、お祭りはにぎわうそうだ。

さて、バクタプル、旅行社のパンフレットによれば、バクタプルは889年にアナンダ・デヴ王によって築かれ、その後12世紀~18世紀の間、首都のひとつとして栄えた。カトマンズ、パタンと同じ様にカトマンズ盆地を代表する古都だが、ネワール族の町の中ではこのバクタプルが一番中世の町並みをそのまま残しているのだそうだ。住民の8割以上がネワール族で、ほとんどが農業に従事している静かでのんびりとした街らしい。

シティ・ゲート(ツアーでは込み込みなのであまり気にならないが、外国人は市街に入るだけで$15を支払わなくてはいけない。ネパールの一人当たりのGDPは$2/Dayくらいなので2週間分に相当する、結構な額である。)をくぐってダルバール広場ではなく、右手に折れて市街に向う。

皆さんの後について歩いていると赤レンガ造りの家並は地震の影響はそれほど無かったのかなと思われたが、次の通りでそうではないと分かった。つっかえ棒で支えている家がある、外から見えるところだけ慌てて片付たと思われる家もあったりして、やっと暮らしていけるようになったという感じである。

ガイドさんの話では、バクタプルの90%以上が被害を受け、死者も300人以上でたそうだ。

突き当たって少し大きな通りに出た、ガイドさんが配って呉れた日本語のバクタプルのリーフレットに付いている地図によればバサンゴパル(Basangopal)らしい。メインストリートだけあって表通りは修復されている感じだが、トーランがドアーや窓の上に飾られた新築のような建物(会議所?聞き漏らした)もあったりして、「中世の世界にタイムスリップ」した感じとはちょっと違う気がするのだが?

散歩の最後に曼荼羅屋に寄る。おかみさんの説明はよく分からなかったが、多分、仏の悟りの境地や世界観などを仏像や神々、シンボルなどで表したものだと思う。

販売カウンターの横の作業場では高校生くらいの女の子が3人ほど40cm四方くらいの曼荼羅を描いている。店は$40で売れれば(命がけの飛躍?)、多分、ぼろ儲けの筈。(昼食の後でガイドさんに連れてきて貰ってその$40で買った)

トウマディ広場、ニャタポラ寺院

トウマディ広場の敷地の中にあるカフェニャタポラで昼食の後、ニャタポラ寺院を見物する。5層の基壇の上に5重の屋根を持つ、高さ30mの寺院である。勿論、カトマンズ盆地の建物の中では1番高い。

18世紀の初めにブパティンドラ・マーラ王によって建てられ、シッディ・ラクシュミー女神に捧げられたと言われている。

正面の石段の両側には1番下にバクタプルの勇士ジャヤとパタ、2段目に象、3段目はライオン、その上がグリフィン(?)、1番上は左にタイガー、右にライオンの頭の女神像が置かれている。で、それぞれ順番に下の動物の10倍の力を持っているそうだ。

7ヶ月で建てられたと言われているが、1934年の大地震にも耐え、さらに今回もなんとか生きながらえたのは建築技術が高いと言えるのかも。

バイラヴナート寺院

ニャタポラ寺院の右手はバイラヴナート寺院、シヴァ神の化身である恐怖の神、カシ・バイラヴに捧げられたものである。言い伝えでは、カシ・バイラヴをバクタプルに留めて置くために手練れ者がカシ・バイラヴの頭を切り落としたのだそうだ。そのバイラヴの頭は寺院の聖所に安置されているそうな。で、現在の寺院は1934年の地震の後、建て替えられたもの。