ダルバール広場、パシュティナート寺院

トウマディ広場からダルバール広場に移って最初にお目にかかったのがパシュティナート寺院。
ガイドさんがにやっと笑って上の方を見ているので、カメラを望遠にして覗いてみるとトゥンダールに艶めかしい彫刻がしてある。カトマンズでも見たが、当時の大工達は遊び心が豊であったようだ。

広場の南側を巡礼宿(?)に沿って進んでいると、前方左に修復中のシカラ様式の寺院と右に2重屋根の寺院が近づいてきた。

左のシカラ様式の寺院はシヴァ神を祀るケダルナート寺院である。カトマンズでもそうであったが、このバクタプルでもシカラ様式の寺院の倒壊が目立つ、砲弾の様な形をしている建築物は狭い底面に比して高さがあるので地震には弱いのかも知れない。

右の大きな2重屋根の寺院はゴピナート寺院、クリシュナ神を祀っているそうな。
広々とした広場をUターンすると、白壁の建物と茶褐色の建物が並んで見える。ガイドさんによると手前が国立美術館で奥が55窓の宮殿だそうだ。

ナラシンハ像

美術館の入口にはハヌマーン像とナラシンハ像が建っている。ナラシンハ像は不死身の体を持つと云われるヒラニヤカシプの足を両手で抱え、股ぐらに頭をはさんで、もさぼり食おうとしているようである。カトマンズのナサルチョークで見たナラシンハより獰猛な感じである。

ゴールデンゲート

55窓宮殿の入口がゴールデンゲート、18世紀の半ばにランジット・マッラ王が造った。
金色に塗られたた門には精緻な彫刻が施されているが、殊に門の上のトーランが素晴らしい。2つの女神(タレジュ女神だそうだ)の顔の表情は観音菩薩のように穏やかで気品がある。

その女神から10本の腕が出ていてそれぞれ武器のような物を持っている。タレジュ女神はマッラ王家の守護神なので王宮の門を飾っているのはよく分かるが、タレジュ女神が10本の腕を持ち、さらに武器を持っているようなのがよく分からない。

(旅行から帰ってネットで調べてみたら、シヴァ神の神妃、ドゥルガが10本の腕をもち、それぞれの腕に神授の武器を持っていることが分かった、そのドゥルガ女神がネパールではタレジュ女神と呼ばれていることが分かった。ネパールでは人の数より神さんの方が多いと言われるが、インドとこんがらがってくると何が何だか分からない)

ナーグ・ポカリ

ゴールデンゲートをくぐって中に入って少し進むとタレジュ・チョークに通じる細い道があるが、こちらはヒンドゥ教徒以外は立ち入り禁止、撮影も禁止の張り紙がある。

で、ガイドさんの後をついていくとナーグ・ポカリと云う王の沐浴場に着いた。沐浴場の周りには首をもたげたコブラの彫刻があちこちにある。ちょっと気持ちが悪いが、ヘビは生命と豊穣のシンボルだしビシュヌ神の寝床でもあるのでマッラ王家にとっても大切なものかも知れない。

55窓の宮殿

ゴールデンゲートを出て、改めて55窓の宮殿を眺めてみる。宮殿の窓にはトーランなど緻密な彫刻施された木製の窓が造作され、レンガ造りの建物の固いイメージをうまく和らげているようである。ところで、55の窓があると云うことはそれぞれに住人がいた、王の夫人が55人いたと考えるのは極東のエロ爺さんの邪推だろうか? 1、2階の窓は広々としており、3階にはさほど広くない窓がずらっと並んでいる。それぞれ格式の違いがあった?

ブパティンドラ・マッラ王の石柱

55窓の宮殿に向かってブパティンドラ・マッラ王の石柱が立っている。王は両手を合わせ、こうべを僅かに垂れて敬虔な祈りをささげているようである。ブパティンドラ王は55窓の宮殿やニャタポラ寺院など造った17世紀末のマッラ王朝11代目の王である。 王が祈りをささげているのは広場に向かってではなく宮殿に向ってなのは何か意味がある?

石柱の隣には土台だけの寺院の跡がある、ここにもシカラ様式の寺院が建っていた?

土台だけと云えば55窓の宮殿の東南の角のシッディ・ラクシュミ寺院は板で囲まれ再建中、階段に並んだ動物像たちがけなげである。その裏手には5層の大きな基壇がある、その上に建っていたシヴァ神を祀ったシカラ様式のファシデガ寺院は跡かたもない。階段の象、ライオン、牛の像がなんだか裏寂しい。

そんなこんなで、バクタプルの見物はおしまい、カトマンズ市内に戻ってダルバートやネパール風の焼きそば、餃子などで腹ごしらえをして空港に向かう。

これでネパール見物はお仕舞い、夜明けとともに浮き上がるヒマラヤの山々に魅了され、寺院の緻密な彫刻に感動、サファリとも言えないサファリに失望、復旧が見えないガタガタ道、カオス状態のカトマンズの交通などなど旅行社のネーミングの通りネパール満喫の旅であった。

空港の待合室で搭乗待ちをしていると、カタール行きの便に若者たちが乗り込んでいる。出稼ぎの収入がネパールの外貨獲得の大きな手段になっていると言われているが、2000年から2013年の間に7500人のネパール人が出稼ぎ中にサウジアラビアなどで死亡しているそうだ。日中50℃にもなる厳しい気候、仕事のストレス、厳しい処遇など柔なネパール人には耐えられないのかも知れない。