4名以上で催行、15名以上で添乗員が付くという催行条件であったが、9月になっても申込み者は2名のままであった。11月の催行決定が出そうな出発日に変更条件付きで申し込んでいたところ、締切近くになって7名となり、なんとか催行決定した。

ネパールはビザがいるようなので、大阪の総領事館をネットで検索すると、今西組という建設会社の中にある。なんでと思って今西組を調べてみると先代の社長が今西寿雄である。昭和28年、マナスルに初登頂したのが今西寿雄で、当時、日本中が喜び、その後のヒマラヤ登山ブームのさきがけとなった人である。

ヒマラヤの恩返しとして、大阪万博のネパール館を建設したり、ネパールとの国際親善に尽くしたりしたのでネパール政府より大阪の名誉総領事に任命された。現在は息子さんが名誉総領事を継いでいるということのようだ。

日本からネパールへは直行便はないので、今回は大韓航空でインチョン乗り継ぎでネパールに行くことになっている。

当日、旅行社の係員からインチョンでの乗り継ぎの説明を受けたりしてチェックインの後、手荷物検査場に向かうと長蛇の列になっている。はしもと府知事時代、沖縄の基地負担軽減のために関空に訓練の一部を持ってくると言う発言があったり、その後も4~5年前までは閑古鳥が鳴いていたが、隔世の感がある。

9時半前に関空を出発、インチョンで2時間半ほど乗り継ぎ待ちをして14時半過ぎに離陸、ネパールの首都カトマンズに向かう。

ネパールと言えば、今から16年ほど前、国王や王族が射殺されたと聞いて驚いた記憶があるが、ネパールがどんな国なのか正直なところあまり知らない。

で、食事の後、出発前に慌ててプリントアウトしたウィキペディアを眺めてみる。

国名 ネパール連邦民主共和国(昨年9月に憲法が公布された
面積 14.7万平方キロm(北海道の約1.8倍)、南にインド、北は中国のチベットに接する東西に細長い内陸国。国土はヒマラヤの山岳地帯、中央部丘陵地帯と南部のタライ平野から成る
人口 2700万人
民族 多民族、多言語国家、民族とカーストが複雑に関係しあっている
宗教 ヒンドゥー教(81%)、仏教(9%)、イスラム教(4%)
経済 人口の67%、GDPの32%を農業が占める。1人当たりGDP$752、後発発展途上国。大地震後はインフラ整備は援助がないとやって行けない。貿易は輸出入ともインドが最大相手
通貨 ネパールルピー、1ルピー=0.91円
歴史  先史、伝説時代を省くと;古代・・・ 4世紀、インド・アーリヤ系のリッチャビ王朝が起こり、カトマンズ盆地を支配、7~8世紀にかけて繁栄した。

中世・・・ 13世紀、マッラ王朝が統治、ネワール文化が栄える。15世紀、王朝はカトマンズ、パタン、バクタプルの3王国に分裂する。

近代・・・ 18世紀、ナラヤン・シャハ王率いるゴルガ勢が分裂して弱体化したマッラ王朝を滅ぼす。19世紀、イギリスの東インド会社と戦い、敗北。ナラ家が実権を握りシャハ王家は傀儡となる

現代・・・ 王権、ネパール会議派、共産党、マオイスト(毛沢東派)などが入り乱れてカオスの状態が続く。この間、2001年には王族射殺事件が起きる。

2008年、王政を廃止し連邦民主共和国に移行する。

2015年9月、新憲法が公布された。

さて、フライトは順調に18時 過ぎに着陸したが、荷物が出てくるのに時間がかかりホテルに行く前に食事をすることなる。

今夜の食事はネパール料理のダルバートを食べながら、ネワール民族舞踊を観るというものである。

スリランカでは民族舞踊について日本語の解説文があって親しみが持てのたが、説明がないと物調法者には、折角のネワール舞踊が豚に真珠である。

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