この後、テンプロ・マヨールをちらっと眺めて、カテドラルへ。

メトロポリタン・カテドラル

この教会はコルテスがカトリック布教の大本山にすべく1573年に建設着工し、最終的に完成するまでに250年の歳月を要したと言われている。
正面の幅が55m 、奥行きが110mある大伽藍だが、1894年の地震で破壊され、その後も修理も繰り返しているようだ。 現在も地面はでこぼこ、柱には金網がかかっていて修理中。

重厚なバロック様式だが、内部の見物は入口をすこし進んだところまで、奥に行く許可が出ないらしい。
カテドラルの右隣はサグラリオと言う教会で、

地盤を考えて軽い火山岩を使用したので赤みがかった色をしていますが、よく見て下さい、この教会は18世紀の後半に建てたものですが地盤が弱いのでやはり扇形に開いています。

とガイドさん。

さて、消化不良気味のソカロ広場見物を後にしてマリアッチがたむろしているガルバルディー広場やアステカ時代の神殿の土台、植民地時代のサンティゴ教会、これらを取り囲むように現在の高層ビルが聳える3文化広場を車窓に見ながらグアダルーペ寺院に着く。

グアダルーペ寺院

ガイドさんによればフランスのルルド、ポルトガルのファティマとメキシコのグアダルーペをローマ法王庁が認めた世界3大奇跡と言うそうだ。

グアダルーペの奇跡とは、1531年のこと、一人のインディオが太陽女神トナンティンのふもとを歩いていると、後光がさした女の人が手招きし、‘私は神の子の聖母です。神父さんに私が現れたこと、ここに私の礼拝堂を建てるようにと言っていると伝えてほしい’と言った。神父さんに証拠を見せなさいと言われて落胆して帰っていると、聖母が現れて‘お前は次の日曜日にここを通るでしょう、そのとき証拠を見せます’と言われる。

お爺さんが危篤になり日曜日には行けなかったが、月曜日にトナンティンのふもとを歩いていると、また聖母が現れて布に包んだばらの花を渡される。神父さんのところに持って行き広げると後光のさす褐色の女神の絵が現れた。神父さんは新大陸にもマリアが現れたと喜んで礼拝堂を建立した。

ばらの咲く季節でもなかったし、危篤のお爺さんも突然よくなった、そして何によりもばらの花束の中から女神の絵が現れた。グアダルーペ聖母の奇跡というお話である。
ばらを包んだ布は500年近く経った現在も張りが失われていないらしい。また、絵に使われた染料は地球上に存在しない物質なのだそうだ。

18世紀の初めに建てられた教会は地盤沈下が激しく、隣に2万人を収容すると言われる円形教会が1976年に建てられメキシコ・カトリック信仰の中心となっている。

褐色の聖母は祭壇の中央に祭られているが、祭壇の真下に地下道があり動く歩道に乗ると黒い髪と褐色の肌の聖母像をすぐ近くで見ることが出来るようになっている。地球上に存在し無い物質で描かれているので劣化の虞がなくフラッシュ撮影も自由なんだそうだ。

太陽女神トナンティンを崇める先住民がグアダルーペをトナンティンとだぶらせて信仰しているのをスペイン人はカトリック布教に意図的に利用したように思われる。