テオティワカン

バスが1時間ほど走り、土産物屋と昼食の後、テオティワカン遺跡へ。

ガイドさんの説明

永住の地を求めてさまよっていたアステカ族が14世紀の初頭、この地に辿り着いた時にはすでに廃墟になっていましたが、巨大なピラミッド群をみて驚嘆、神が造ったに違いないと思い、‘神々の都市’ 、テオティワカンと呼びました。

どんな民族だったのか分かっていませんが紀元前2世紀には農耕集落があり、とうもろこしを育てていました。

黒いダイヤモンドと言われる黒耀石がテオティワカンで発見され道具に加工されるようになると、この掘っても掘っても尽きない黒耀石が交易されテオティワカンは商業都市になりました。黒耀石や土器などの交易の範囲はユカタン半島からガテマラにも及び、7世紀初め頃には人口20万人を擁する中央アメリカの中心都市になりました。

テオティワカンは南北に4kmの‘死者の道’が延び、‘ケツアルコアトルの神殿’、‘太陽のピラミッド’や大小の神殿などが並び、北端には‘月のピラピッド’を配する計画都市で、周辺には住民の住居などがあり面積は約22.5平方キロあります。

テオティワカンには王様や豪族はいなくて神官が宗教や政治を司っていましたが除々に軍事体制に変わっていきました。8世紀の半ばには支配層、上層部はテオティワカンを放棄して去っていったとされていますが、理由は分かっていません。

ジャガーの宮殿

月のピラミッドの近くの駐車場でバスを降り、見物はまずジャガーの宮殿。
半地下状になっているジャガーの宮殿の壁には‘羽毛のあるジャガー’、‘雨の神トラロック’、‘ケツアルの絵’、‘鳥(オオム?)’などのレリーフは保存状態がよく当時の姿が見られて興味深い。

ケツアルパパトルの宮殿(ケツアル蝶)

ジャガーの宮殿に隣接するケツアルパパトルの宮殿はほぼ完全に復元されていて、小さな部屋があるので神官の住居であったと考えられていている。中庭の柱にはケツアル蝶が刻まれていることからケツアルパパトルの宮殿と呼ばれているとのこと。

月のピラミッド

ケツアルパパトルの宮殿を出ると左に月のピラミッド、右手には果てしなく続く死者の道が伸びている。

ガイドさんによれば、

ピラミッドの上に神殿がのっていました。エジプトのピラミッドと違ってテオティワカンのピラミッドは神殿の台座だったのです。なので、ピラミッドには神殿に登る階段がついています。

紀元前後から300年ほどかけて造られたと言われています、月のピラミッドは底辺の一片が約150m、高さが45mほどです。月のピラミッドは太陽のピラミッドより少し小さいですが、広場の大きさなどから宗教儀式では月のピラミッドの方が重要な役割を担ったのではないかと言われています。ジャガーの宮殿やケツアルパパトルの宮殿は月のピラミッドの付属施設と考えられています。

で、この後は1時間あまりのフリータイム。

太陽のピラミッド

月のピラミッドは傾斜がきついうえに階段の段差が高いと聞いていたので月のピラミッドは諦めて、太陽のピラミッドに登り、時間があれば死者の道の南端にある城塞とケツアルコアトルの神殿を見たいと思っていたが、「城塞まで1.6キロ近くあるので無理です、ケツアルコアトルの神殿のレリーフは人類学博物館に復元されているので、ケツアルコアトルや雨の神トラロックは博物館で見られますよ・・・」とケツアルコアトルの神殿に行くのはガイドさんに一言のもとに却下される。

死者の道はアステカが名づけたもので、幅40mの道の両側の神殿などが埋もれて小山となっているのを見て王の墳墓だと勘違いしたらしい。修復されているのは2kmほど、600mほど歩いて太陽のピラミッドに着く。

太陽のピラミッドは一辺が225m、高さ65mでエジプトのクフ王とカフラー王につぐ世界で3番目に大きいピラミッドである。もともとは小さい神殿であったがその上にこの巨大なピラミッドを造ったのだそうだ。

ピラミッドの正面に近づくとその壮大さに圧倒されるが、高さがクフ王のピラミッド半分もないのでクフ王のピラミッドを見た時のような圧迫感はない。エジプトのピラミッドは1.5~3tの石を積み上げたものだがテオティワカンのピラミッドは日干し煉瓦の表面に切り石を貼り付け粘土と漆喰でかためて造っているようだ。

半分くらい登ったとろで息が切れて手摺に掴って一休みする、ゴルフがゴロフになってから歩く機会も少なくなっているツケがきたのかとにかくきつい、その後は20段ほど毎にまた休んだりしながら248段を登って頂上にたどりつく。

頂上から月のピラミッド、死者の道や少し遠くに城塞を眺めて爽快な気分にしばし浸る。
頂上は思っていたより狭く、神殿で儀式に参加できるのは限られた神官達だけだったと思われる。頂上からの声はよく通りそうなので一般に人々は広場で儀式に参加し、雨の神トラロックを拝んでいたのだろうか。