成田で退屈な6時間あまりをJALのラウンジで過ごして、搭乗時間となる。
40分ほど遅れて出発、成田での出発の遅れはバンクーバーでの機内整備時間で取り戻し、15時間近いフライトで、メキシコシティにはほぼ定刻に到着。

メキシコシティの宿はメインストリートのレフォルマ通り面している。日程表が届いたときインターネットで各都市のホテルを調べたがお手ごろ価格のツアーにしてはどのホテルも足場がよいようだ。

ツアーの参加者は28人、1人参加が男4人、女3人と多いのが特徴、すぐご近所の人もいて心強い。この時期のツアーなので若い人はいなくて熟年の善男善女の賑やかな旅になりそうだ。

ホテルを8時半に出発。メキシコシティのガイドさんは中年の日本人女性、エネルギッシュでなめらかな口のようだ。
レフォルマ通りからフアレス通りに入る。ファレス通りは貧しい先住民から大統領にまでなり、教会支配を緩める改革などメキシコ近代化を進めたファレスに因んだ通りで、少し走るとアラメダ公園が見えてくる。広大な公園でメキシコシティでは最初に造られた公園なのだそうだ。

メキシコシティ観光

国立芸術院

公園の横にあるのが国立芸術院。3千5百人を収容するメキシコで最も格式の高い劇場で、コンサートやオペラの公演のほか著名人の葬儀や追悼式もここで行われる。

ガイドさんによれば、イタリアから輸入した大理石造りのこの建物は1904年から30年かけて建てられたとのこと、緞帳はガラス製らしい。
正面の階段は、現在は1段になっているが、もともとは7段であったもので、地盤沈下で6段分が埋もれたそうだ。

メキシコシティはかって湖であったところなので、地盤が弱く1985年の大地震では8千人以上の人が犠牲になり、日本でも大きく報道されていた。

ソカロ広場

旧市街に入り、17世紀初めに支倉常長などが訪れ、一行が滞在した青いタイルの家や180人のうち78人が洗礼を受けたとされるサンフランシスコ教会などを車窓に見ながらソカロ広場に着く。
正式には憲法広場なのだが一般にソカロ(中央広場)と呼ばれ、メキシコの重要な式典などがこの広場で行われるのだそうだ。

もともとここはアステカの都、テノチティトラン(湖上の島)の政治、宗教の中心があったところで、ガイドさんによればアステカは北方の狩猟民族で、彼らの神ウィツィロポチトリの‘湖の中に小さな島があり、サボテンが生えていて、その上に鷲がとまり蛇をくわえている、そんな光景を見たらそこを都にせよ’と言う導きに従い、トウモロコシを求めて、文化を求めて南下、200年のさすらいの後この中央高原の地に14世紀の初めにたどり着いたのだそうだ。

16世紀の初め、スペインの征服者がこの地に足を踏み入れた時には、このテノチティトランは巨大な楼閣、壮大な神殿や宮殿が聳え、25万人が暮らす大都市になっていた。

ソカロ広場の北側にはカテドラル、東は国立宮殿、南側に市庁舎、西には国立の質屋など殖民地時代の建物がこの広場を囲んでいる。ここはアステカ時代にも神殿や宮殿などが取り囲む重要な場所であったが、スペインの征服者は徹底的に破壊し、その上にこれらの建造物を建てたと言われている。

国立宮殿

国立宮殿は南半分が大統領執務室で北側には大蔵省が入っている。征服者、エルナン・コルテスがアステカの居城を壊して、植民地の本拠にすべく宮殿を建てたもの。

中に入ると、「宮殿はパティオを建物が囲むスペイン風の造りとなっています、建物を見上げて下さい、この宮殿も傾いています、傾いていてもこうして使われていす」とガイドさん。

宮殿の見ものは壁画で、ディエゴ・リベラによって先住民の生活や文化、メキシコ独立戦争や革命運動などメキシコの歴史が描かれている。
当時のメキシコは識字率が2割程度と低く、歴史を物語として描くことで市民に自らの歴史を知らせたと言われている。

正面階段を上ったところで、短い時間ですがディエゴ・リベラの雰囲気を味わって下さいと言って、ガイドさんの説明が始まる。

階段ホールの3つのアーチの正面を見てください、たくさんの人物が描かれていますが、真ん中に頭のはげた人と冠をかむった人が描かれています。インディオは褐色ですが、2人とも白い顔でスペインの血が混じっていることを表しています。頭のはげた人がイダルゴで、もとは理想郷を夢見た神父さんですが反乱軍を率い教会の鐘を鳴らし続けたメキシコ独立の立役者です。冠をかぶった人はスペイン側で戦っていたイトゥルビデ将軍です、ところが自分が冠をかぶりたいのでスペインを裏切りました。

奴隷に焼印をいれているところなど植民地時代の搾取や虐待が描かれている一方、左の壁には娼婦など堕落したスペイン人の生活の様子なども描かれていてなんとも興味深い。

回廊を少し進んだところで、

アステカの民の生活の様子です。中央にかごに乗った人はアステカの皇帝で、背景はテノチティトランです。湖に向かって真っ直ぐに道がのびています、その向こうは神殿が聳える水上都市で壮大さが良く分かります。

とガイドさんの説明。

さらにトウモロコシなどの農耕や織物など先住民のさまざまな生活の様子を描いた絵があり文字が読めなくても自らの誇るべき歴史を知ることが出来るようになっている。

(サムネイル画像をクリックすると大きいサイズの画像になります。画像の中ほどの両端の矢印をクリックすると画像を前後に移動出来ます。画像の右下の○をクリックするとサムネイル画像に戻ります)