イグアス~ヴェノスアイレス

3国国境点
空港への途中、ホテルのそばにあるアルゼンチン、ブラジル、パラグァイ 3国国境点に立ち寄る。ここはイグアスの滝から続くイグアス河がパラナ河に合流する地点になっていてパラナ河の対岸の監視塔にはパラグァイ国旗の標識、イグアス河の対岸にはお馴染みの緑と黄色のブラジルの標識がジャングルのなかにかすかに見える。アルゼンチンは空色と白のトリコロールである。広大な南米のなかで3国が接する地点に立つとは不思議な感じである。

ヴェノスアイレスは国内空港のホルヘ・ニューベリー空港に。
ガイドさんは65才のおばあちゃん、歩行も心もたないようだが大丈夫だろうか。

空港のすぐ前はラ・プラタ川で、スペイン人がこの川を銀の川であることを願いラ・プラタ(Plata=銀)川と命名した、ガイドさんによればアルゼンチンという国名もラテン語の銀からきているとのこと。
ラ・プラタ川は狭いところで42km、広いところでは220kmもあり対岸は見えない、海まで400km。

人口の97%は白人と聞いてびっくり、先住民は虐殺されたのだろうか、ヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘などの伝染病で死に絶えたのだろうか。後で大使館の文化部に聞いたところでは虐殺や伝染病が先住民の滅亡の大きな原因の1つだが、もともとアルゼンチンにはインカやメヒカのような大きな文明がなく人口も少なくて統治上混血政策をとることもなかったらしい。

厳しい気候も影響しており、奴隷制度が廃止されてから黒人などは暖かいブラジルの方に移って行ったのだそうだ。他の南米の国に比べてひどい虐殺がアルゼンチンで行われたということではないようだ。イタリアなどから大量の移民を受け入れて今の人口構成になったらしい。

バスが走り始めるとすぐにパレルモ公園が見えてくる、市街地の中にある広大な公園でゴルフ場もあるそうだ。
今日の観光は最初にレコレータ墓地、それからコロン劇場や5月広場、最後にボカ地区のカミュートとなっている。

ヴェノスアイレス観光

レコレータ墓地

レコレータとはカトリックの牧師さん達が近くに住んでいたところからきているそうだが、高級墓地で1区画20~30万ドルもするらしい。エビータで知られるペロン大統領夫人の墓を見て、終わり。

バスが幅140mの7月9日大通りに入るとガイドさんが、

街路樹を見て下さい、あれはジャカランダです、年に2回花が咲きます。11月頃が一番きれいで淡い紫の花が咲きます、その後、高いところに濃い紫の花が3月まで咲きます。
前方のピンクの花はポロ・ブラッチョといって酔っ払いの木と呼ばれています。

3月頃が1番いいです、花が終わるとアボカドのような実がなり、中から白い綿が落ちて来ます、反対側の黄色いのも酔っ払いの木です、水の成分によって色が変わるようです。黄色なので酔っ払いと言われています。アルゼンチンの国花はセイボで、紅色の花が咲きます。

酔っ払いの木と言われるのは幹がビール腹のように太くなるからだと聞いたことがあるが、ガイドさんの説明の方が分かり易い。

コロン劇場

アルゼンチンの古きよき時代を偲ばせるオペラ劇場で世界3大劇場の1つ。
短い写真タイムで終わり。

5月広場

植民地時代、ヴェノスアイレスは5月広場を中心に町造りが始まったと言われているが、アルゼンチンの独立宣言もこの広場に面したカビルドのバルコニーで行われた。

5月広場は車窓観光で、広場を囲むピンクの大統領府や大聖堂、市役所、国営銀行などを車窓から眺める。ピンクの大統領府は中央郵便局と税関の2つの建物をくっつけて1つにし、バルコニーを作ったもので、当時の大統領サルミエントがアメリカのホワイトハウスに対抗してアルゼンチンはピンクにしようと言った。うそかほんとか知りませんとガイドさん。

カミュート(ボカ地区)

ガイドさんの説明、

ボカ地区にはマラドーナのサッカー場とカミュートがあります。カミュートは小径という意味で、この地区で生まれカミュートなどタンゴの名作を残したディオス・フィリベルトのために、やはりボカ地区生まれの画家キンケラ・マルティンが100mほどの小径公園を造りました。画家のタマゴ達が自分の描いた絵を並べたりしています。

40分ほどのフリータイムとなり、小径を進んで行くとレストランの前ではタンゴの踊りを見せたりしている。さすがにアルゼンチンタンゴ発祥の地だけあって路上でも官能的なステップは見事、2人ともスタイルがよいし、女性は美人だ。

3角かどの店でアルゼンチン代表のユニフォームを手に入れる、アルゼンチンがドイツで優勝でもすれば、ヤフーのオークションに出す魂胆である。