今日のモーニングコールは4時30。毎晩あまり眠れないし、クスコでは湯船に浸ることは禁止、疲れが溜まっている。

わがバック・パッカー号は6時15分に出発、出発して直ぐに坂を登り始め、日干し煉瓦の壁が崩れかけたような民家を眺めていると、列車はスイッチバックを4回繰り返す。
3時間15分と言う長丁場なので、直木賞、受賞作の読み残しを読み始める、今回のミステリーは読み応えがあって面白い。

1時間ほど走ったと思うと、切り立った山が間近に迫り、遠くには白いアンデスの山々が見えてくる。

ウルバンバ川は丁度、アンデスの雪解けのシーズン、濁流が岩に弾けて飛び散る様子は壮観である。景色を眺めたり、ページをめくったりしているうちに、10時10分、マチュピチュの麓の駅に着く。

マチュピチュ

順番を待ってバスに乗り、ヘヤピンカーブを10回以上も廻って、20分ほどで料金所に到着。入り口を抜けて10分ほど坂道を登ると突然右手に全て石造りのマチュピチュ遺跡が姿を現す。

標高約2400m、断崖と尖った山々に囲まれ麓からはその姿を確認することが出来ず、謎の空中都市といわれるマチュピチュの全体像だ。

もう少し進んだ見晴らしのよい広場でガイドさんの説明が始まる、

ハイ、ここがマチュピチュです。皆さんがテレビや写真でよく知っていると思いますが、現実のマチュピチュです。遺跡のうしろにあるきれいな山がワイナピチュという山です、若い峰という意味です。反対側の山が実はマチュピチュ山で老いた峰という意味です、よく見ると斜めに道が走っていますが、これがインカ道です。

インカ道はインカ帝国中に張り巡らされ、物資をクスコに運ぶ重要な役割をはたしていました。インカ道を歩いてマチュピチュに来る観光コースもあります。

マチュピチュを発見した人はハイラム・ビンガムという歴史学者で1911年のことです。実は、麓の村の人はこの遺跡のことは知っていましが、ミイラなどを動かすと祟りがあるといって遺跡に手を着けませんでした。

ビンガムさんは急激な崖を命がけで登ってマチュピチュを発見しましが、実は、ビンガムさんの目的はインカの黄金が隠されたというビルカバンバ遺跡を探していたのです。ここで発見されたのは金の腕輪が1個だけでした。かわりにミイラが173体見つかりました。

いま立っているところは段々畑の一部で、トモロコシが栽培されていました。収穫されたトモロコシの90%はチチャというお酒にしていました。

遺跡は道をはさんで右側の1段低いところが住居地区で貴族や技術者などの家がありました、左が神殿やインカ皇帝の宿舎や神官の館など聖域です。

なんのためにマチュピチュが造られたのかいろんな説がありますが、インカが支配地とすることが出来なかったのがジャングルの地方です。ウルバンバ川がマチュピチュをぐるっと回ってアマゾン川に合流するように、ここはジャングルの入口にあたります。ジャングル地方攻略の前線基地としてこのマチュピチュが造られました。30分ほどフリータイムにして、その後遺跡の方に行きます。

少し上って写真を撮って戻ってくると、10人ほどの日本人ツアーのガイドが説明している、何とも丁寧な説明なのでわがツアーの何人かも腰をおろして耳をかたむけている。

マチュピチュ発見の話では、写真を見せて‘ビンガムさんはこんな人です’、‘ビンガムさんは地元の人に案内されてマチュピチュに登ったので、マチュピチュの発見者と言うよりマチュピチュを世界に紹介した人と言ったほうが正しい’とか。

何のためにマチュピチュが造られたのかと言う話では、‘軍事施設、農業試験場、宗教施設、インカ皇帝の離宮などの説をそれぞれ丁寧に説明した後、遺跡のうしろのワイナピチュがないとしたらこのマチュピチュは想像できません、自然の万物を神と崇めるインカにとっても聖なる山です。すこしでも神に近い山の頂にという祈りがマチュピチュを造ったと言えます。昨日、クスコの太陽神殿でセケの話をしましたが、宗教的施設であったと言う説明も理解できるでしょう’と。

わがツアーのガイドさんが強引な説明をしたのに比べるといかにも丁寧だ。

発見された173体については、わがガイドさんはミイラであると言っていたが、このガイドさんは人骨と説明している。エジプト旅行の際に、ミイラの作り方について勉強したが、年間2000mm近くの降雨がある亜熱帯のこの地で腐食を防ぐどんな知識を持っていたのだろう、ほとんどは人骨となっていたのではないだろうか。

後で、このガイドさんに聞いたら、ツアーは沖縄の議員さんなのだそうだ。丁度、記念式典があって知事さんもペルーにきているとのこと。

太陽の神殿

遺跡への入口を潜り、小ぶりな住居を見ながら進み、太陽の神殿の上側に着く。中に入ることが禁じられているとかで、上から乗り出して順番にシャッターを押す。太陽の神殿は6月21日になると窓から日が差し込んで冬至であることを知ることができたと言われている。神殿は大きな岩を利用した半円形の石積みとなっており、その曲線はコリカンチャの外壁を思わせる。

そばの階段をおりると、神殿の下には陵墓とされる空間がある。ミイラが安置されていたとか。
マチュピチュ山から水路で引かれた遺跡の水汲み場をみて、聖域の方に移動する。

3つ窓の神殿はインカ発祥の伝説と関係があるとか、中央神殿は3方を壁に囲まれた神殿であるが石積みが壊れかけている、何に捧げられた神殿なのか聞き漏らしてしまった。
神殿のうしろの階段を登っていくと、頂上には岩を削って作られた造られたインティワナ(太陽をつなぐものという意味)という日時計がある。岩の上に36cmの角柱が突き出ていて、それぞれの角が東西南北に向いている。太陽のための儀式が行われた神聖な場所であったとのこと。この岩からはエネルギーが出ているというので、手をかざしてエネルギーをもらう人がいるが、もちろんそんな真似はしない。

マチュピチュ遺跡の最後の観光はコンドルの神殿、コンドルはインカの神聖な鳥とされ、左右の斜めの巨石をコンドルが羽根をひろげた姿に見立てて、前方にコンドルの頭を刻んだ石が置かれている。巨石の下部が洞穴となっていて牢獄として使われていたらしい。皆さんの後について洞穴を潜ってみる。

帰りの列車の中で、添乗員に席を替わって貰い、ガイドさんとインカについて話してみたが、「インカとエジプト」を拾い読みした知識と似たり寄ったりで、1時間ほどの時間のうち半分は雑談で終わった。