ロッジ出発は7時、今日はケニアの首都ナイロビ経由でナクル湖国立公園に向かう予定である。ナクル湖と云えばフラミンゴ、近年、数が激減してと言われているが、見られるだろうか不安と楽しみが交錯する。
アンボセリからナイロビまで265km、ナイロビからナクル湖は170km、途中、昼食やトイレ休憩を入れて8時間ほどのドライブである。だもんで、今日はドライバーの横の席に座らせて貰う、ドライバーは片言の日本語が話せるので当方のカタコト英語とちゃんぽんで結構、会話が成立する。
1時間ほどガタガタ道を走ってA104号線に戻る、A104号線はタンザニアからナイロビ、ナクル湖を通ってウガンダ国境にまで繋がっているそうだ。
タンザニアでもそうであったが、ここでは日本と同じように車は左側通行である。イギリスの植民地支配の名残がいろんなところあるようだ。左側通行と言うわけでもないどろうが、乗用車などの小型車は中古車が多いので丈夫で性能の良い日本製の右ハンドルが好まれるようだ(サファリ用の4WDは圧倒的に日本車である)
道路についてもう1つ、村などの側を通る道路では、道路が盛り上がっていることが多いい。最初は水道管の敷設工事をした後、均さずそのままにしたのかと思ったが、ドライバーに聞くと、信号が無いのでスピード出し過ぎ防止のためだそうだ。実際、ドライバーはバンプ(聞き間違いかも?)が近づくと慎重にスピードを落としていた。

ナイロビが近づいて、モンバサからのA109号線が合流すると、トラックやトレーラーが込み合って走っていたA104号線がさらに数珠つなぎになってきた。輸入物資が奴隷貿易で有名だったモンバサ港で陸揚げされ、ナイロビがハブとなって内陸国のウガンダやルワンダにも配送されるようだ。だが、物流に対して幹線整備が遅れているのでトラックやトレーラーのラッシュはまだまだ続くらしい。
2回目のトイレ休憩をナイロビのホテルで取った後、1時間半弱走って昼食の土産物屋に着き、店の前の展望台からグレート.リフト.バレーを眺めながらランチをする。

グレート.リフト.バレー(大地溝帯)

マニヤラ湖の展望台で、添乗員がマニヤラ湖などはグレート.リフト.バレーの底にある湖だと言っていたが、リフト(rift)は裂け目とか割れ目の意味で、タンザニアやケニア、エチオピアさらに紅海を経て死海まで南北7000km、幅40~100kmの大地の割れ目、地溝帯がグレート.リフト.バレーと呼ばれている。
この大地溝帯は500万年も前に形成されたらしいが、現在も年に2~3cmほど広がっているそうで、百万年もすればこのグレート.リフト.バレーでアフリカ大陸が分裂するらしい。

展望台では地溝帯の手前の断層崖と40kmほど離れた対岸を見通せるので、グレート.リフト.バレーを実感できると言うことようだが、実際は曇っていることあってか遠くの視界はなく、緩やかな斜面と広大な平野を眺めたと言う実感しかない。

そんなこんなで、予定より30分ほど遅れ、15.30にナクル湖国立公園に到着する。フラミンゴもさることながら、ナクル湖はサイの生息数が多いのでサイを見られるチャンスが多いし、運が良ければ豹と遭遇することもあるらしい。
ゲートを潜ると早速、バッファローの家族が出迎えてくれ、遠くにはヌーかなにかも見える。そして車は林の中に入っていく。サバンナの枯れた草原とは趣が違うので、同乗者とこの調子だと豹が見られるかもと期待し合う。

だが、林はすぐに抜けてしまい、目の前に広がった青々とした草原ではインパラの群れが食事中である。で、10分ほど走り林間に入るとウォーターバックの群れがのんびりと休んでいるようだ、手前のウォーターバックは一見、ディクティクかと思ったほど可愛いが、口の周りの白い輪や目の位置がちょっと違うようだ。
林間を抜けると、また、インパラの群れ、5~6分進むと、背中に子供を背負ったヒヒが移動中である。さらに10分走ると40~50m離れた林の際にキリンが1頭歩いている、少し奥にも2頭、全部で4~5頭いるらしい。

湖面に近づいたところで、公園の管理官とドライバーが何やら話し合を始めた。どうやら水面が高くなっているらしいので湖面沿いのルートはとれないらしい。
この後、林の中の道を30分走って見られたのはサバンナモンキーだけ、さらに30分走って湖畔の車外に出られるスポットに着くと、すぐ傍にペリカンが40~50羽ほど、フラミンゴはいない。
ドライバーが双眼鏡で沖の方を捜しさがして いたが、双眼鏡を渡してくれフラミンゴがいると、方向を教えて呉れる。30~40羽のフラミンゴがいるようだ。カメラを270mmにしてピンクのかたまりを撮ったが、後でトリミングした時、フラミンゴと分かるか不安である。
で、17.40、ナクル湖のサファリはお仕舞、豹はまだしも、サイまで見られないとは、消化不良感が残る。

ナクル湖のロッジも国立公園の中、テント.ロッジが敷地の中に点々と建っている。ロッジには入口に鍵がなくチャックを下ろすだけ、ちょっと不安。(消灯までマサイの若者が巡回して警戒しているようだ)
夕食の前にアカペラのショー、 ロッジを出るのがちょっと遅れたので席はもう一杯である。大男達の間に1つ空きがあったので座らせてもらう。日本人かと聞かれ、そうだと答えると彼等はヨルダンから来ているそうだ。ペトラや死海に行ったことがあり、良かったと話すと非常に嬉しそうだった、自分の国のことを褒められると誰でも良い気分になると言うことのようだ。日本に行ったことがあるかと聞くと、さすがに無いと言う返事だった。

(翌朝、ロッジを出てすぐにクロサイに出くわす。人家の庭のような所に巨大なサイがいてびっくり、金網ぐらいは廻らしてあるのだろうが、突進してきたら一たまりもなさそうだ)