兵馬俑博物館2号坑

3号坑に続いて2号坑も裏口から入る。ガイドさんの話では、2号坑は日本の大工さんが使うかね尺のような形をしていて、東北側の隅が出っ張っているのだそうだ。
面積は6000㎡、1号坑の半分くらいで兵馬俑の数は1300体ほどとみられている。2号坑は機動部隊のような構成となっており、4つの区画に分かれて兵馬俑が配されているそうだが、1号坑や3号坑のように修復なった兵馬俑が坑に展示されてはいないので想像し難いのだが……

出っ張りの部分は弩弓部隊で軽装の立射歩兵が鎧を着て跪いた姿勢で矢を射る跪射歩兵を囲むように配されていたそうだ。
南端の部分は戦車部隊、4頭立の戦車に御者と2人の兵士が乗る戦車が整列していた。この戦車部隊が2号坑のほぼ半分を占めているとのこと。

戦車部隊の北側には戦車、歩兵、騎兵からなる部隊がいて、一番北側は騎兵部隊、騎手は騎乗せず轡をとって立っている。

20年以上にわたって調査が行われていて、それぞれ数も分かっているそうだが、素人目には発掘の進捗が進んでいるようには思えない。その代わりと云うわけでもないだろうが完璧に修復された兵馬俑が観覧通路に展示されていて興味深い。


立射俑

ズボンの上に丈の長い上着を着てベルトを絞めている。
半身に構え、右手に弩弓の身(台座)、左手は身に矢を番えているのだそうだが、横顔から精悍さが窺える。


跪射俑

片膝を立て上半身は斜めに開き、立てた左ひざの上に左肘を載せて弩弓を支えているのだそうだ。この姿勢で右手で引き金を引けば目標に照準を合わせることが出来るらしい。立射俑の軽装に比べて、この跪射俑は前、横、後ろの3面から見てもいかにも重そうな鎧を纏っている。背後から見ると靴底に滑り止めの突起加工がしてあるのが分かってリアルである。


中級軍吏俑

説明プレートを見ると、2段重ねの平たい冠を被り、鎧は胸だけのものと胸と背中に着けるのと2種類あると書いてある。
右手に剣を持っていた思われるが、首巻をスカーフのように垂らしているのはお洒落である。幾多の激戦を勝ち抜いてきた戦闘指揮者なのだろうが、一見、穏やかで好々爺の様な表情をしている。


将軍俑

堂々とした体躯、百戦錬磨の指揮官の表情をしている。髷の上に死ぬまで戦いを止めないと云うやまどりの尾をかたどった冠を被り、伸ばした口髭の両端を跳ね上げて威厳に満ちている。
あご紐の飾りが胸元まで垂れ、鎧には房飾りがついていて華やかさもみられる。重ねた両手の下には剣を立てているのだそうだ。


軍馬と騎兵

軍馬は180センチ以上と云われるの騎兵の胸のあたりの高さなので140センチほどのようだ。現代の競走馬と比べるとかなり小ぶりである。でも、すぐ近くでみると、たくましい胸、大きな尻、がっしりとした
足など軍馬の逞しさが見事に表現されていて、2200年も前の陶工の芸術の高さに圧倒される。軍馬として見ると、クッションの上に鞍がのっているが、アブミや手綱がない。騎兵は両足で胴を抑え、前髪かなにかを掴んで疾走したのだろうか。
騎兵はチョッキの様な鎧を纏い、上着の裾は膝くらいでほ他の兵士より短い。俊敏性と乗馬し易さが考慮されているようだ。
出土した武器
通路の壁には出土した武器の写真が掲示されており、大量の青銅の剣や戈、矛、殳、の復元図もあって秦時代の武器が分かり易い。
さらに一振りの見事な剣の写真には、剣の刃にはクロームメッキが施されていて腐食を防ぐ細工がしてあった。クロームメッキはドイツとアメリカがそれぞれ1937年と1950年に発明したとされているが、秦の時代にすでにその技術はあった。驚くべきことだと説明されている。