銅車馬館

午前中最後の見物は銅車馬館、入口の上には篆書で秦始皇帝陵文物陳列庁とある。これが建物の正式名称のようだ。
展示室に入って最初に目にしたのが発掘された当時の銅車馬の写真、馬は比較的よく形を残しているが車の部分はつぶれて粉々になっている。
ガイドさんによれば秦始皇帝陵の墳丘のすぐ西側で発見された、兵馬俑が東方向に向いていたのに対し、西向きに置かれていてたそうだ。
銅車馬の大きさは実物の二分の一、3千以上の部品から出来ていて金銀をふんだん使って装飾している、その上、龍や鳳などの紋様も刻されているので修復に何年も掛かった。実際、設計図なんかない中での復元作業は想像を絶する困難なものであったと思う。

1号銅車馬
発見当時の並び順に1号車、2号車と呼ばれているが、この銅車馬館でも1号銅車馬が前に展示されている。
1号銅車馬は御者台に立った御者が4頭の馬を手綱でさばいているところである。
兵馬俑2号坑の通路に展示されている騎馬俑の逞しさの表現に感激したが、この銅馬はどっしりとして、しかも優雅である。さらに、御者台に立つ御者、長い柄の傘など、素人目にも芸術性の高さが分かって驚かされ、2200年も前の青銅の鋳造作品だと思うと嬉しくなる。

御者の頭上に傘があるのは、御者ってそんなに偉いのって感じで、ちょっと違和感があるが、始皇帝の霊魂を乗せた銅車馬の先導車だとすれば格式高く傘をさすのも肯ける。

2号銅車馬
4頭の馬がドーム型の屋根のついた輿を曳いている。御者は狭い御者台に座って手綱を操っているが、如何にも窮屈そうである。輿の高さは壁のイラストから見ると座った御者の頭2つほどの高いので1.3~1.4mくらいと思われる。主は輿の中では座っていたようだ。
輿の内外にも龍や鳳などの精密な紋様が描かれて

3千以上の部品から銅車馬は組み立てられていると云うことだが、部品の接続には溶接などの技術が必要と思われるが、当時、すでに溶接技術を秦は持っていたのだろうか、驚きである。