出発準備など
旅行社の話では航空会社は中国東方航空で、中部空港からは8時半、10時半、13時半の3便あるが、多分、10時半になるのではないかと言うことであった。その後8時半になるかもしれないと言われたりして、ちょっと心もとない感じであった。

2時間前に空港に着くとなれば、名古屋駅での初めての名鉄への乗り換えなどを考えると、10時半発の便でもちょっと厳しいので前泊のホテルを探していたら、出発日近くになって13時半出発と決まったと連絡があってほっとする。
最終日程表が届いて、見ると、ネットでは10名催行条件であったが、参加者は7名、その上、「添乗員なし」が添乗員付になっている。何かにつけてがめつい旅行社が採算度外視で催行するとも思えないが、どうなっているんだろう。

出発
当日、名鉄への乗り換えで戸惑ったり、ダイヤ混乱に遭遇したりしてまごつくが何とか集合時間に間に合う。中国東方航空はJALと同じワンワールドなのでJALのサファイヤのカードでビジネスでスムースにチェックイン、前方の通路側の席を貰う。

水平飛行に移って、ウイキペディアの秦始皇帝を眺めて秦の歴史のおさらいをする

秦の歴史

BC623年 秦の第9代君主が周囲の敵を征伐し関中に支配を確立する
BC356年 商鞅が国政改革を断行(1次)、BC350年(2次)により、 法 の強制による富国強兵策を推進。中央集権国家を築く
BC350年 秦が咸陽に遷都
BC318年 函谷関の戦いで楚、韓、趙、魏、燕連合軍を秦が撃退するな ど、秦は戦国7ケ国の中でも最強の国となる
BC259年 秦始皇帝(幼名「政」)が趙の都、邯鄲で生まれる。父、子楚 が人質として趙に差し出されていた時に生まれた。その後、呂不韋の工作により、二十数人の兄弟の中から妾腹の子楚が太子に
任ぜられる
BC250年 孝文王(政の祖父)が即位して3日後に死去
BC249年 子楚(政の父)が即位、呂不韋が秦の大臣に就任
BC246年 秦の荘襄王(子楚)死去、「秦王政」が13才で即位。呂不韋 は首相となり、幼い「政」に代わり政権を執る。秦王政は即位 後、すぐに陵墓建設を始める
BC238年 謀反が発生、連座して呂不韋が失脚、李斯が登用される
BC230年 「秦王政」16年目、本格的に中国統一に乗り出し、まず初め に韓を攻め滅ぼす、続いて2年後に自然災害に苦しむ趙を攻め 取る
BC227年 燕が秦王政暗殺の刺客を送り込むも失敗。BC225年、次に魏 を水攻めにして陥落させる
BC223年 苦戦するも楚を攻め滅ぼし、翌年には燕を攻め取る
BC221年 残った斉も秦に抵抗する術はなく降伏

こうして秦が天下を統一、秦王政が「皇帝」を名乗り、李斯を首相に任命する。征服した中国全土に郡県制を敷き、中央から官吏を派遣する中央集権制度を実施。また焚書坑儒を行って思想統制を行った。一方、度量衡、貨幣、文字、道路幅などを統一する。
BC214年に万里の長城、BC212年、新宮殿(阿房宮)の造営に着手する。 また秦始皇帝は中国全土を支配下に収めた翌年から毎年のように全国を巡幸するが、BC210年、5回目の巡幸中に死去する、50才であった。
秦始皇帝の死後、各地で反乱が起き、乗じて劉邦が咸陽を陥落させ、秦王朝はBC207年、15年にして崩壊する。後からやって来た項羽は略奪の限り尽くし咸陽、阿房宮を焼く、30日間に渡って燃え続けたと言う。

最終日程表によれば、兵馬俑坑博物館のほかに、始皇帝陵の周りに300以上あると云われる副葬坑のうち文官兵俑坑なども見学することになっているので楽しみである。