ホテル出発は8時。予定より1時間ほど早いが、デルフィー遺跡の近くにトロス(円形神殿)やカスタリアの泉があるので折角だから、そこも見て行きましょうという添乗員の思い遣りである。

今日も添乗員の説明から、「 デルフィーは2460mのパルナッソス山の麓、標高570mくらいの南斜面に広がる聖域です。いかにも神託をしていた場所として聖なる雰囲気が残っています。
古代ギリシャ人は地球を円盤のようなものと考えていて、ギリシャがその中央に位置し、デルフィーは世界の中心、大地のヘソと呼んでいました。

神話によれば、遠い昔からデルフィーの守護神は大蛇のピュトーンでした、これを滅ぼしたのがアポロンで、アポロンが神託を授ける神になったのは紀元前12世紀ころ、デルフィーは紀元前6世紀に最盛期を迎えます。
ギリシャばかりでなく東地中海周辺の諸国からはるばるアポロンの神託を聞きに来る人が多かったと言われています。
一般市民だけでなく大きな国が、開戦をすべきか、平和策をとるべきか どこに植民地を建設すべきか一国の政治、重大なことを決める時に、まずはデルフィーに使者を出しアポロンの神託を仰いでから決定していました。

当時はテレビや新聞もなく通信手段が限られ、広域的な情報を得るのが難しかったのですが、デルフィーには各地から神託を求めて人々が集まって来ていたのでデルフィーの神官のもとにはさまざま情報が集まり一種の情報センターのようになっていたと考えられています。
戦争か平和かという問題でも、当事国の指導者よりも神官の方が広域的な情報を掴んでいたり、植民地でもいろんな国の成功、失敗例を知っていました。
アポロンの神託はピティアと呼ばれる巫女から神官に伝えられますが、巫女の言葉を伝える神官はそういう情報を無意識的に入れて発言していたと言われています。

神託では、巫女が祭壇(3本足の鼎)に座り、月桂樹の葉を噛み、床の裂け目から吹き上がってくる霊気をすって神がかり状態になって聞き取れない意味不明の音声を発します、神官はそれを聞いて自分の言葉、意味のある言葉にして‘神託’として授けます。神官の言葉は右にも左にもとれる曖昧なものであったと言われています。使者は、また、自分が受け取ったことに、解釈を加えて報告しました。
ペルシャとのサラミスの海戦では、神託を授かった当のアテナの将軍テミストクレスが、民主主義の国、議論百中のなか、‘木の壁によれ’というアポロンの神託を‘軍船によって戦え’と都合のよいように解釈して、アポロンの神託を利用して一気に決め、ペルシャに勝利しました」

神託の実情は、神官が曖昧なことを言い、使者も自分の意見を付け加えたり、神託を仰いだ当事者も都合よく解釈したりで、かなりいい加減と言うか、柔軟性のあるものだったようだ。それにしてはアポロンの神託は必ず的中するとは不思議なことである。

さて、バスが30分ほどパルナッソス山の麓を回りながら登り、ホテル街を通り抜けると
デルフィーである。
で、最初はカストリアの泉、神話ではアポロンにみそめられたカストリアというニンフが身を隠したという伝説の泉とのことだが、今はなんのへんてつもない水のみ場で、入口を見ておわり。隣に沐浴場の跡、古代の人が神託を受けに行く前に身を清めていたとか。
道路を渡って、ギムナシオン跡をちらっと見て、少し進むとアテナ・プロナイア聖域があり、柱が3本復元された円形の神殿(トロス神殿)がある。
柱はドリス様式と言われるもので、柱は太くてやや短くてどっしりしていて、下が太くて上の方が細く見えるが、目の錯覚で真ん中をすこし太くしているのだそうだ。
ギリシャの次の時代の建築様式はイオニアと呼ばれ、柱の上に2つの渦巻き形の飾りを持ちすらっとして女性的な感じがする柱で、現在のトルコ地方の小アジアの人達が自分の名前(イオニア)を付けた建築スタイルを作ったとのこと。
コリント様式と言われる柱はイオニアと同じような細長い美しいスタイルだが、柱の上にアカンサスと言われる葉をモチーフにした飾りがついているのだそうだ。

ついでに、ギリシャ彫刻についての添乗員のお話、「ギリシャ彫刻も非常に有名ですね。例えばルーヴルにはギリシャの島々から発掘された大理石やブロンズの彫刻がたくさん展示されています。ミロのヴィーナスやサモトラケのニケが特に有名ですが人間の肉体美とか肉体美躍動感がよく表現されています。
ミケーネ時代から紀元前10~8世紀ころは幾何学時代、紀元前6~4世紀はアルカイック時代で彫刻は大理石で作られていることが多く等身大か、2mを超える大きな彫刻がエーゲ海の島々から発見されています。口元がアルカイックスマイルと言われ口角がきゅっとあがったような感じです。理想的な肉体美ですが、ただ 女性の腹はぽっこりと出ており、お尻や足はふっくらとしていて美化していないと言われています。
次は古典時代、オリンピアのゼウス神殿、アテネのパルテノン神殿で、この時代の彫刻が発見されています。アルカイックのどちらかと言えば生硬な様式が消え流麗で写実的、人体の激しい動きの一瞬を捉えたり、優しく軽快な人間的情緒を帯びる優美な表現になります。次のヘレニズム時代はギリシャだけでなく植民地と交易が盛んになって、いろんなところの芸術分野がギリシャ文化に付け加えられ独特の文化が発達します。この時代の彫刻は古典時代をうけながら、肉体美プラス人間の感情的な表現が目の様子やなんとない仕草など見ていて大理石の彫刻ながら感情的なものが伝わってきます。官能的な美の神、アフロディーテの像がこの時代の多く作られています」