展望台

20分ほどでマガジャネス半島の観光センター(駐車場)に到着。半島の西南の一角がペリト・モレノ氷河の対岸になっており、その斜面に遊歩道が巡らされている。

斜面の上部を回り氷河の全体が見渡せる遊歩道には黄色、第1展望台からリコ水道側に下りて巡る遊歩道は赤、その上側に緑、反対側のテンパノス水道を見渡せる遊歩道には青のマークがそれぞれの手すりに付いているので分かりやすい。迷ったら高々と掲げられているアンゼンチン国旗をめざせば良いとパブロさんが案内板の前で説明してくれた後、フリータイムとなる。

遊歩道は幅2mほど、溝のふたなどによく使われる格子状のステンレス製である。格子状の隙間から下をのぞいてみると旧の遊歩道が見える。多分、木製の遊歩道以前のもので斜面に人がやっと1人通れるくらいの細道が付けられていたらしい。当時のペリト・モレノ氷河見物は重労働で大変だったに違いない。

現在は第1展望台に通じる遊歩道はバリヤフリーになっているので車椅子でも氷河を見ることが出来るようになっている。が、そこから先は、金属の遊歩道ができて歩きやすくなったと言っても、急な斜面の階段を上り、下りしながら縦横に巡らされている広大な遊歩道を歩くのは結構きつい。

第1展望台はテンパノス水道側に面しているが、すぐ目の前に氷河が押し寄せてきており、腹が圧迫されるようなド迫力である。視線を上にあげると、麓では晴れているが、ネグロ山は厚い雲にかくれている。その遥か彼方の山腹からセラックやクレバスがびっしりと連なっており、百万の兵馬俑が進軍すればかくありなんと思わせる重量感である。

テンパノス水道の右手にずっと伸びて遠景となっている氷河は絵のように美しい、反対に左下の氷河が岸に乗り上げた辺りは荒々しく、崩落を繰返しているのか氷塊がいくつも浮かんでいる。

黄色マークを回ってシャッターを押しまくった後、赤の遊歩道を下って氷河が対岸に乗り上げている現場を見る。氷河が岩床にぶつかった衝撃と後からあとから押し寄せる氷河の圧力でセラックはひん曲がり、氷壁全体も数メートル押し上げられている。氷壁の中ほどにはドス黒いモレーンがいく層にも顔をだしており、トグロを巻いたようで不気味である。

自然の営みはすごいと感心していると、反対側のリコ水道でドッドーンと轟音がする。慌ててカメラを向けると、氷壁崩落の水しぶきが上がっている、小さな崩落が続いた後、静寂が戻る。

しばらく待つが崩落の気配が無い、ずっとこのまま待っていればあるいは・・・という思いも残しながら、テンパノス水道側も見渡せる第2展望台にもどる。ねらいは斜めに傾いて今にも崩れそうな大型のセラックである。ひと際蒼く光るそのセラックにカメラを向けてじっと待つ、待つ、待つ。

この間にも、5分おきには氷河の中ほどで、ピストルを撃ったような乾いた音がパーンと鳴り、10分毎にはドドゥーンと雷鳴のような轟音が響き渡り、辺りの空気を揺らせる。氷河のクレバスが崩れている轟音なのだろうが、いかんせん、氷河の内部のことで、氷壁には何の変化も起こらない。で、時間となってバスに戻る。

長めの昼食の後、予定を延長して4時までフリータイムとなる。

第1展望台に向かう途中、パブロさんが遊歩道脇の潅木を指差して、カラファテの木だと教えてくれる。とげのある潅木でブルーベリーのような実をつけるこの木はカラファテの町の名前の由来ともなっている。カラファテの木はこの地方ではいたる所に茂っているが、カラファテにまつわる神話も残されている。

それは、カラファテの実を食べた者は、必ずここに戻ってくるという言い伝えで、先住民、テウェルチェ族のものである。厳しい冬に置き去りにされ、寂しく冬を過ごした老いた魔女が、次の年に美しいカラファテの花に変身、そのあまりにも美味しい実を食べたものは冬になっても立ち去ることをやめた、というものである。

さて、フリータイムの関心は氷河の崩落だけである。

第2展望台に向かう斜面で、午前中にねらった今にも崩れそうなセラックにカメラを向ける。新大阪から参加のK氏もビデオカメラをこのセラックに向けられているので、考えることは皆同じである。

このセラックが崩落すると大音響とともに氷壁の上まで水しぶきがあがり一大スペクタルとなるはずである。だが、待てども、待てども崩落の兆候すら起きない。

氷河の中ほどでは、相変わらずピストルを撃ったような音やドーンと雷鳴のような轟音がしていたが、やがて、その音もしなくなった。

‘1時間ちょっとの時間では、運が悪かったとしか言い様がない。2日間もじっと観察すれば、必ずあのセラックは崩落する’と慰め合ってバスに戻る。

氷河の崩落には氷壁の歪みもさることながら、水面下の氷河の融解も影響するので、実際のところは素人判断ではよく分からないと言うことらしい。