50分ほどで、列車は公園駅に着き、先回りしていたバスに乗って公園内の見物に出発、フェゴ国立公園のリーフレットが配られる。読んでみると、フェゴ公園はティエラ・デル・フェゴ州の南西に位置し、隣国のチリと国境を接しており、1960年に国立公園に指定された。北のカミ湖から南のビーグル水道に亘るアンデスの南端を占め、 面積はおおよそ630平方キロとある。
景色は後退する氷河が削り取った影響で急峻である。アンデスは、ここでは、山々が連なり、その山々の間には深い谷、湖、川、泥炭湿地や森が広がっているそうだ。

リーフレットをめくると、ヤマナ族についての説明がある。現在の公園内の湖や湾沿いにヤマナ族が暮らした跡が残っているので、ヤマナ族の歴史や暮らしぶりについて解説しているということのようである。
ヤマナ族の消滅については、‘ヨーロッパ人が持ち込んだ病気が主な原因だが、いろいろな記録によれば、ヤマナ族の人たちはオタリオの狩猟の邪魔になるという理由で、ヨーロッパ人やクリオーロ(スペイン人の2代目、3代目?)の探検家や船乗りたちに撃ち殺されあるいは毒殺されるなど虐殺も絶滅の要因であった。ヤマナ族がヨーロッパ人と最初に接触した時には3000人だった人口が、10年後の1890年には1000人になり、1910年には100人に減ってしまった’と述べている。

さて、バスが走り出すと、車窓の両側は南極ブナの原生林に覆われている。ガイドさんによれば、南極ブナにはいくつかの種類があって、レンガ、ニレとギンドがおもなものだそうだ。レンガとニレは落葉樹で同じ所に生えていることが多く、レンガは30mと高く伸びるが、ニレは低い。ギンドは常緑樹で沼地や海岸に生えており、‘旗の木’と呼ばれるのはギンドである。

原生林を抜けてしばらく走っていると、この辺りがビーバーの生息地だとしてガイドさんの説明が始まる、‘1940年代にアルゼンチ政府が50頭のビーバーをアメリカから輸入したのが始まりで、毛皮を獲るのが目的でした。ところが、この地域には天敵がいないので、ビーバーにとっては天国となり、1990年代後半の調査では10万頭に達するほどになりました。ビーバーは直径15cmくらいの木を15分ほどで噛み切ってしまいますし、これだけ増えると生態系に悪影響を及ぼすので政府も規制に乗り出しています’ 見た目は可愛いビーバーも自然の摂理のなかでは邪魔者扱いになると言うことのようだ。
で、ビーバーダムの近くで写真ストップ、皆さんの後について3分ほど歩いていくと大量の枯枝で川を堰き止めたビーバーダムが見えてきた。ビーバーはダムの真ん中あたりに木を盛り上げて巣を作り、入口は水面下にあると聞いたことがあるが、見たところ木が盛り上がったところはないようだ。木も枯枝ばかりだし、現役のビーバーの巣かどうか分からない。

バスがどんどん進んで行くと、遠くにコンドル山やグアナコ山、その裾野から森林限界(標高600m?)へと伸びる樹林、目の前にはゆったりとラパタイア川が流れ、バスでそっけなく通過するのは勿体無い光景が続く。半日くらいかけてゆっくりとハイキングしたい気分だが、お手軽ツアーでは叶わぬところである。

国道3号線に合流、終点の‘ラパタイア湾・・・国道3号線の終点、ブエノスアイレスから3079km、アラスカから17848km’の表示のある看板の前で皆さん順番に写真に納まる。アラスカのフェアバンクスから始まるパンアメリカン・ハイウェーの終点がここである。中南米旅行でリマからナスカに向って走ったのがこのパンアメリカン・ハイウェーであった、またギアナ高地ではパンアメリカン・ハイウェーの支線とされるヴェネズエラの国道10線を走ったが、まさかパンアメリカン・ハイウェーの終点に立つことは思っても見なかった。

この後、ラパタイア湾のエン・センダ湾でバスを降りる。海岸のギンド(旗の木)はみんな陸側に傾いていて、いかに強烈な南風が吹くのか一目で分かる。
湾の正面にはレドンダ島、その向こう側の山はチリである。
これで、ティエラ・デル・フェゴ国立公園の見物はお終い、ロカ湖を見たいと思っていたが、日程変更で窮屈になり端折ったのか、もともと予定がなかったのか分からない。
ま、次の観光地、カラファテに向かう。
7時43分発のアルゼンチン航空AR2899便は7時2分にウスアイア空港を飛び立った。40分も前に出発してしまうが、アルゼンチン航空はどうなっているんだろう。